雪が融けて消える前に


 何かが過ぎった気がして窓を見ると、白く小さなものがふわふわと舞っていた。
 昨晩のニュースを思い出して、予報どおり降ってきたのかと目を細める。
 地上に落ちて消える前の舞いは、陽の光をうけてキラキラと輝き、神々しささえ感じるほどで息を呑んで見入った。
 東京では珍しい雪の舞いは、風が吹いただけで消えそうなほど儚げで、酷くたよりなく思えるのに美しい。
 そう捉えるのは僕だけで、すずなら歓声をあげて窓に駆け寄るかもしれない。
 いつ終わってしまうか判らない舞台を前に、いま声を掛けたほうがいいのか、それとも……と思い悩みながら視線を向けると、スリッパの音も軽やかにキッチンを往復している姿が目に飛び込んできた。





 外の寒さを忘れさせる温かさの中に、甘い匂いが充満している。
 普段なら特にどうとも思わない甘さが、今日はやけに嬉しくて顔が緩んでしまう。
 甘さそのものよりも、その理由あればこそだからだけどね。
 事務所を通してファンから受け取ったチョコレートの数々が、淡い雪と化して霞んでしまう、ただ一人の相手──すずが、僕のためだけに作ってくれているのだから。
 よどみなく動く体を、さらに目を細めて追ってしまう。
 まるで元気の塊だね。
 くるくると動き回って、次々と形を変える材料を大切な宝物のように見つめている顔は、時々はっとするほど美しくて、胸を打たれる。
 すずが俺の彼女だという事実が、ひたひたと悦びを注いで、胸の奥に枯れる事のない泉を創る。
 どんなに愛しても足りないと、暴れる飢餓を鎮めてくれる。
 愛しい、すず。
 声に出したわけではないのに、ふと眼があって、微かに驚きを浮かべた眼差しが揺れ動いた。
「依織くん……あの、さ」
「うん?」
「そんなに見られると、その……」
「あぁごめんね。やりづらいかな」
「うん、出来あがったら声をかけるから、それまでリビングで待ってて欲しいな」
 すずが、駄々をこねる困った子供を宥める目で見上げてきた。
 手にした木べらと俺の顔を視線が往復して、悟って欲しいと言いたげに首が傾ぐ。
 少し眉を寄せて、頬を染めて、そんな表情も愛らしい。
 いつまでも見つめていたくなる、俺のお姫さま。
「……仕方ないね」
 途端にほっとした顔になったすずが、次の言葉で息を呑んだ。
「やりづらくても我慢して。僕はここを離れるつもりはないよ。最後までずっと見ていたい」
「依織くんってば! あともう少しで完成なの。ね? お願いだから」
「ごめんね、嫌なものは嫌だ。恋人が自分のためにバレンタインのチョコレートを作ってくれている……そんな至福の光景、一瞬でも見逃したくない」
 ね?……と締めくくると、すずは真っ赤になって立ち尽くしてしまった。
 聞き分けのない俺を、どうにかして説得しようと言葉を捜しているのがわかる。
「駄目かな」
 そう問えば、優しいすずは駄目だと言えなくなるのを分かっていて、我ながらズルイ男だと思う。
 こんなに我侭な性質じゃなかった筈なんだけどね。
 自嘲で笑むと、唇をかみ締めていたすずは更に頬を赤く染めて、ふいと横を向いた。
「そんなに見つめられてたら、失敗、しちゃうかもしれないよ?」
「どんなものでも、すずが作ってくれたものなら喜んで受け取るよ」
「上の空になって怪我するかも」
「怪我をしそうになったら、その前に抱きしめて止めてあげるよ」
「時間がかかって、遅くなるかもしれないから」
「泊まっていけば問題ないだろう? それにもともと……今日は帰す気がなかった」
「……うぅ」
「諦めなさい、お姫さま」
 説得する材料がなくなったのか、それとも、どう足掻いても言いくるめられると悟ったのか、唐突に背をむけて湯を沸かし始めた。
「気を悪くした?」
「ううん。いい方法を思いついただけ」
「いい方法?」
 おうむ返しに呟くと、勝手知ったる手つきで紅茶の缶を棚から取り出し、名案だと顔に浮かべてすずが笑った。
「紅茶を淹れるから、依織くんは時間を計ってて」
 一生懸命考えたであろう、すずらしい解決方法に軽く吹き出してしまう。
 僕を移動させられないなら、せめてもの時間でも、見ている対象を他に作ればいいと思ったんだね。
 一哉は、すずのこういうところを突拍子がなくて困るとぼやいていたけど、困ったことなんてない。
 何事にも一生懸命で、相手を想っての行動だと知っているから。
 そう切り替えしたら、惚気も大概にしろと呆れられたけど。
 あの程度で惚気と言われても……さて、本気で惚気たらどんな顔をされるのやら。
「どうしたの?」
「うん? あぁ、ちょっとね」
 くすくすと笑いながら、差し出された砂時計を受け取った。
 カウンターに置くと、小さな音がして砂が徐々に山を作りはじめる。
 山が大きくなるのにあわせて、ポットから馥郁とした香りがキッチンに漂いだした。
 チョコレートの甘い匂いが混ざる優しい温もりが身を包むようで、その幸せな温かさを逃がしたくなくて思わず自身の体を抱いて天を仰いだ。





 こんな気持ちを、もう一度感じることが出来るなんて、不思議だ。
 聖バレンタインのご加護は、遠く極東の地までもたらされたか。
 歌舞伎という古い世界に生まれ育って、昔からクリスマスすら過度に祝わなかったというのに、懐が広いのかな。
 祥慶がミッション系だから、倣って礼拝には出ていただけで、とても信心があるとはいえないというのにね。
 一度は、神も人も全てを信じられなくなっていたのに、すずが目の前にいて、僕の為に精一杯の気持ちを込めてくれている今は、どんな奇跡も盲目に信じてしまいそうだ。
 愛していると、伝えることを恐れなくなった俺に、すでに奇跡が起こっているのだから。





 耽る思いを覚ますように、音もなく時を刻む時計から呼ばれた気がして顔を向けると、最期の砂が落ちて止まったところだった。
「すず。紅茶がはいったよ」
「ほんと? すごいタイミング! こっちもちょうど終わったとこ」
 弾んだ声で振り向いた手には、レースをまとって綺麗に着飾ったチョコレートが一列に並んでいた。
「どれも美味しそうだね。ふふ、ほら失敗なんてしなかっただろう?」
「それは……。依織くんがあんまり見つめないでくれたから」
 すずの腕は誰より知っているから、俺が居てもいなくても、失敗するなんて露とも疑っていなかったけれど、すずは本気で心配していたらしい。
「ごめんね、わがままを言って」
 照れくさそうに笑う頬に指を走らせると、無言になったすずの変わりに、器の中のチョコレートがかたんと震えた。
「こんなに可愛いお姫さまから、目が離せなくて」
 今日だけじゃなくて、おそらく……一生。
 そう、俺は一生かけて愛していると伝える許可をすずから貰った。
 くすぐったそうに首を傾げながら染まる頬に誓いのキスをして、可愛いお姫さまの力が抜ける前に器を受け取った。
「紅茶と一緒にいただこうか?」
「……うん」
 蕩けた顔で微笑むすずにもう一度、今度は唇に誓いを捧げたくなるのを堪えようと、紅茶のポットとカップを用意しだした姿から目を逸らした。





 雪は、まだちらちらと降り続いている。
 地に落ちれば踏まれて融ける淡い結晶。
 見るものの記憶に焼き付けるよう、短い命を美しさに変えて輝く雪。
 まるで、口に含めば融けるこのチョコレートのよう。
 形は無くなっても、甘い思い出と幸せな感情は胸の奥に降り積もって、消える事はない。
「依織くん? 準備できたよ」
「あぁ。雪をね、見ていたんだ」
「雪!? うわぁ、ほんとだ。キレイ」
「うん」
 言葉も一瞬で無に返るけど、気持ちはきっと互いの記憶に残るから、雪が融ける前に何度も愛していると伝えよう。

あとがき

書いている最中に『東京でも積雪が』とTVでやってたので
バレンタインにも雪が降ったらロマンチックかなー?と

猫百匹も雪をキレイだと思ってみたかったYo!
ホワイトクリスマス?ホワイトバレンタイン?
それって当たり前のことじゃないかよ!
雪国在住には、浪漫もなにもあったもんじゃありません

そんな猫百匹が書いたから
イマイチ糖度低かったらゴメンねっ依織×むぎ!