君と歌の翼に乗って


 クリスマスの夜更け、今日を満喫している恋人たちが移動し始めるのと、通常の仕事終わりの者が待たせている相手のもとへ向かう交差した時間にぶつかったのか、道路は渋滞しのろのろとしか進まない。
 一刻も早く家族や恋人の元へ駆けつけたいドライバーは、さぞ苛立っているだろう。
 他人事のように思うのは、俺の隣にはもう恋人がいるからだ。
「この調子だと後一時間はかかりそうかな。次にコンビニあったら寄るかい」
 視線は前に向けたまま気遣わしげに伺うと、明るい声が帰ってきた。
「大丈夫だよ。飲み物は水筒に用意してあるし、あっ依織くんコーヒーどう?」
「ありがとう、いただくよ」
 ほとんど進まない状態で二度目の赤信号になったタイミングでコーヒーを手渡される。
「一応お弁当は片手でつまめるものにしたけど……」
「それは着いてのお楽しみにしておこうかな」
「分かった。えへへ、夜のピクニックって感じで楽しいね」
 まだ信号が替わる気配がないのを確認してすずに顔を向けると、すずも俺の方を向いて微笑んでいた。
 その笑顔で、クリスマスだというのに俺の仕事柄おおっぴらに出歩けないのを理解し、家で静かに食事をしようと申し出てくれたすずを連れ出して良かったと感じる。
 出来ることといったらドライブがせいぜいだけれど、その提案をしたときのすずは本当に嬉しそうで「どれだけ寒くてもいいから海に行きたい」と頬を染めてくれた。
 偶然にも俺が誘うつもりだったのも同じで、トントン拍子に計画は固まった。
 今日は朝から気ばかりが急いていつにない早さで仕事場からすずの自宅へ向かうと、真っ白いコートを着て冬の精のに変化したすずは季節外れのピクニックバスケットを掲げ破顔して……。
 そのまま鍵を掛けて閉じ込めたいと思うくらい愛らしかった。
 それでも我慢したのは清らかなすずの楽しみを無下にしたくない、ただ一心だ。
「あ、青になったよ」
「うん。次の交差点を曲がれば後はほぼ直線だから、すずの側に海が見えてくるはずだよ」
「あたしたちの他にも人いるかなぁ」
「……、いたとしても車の中は別世界だから安心して」
 どこで見られているか分からない、真綿で首を絞められる生活に付き合わせているのを努めて平静な声で宥めると、口の中に苦味が拡がった。
 分かっているのに手放せない身勝手さ。
 それを全て内包して癒してくれる、すず。
 せめて俺にできるのは、これから先ただ一人に誠実なのは当然として、僅かでもどんな些細でも、不安を抱えることがないように。
 それしか出来ない。
 すずは俺にどういう過去があるか知っているから。
「もう少しクリスマスらしくしようか。ごめん、そこのスイッチ押してくれるかな、ラジオになるから。どこかでクリスマスソングかけてるだろう?」
 過去に引き摺られそうになった気持ちを振り切って、明るく頼む。
「分かった、これだね」
 すずがスイッチを回すとしっとりとしたクリスマスの定番ソングが車内に流れ出した。
「あっ! この曲、依織くんが出てたCMで使われてた曲じゃない?」
「確かにそうだね。あのバージョンはイブまでの限定だっていうから見れるタイミングも限られていたと思うけど、見てくれたんだ」
「うん。提供してますって番組チェックしてたから、何度か。かっこよかったよ。録画できればよかったんだけど」
「ふふ、ありがとう」
 歌舞伎役者にモデルという見た目の華やかさがウケてか、馴染みのディレクターから頼み込まれ出たCMの感想を聞いているうちに曲は終わってしまった。
 けれどすずが残念そうにする間もなく、すぐに次の曲の紹介がはじまった。
「次のも聴いたことある! 依織くんは?」
「っ……あぁ、有名だね」
 応える声が掠れていたのにすずは気がついただろうか。
 ちらりと窺うといぶかしむ様子がなくて安堵する。
 俺が一瞬、息を呑んだのは次の曲を紹介する声に心当たりがあったせいだった。
 一度一緒に仕事をして以来、しつこくアプローチをかけてきたモデル仲間だ。
 自分が断られたのを認めない、前向きなところは芸能界で生き残るのに必須の才能だけれど、個人対個人になれば押しの強さが鼻につく。
 最後はかなりきつめに断ったから恨んでいるとも風の便りに聞いている。
 それも杞憂か、明るい声は個人がどうであれ彼女もプロとして仕事をしているものだ。
 このまま曲を紹介し終えて何事もなく次に進むだろう、そうしたら終わったタイミングで消してしまえばいい。
 安堵したのもつかの間、安堵を嘲笑って杞憂が現実のものになった。
『次の曲も好きだけど、私はさっきの曲の方が好きだったりして。皆さん見た事あるかなー? 松川右京のCMで使われてたんだよ。もーすっごくかっこよくて、すっごい好きなの!』
 苛立ちのため息を口の中で押し殺す。
 息を詰めたのは俺だけではなく隣のすずもで、アシスタントから巻きが入ったのか突然はじまった次の曲だけが車内に垂れ込める。
 好き、の対象が松川右京か曲かはっきりとさせないあたり、確かに彼女はプロだ。
 強かで皮一枚の下は醜悪な、芸能界の暗部そのものを餌に生き抜くタイプの。
 不安を抱かせないようにと思ったのはつい先ほどなのに、どこまで影はついてくるのか……。
 すずに出会えて過去を清算した気になっていたのは俺だけか。
 気まずい沈黙に余程どこかで車を止め、すずにはっきりと「心配するようなことは何もない」と否定しようか。
 そう考えついたその時、聞こえたくすくすという笑い声に耳を疑った。
「相変わらずもてるね、依織くんは」
「すず?」
「今の人も依お、ううん、松川右京のこと好きなんだね」
「……嫌な気分にならないかい?」
 そして俺と付き合うのが嫌にならないか、という問いは「ならないよ?」と至極あっさりした返事で霧散した。
「だって人気があるのはいいことでしょ、依織くんのお仕事は。それにね、松川右京がどれだけもてても気にしないよ。あたしは松川依織と付き合ってるんだから」
 すずの答えは強くて、見た目の華奢さの下で強靭な精神力があると再認識させられるものだった。
 あぁ、そういうところがどれだけ愛しいか、伝えるにはどう言葉を尽くせばいい?
「忙しいのに、こうしてあたしのために時間作ってくれるし、ね? 大丈夫」
「それは、俺自身すずに会いたいから。いつも慌しくて申し訳ないと思っ」
「ほら、依織くんは優しい」
 謝られたくないと言いたげな雰囲気で言葉尻を喰い気味に俺を肯定して、シフトに乗せていた俺の手へそっと指を添えてきた。
「そういう依織くんの優しいとこ、好きだよ」
「すずのそういう前向きで強いところが眩しくて、愛してるよ」
 どんなものにも揺るがない気持ちを乗せてクリスマスのラブソングが流れる。
 心地いい沈黙に包まれて、二人の海へと車を走らせた。

あとがき

夜中のドライブってちょっとテンション上がるよなー、という
猫百匹の主観モロ出し無修正
タイトルの元ネタお気づきになったかな?
メンデルスゾーンの『歌の翼に』です
クリスマス関係ないけど、安息とかバラがささやくとかフルキス&松川さんっぽい
と猫百匹は勝手に思っとります