季節は巡り樹々も燃え
窓の外をぼんやり眺める。 丁寧に仕事が施された庭に、まだ緑も濃い葉が一枚舞い落ちた。 暑さにぼやいていたのはほんの数日前の気もするのに、その光景が、確実に秋の訪れを実感させてくれる。 あと幾らもしないうちに、この景色はがらりと色を変えるのだろう。 一面、真っ赤な絨毯を敷いたみたいに染まって、日本庭園にふさわしい設えになるよう静かな計算をされつくした庭を、一緒に見てみたい。 秋が似合う人と。 どの季節も好きだけど、秋が一番映えるのはこういう和の雰囲気で、和といえば考えるまでもなく一人の顔が頭を過ぎる。 秋に生まれたからかな? ……もう明後日なんだよねぇ。 ため息をつきたい気分を堪えて、すっかり冷めてしまった手の内のお茶をすすった。 忙しさに追われなかなか話も出来ない恋人へのプレゼントだけは、かろうじて用意したとはいえ、まだどこでどう過ごすのかすら相談できていなかった。 当日は絶対に仕事を入れないって約束は、してくれていたけど……。 誕生日前の最後の日曜日、今日に全てを賭けていたのに……。 時間ばかりが無情に過ぎていく。 なんであたしは、一見さんお断りだという敷居が高い料亭なんかで、お茶を飲んでなきゃいけないんだろう……。 「だからぁ、唯菜が協力してあげようって……ちょっと! 聴いてるの!?」 「あっ、はっはいっ」 ぼんやりした思考へ割り込んだ鋭い声音に、思わず背筋を伸ばして返事をした。 視線を庭から恐る恐る戻せば、整った顔立ちを憮然とさせて唯菜さんがあたしを見据えている。 「さっきからぁ、ずーっとぼんやりして。依織ってば、こぉんな人のどこがそんなに好きなわけぇ?」 「それはあたしも不思議です」 「……なにそれ、イヤミ? 唯菜に喧嘩売ってるの? 振られた女に嫌がらせ? あーらそぅ、優越感!?」 疑問符一つのたびに大きくなっていく声に、慌てて首をふるふると横に動かす。 「ち、違いますっ! 本当になんでかなーって……ハハ」 不思議なことには嘘偽りないけれど、こんなあたしがいいって依織くんは言ってくれる……なんて口にしたらどんな恐ろしい事態になることやら。 明滅する赤信号に口をつぐんで、愛想笑いで頬を引きつらせながら、なぜあの時、あの電話を取ってしまったのだろうと軽い後悔をした。 ほんと、なんで……あたしは唯菜さんとお茶してるんだろう。 ◇◇ きっかけは一本の電話だった。 見知らぬ番号に警戒しながら出ると、まったく想像もしていなかった人の……、唯菜さんの声があたしの名を呼んだ。 依織くんに番号を訊いた、というから、少なくとも依織くんは承知していることなんだろうと、安心するよう自分に言い聞かせて返事をすれば、会いたいという言葉の後に日時と場所を一方的に告げられ、かかってきた時と同じくらい唐突に切れた。 たっぷり五分は固まってから、あれこれ理由を想像して青くなった。 唯菜さんとは四月に一騒動あって以来、直接顔をあわせていない。 直接じゃなければ、相手はいま一番人気のあるモデルなのだから、雑誌でテレビで目にしない日はなかったけれど。 誤解が解けわだかまりが無くなって、会わない理由も消えたけれど、だからといって会う理由ができた訳ではなかった。 唯菜さんからみれば、あたしは後から現れて、長年想いを寄せていた人をかっさらってった憎い相手。 依織くんと付き合っていれば、そのうち何かのきっかけで顔をあわせるだろうとは覚悟していたけれど、自分から積極的に連絡を取ろうとは思えない相手だった。 たぶん、お互いに。 きっと、永遠に。 それが心の準備もできていない状態で電話を受け、地道なエコ対策で空調を切っていたから暑いはずの室内が急激に薄ら寒く感じた。 自分の腕で体を抱きしめるようにして、混乱した頭を宥めながらソファーに座り込んだとたんに、いくつもの疑問が浮かんできた。 会いたいという、その理由はなんだろう。 やっぱり認められないって文句を言われるのだろうか? それなら受けて立つ、としか言えない。 たとえ彼女がどんなに依織くんを好きでも、こればかりは譲れない。 負けるわけにはいかない。 とは意気込みつつも、手持ちの服の中で一番自分に似合い、まだ未熟なメイク技術でも一番きれいに見える方法を考えずにはいられなかった。 ◇◇ 「またぼーっとして。唯菜はそんなに暇じゃないんだからね、さっさと食べちゃってよ。ここはスイーツも美味しいんだから」 「へ? あ、えぇと……いただきます」 物思いから連れ戻されて、いつの間にか目の前に運ばれていた菓子に視線を落とした。 老舗の料亭らしい、抹茶と小豆の和菓子にちょこんと栗の甘露煮が添えられたそれは、スイーツと呼んでいいかは別として確かに美味しそうで、匙を通せばさくりと切れる。 この大きさなら一口でもイケるけれど、揚げ足を取られる原因を作りたくなくて、まず半分を口に運ぶ。 絶妙な甘さを味わいながらちらっと向かいを伺うと、薦めた本人はお茶だけを上品に口へ運んでいた。 「あの、唯菜さんは?」 「あなた、あたしがモデルだって忘れたの? 記憶力わっるぅい。モデルは体型維持だってお仕事のうちなんだから、そんな高カロリーのもの食べるわけないでしょ」 口の中でほろほろと崩れていた菓子が、どんと甘さを増した気がする。 だったらなんで、あたしには勝手に注文するのよっ!? 「そうですよね、は、あはは……。あの、それで今日はどういったご用件でしょう、か?」 口から零れそうになる本音を菓子と一緒に飲み込んで、この気詰まりな時間から解放されることだけを願いながら肝心の疑問を問うと、ふいと顔をそらされる。 な、ん、な、の、この態度!? 込み上げる理不尽さに耐えかねて、上辺の上品さなんてかなぐり捨てて残りを口に入れていると、小さな声が耳に入ってきた。 「さっきも伝えたけど、あなたに協力するって言ってるの」 「協力……って」 「だって、依織が手を焼いてるから。もっと上手く立ち回ればいいのに、あなた達おもいっきりマスコミ煽ったでしょ」 あぁ、と記憶が遡る。 あちこちから飛んでくる質問、焚かれるフラッシュ、意思とは無関係のところで露出する自分、勝手な憶測で騒がれる日々……。 約半年たってようやく落ち着いてきたけれど、一般人だからとギリギリのラインで保護されていたあたしと違って、依織くんの周囲はまだ騒がしいらしい。 「誕生日をどう過ごすのかって、マスコミで話題になってるのよ。毎日マンションを記者が張ってて帰宅するのも大変そうだって、知らなかったの?」 「……知ってます」 そう、それで依織くんと満足に会えない日が続いていた。 せっかく静かになってきたのだから、わざわざマスコミの眼をあたしに向けたくないと依織くんから言われて、メールと電話だけの日々も我慢できていたんだけど。 そっか……、あたしが想像している以上に、状況はまだまだ大変なんだ。 「唯菜さんは一緒に仕事しているから分かるんですよね。仕事中もそんなに酷いんですか? あの、依織くん辛そうじゃないですか? ご飯とかちゃんと食べてるかとか、ちゃんと寝てるかとか、あぁそうだ! 仕事先に迷惑かかってないですか?」 他にも心配なことは尽きなくて、息継ぎのために一度止めた口をまた開こうとした瞬間、ぷっと吹き出される。 「や、やだ……恋人っていうより、まるでお母さんみたい」 「悪い!? 心配なものは心配なんですっ! あたしはマスコミを相手にしてる依織くんの大変さも辛さも全部分かってあげられないから、唯菜さんにはおかしくてもあたしは必死で」 「……おかしくないよ」 気色ばむあたしと対照的に笑いを静めた唯菜さんは、雑誌では見ることのない顔と大人びた口調でゆっくり言葉を継ぐ。 「きっと、そういうところを依織は好きになったんだ」 そして、何だか妙にすっきりしたと言いながら、背伸びをするように天を仰いだ。 「……唯菜さん」 「少し苛めてやろうって思ってたけど、あなた見てたら馬鹿馬鹿しくなっちゃった。依織もあなたもお互いしか目に入ってないって感じぃ」 茶化すよう間延びした語尾に、彼女の悟られたくない気持ちが滲んでいて、何と言えばいいのか言葉を捜す。 「ちょっとぉ、おかしな気の遣い方したら本気で苛めるわよ? 桜葉唯菜を舐めないでよね。依織のことはとっくに吹っ切れたんだから」 「はいっ」 つんと顎を上げた彼女はあたしの知っているモデル桜葉唯菜の顔をしていたけれど、はじめてちゃんと話してみれば、外見よりも気持ちの面でとても可愛い人なのだと、嫉妬もせずに思える。 この時間も、彼女なりにあたしを受け入れてくれた証なのかもしれない。 そういえば、協力とか言ってた気がするけど、それも彼女なりの……? 「それでぇ、あのなんでも完璧にこなす依織が途方にくれてるなんて、滅多に見れないものを見せてもらったから、少しは協力してあげるわ」 本題に戻る気配に、精一杯の感謝を込めて背筋を伸ばした。 「明後日の二十三日、うちと松川家のひいき筋が集まって食事会があるの。童子も皇も、もちろんあたしも呼ばれてるわ。依織は呼ばれてなかったけど、急に参加することになったっておかしくないでしょ?」 「その日は……」 「ちょっとぉ最後まで黙って話聞きなさいよ。いい? そういう会だとマスコミだって迂闊に騒げないの、わかる?」 「はい」 ひいき筋というのが、歌舞伎の各一門にそれぞれ付いているスポンサーのようなもので、大抵は政財界の名家というのは知っている。 いくら部数や視聴率のためとはいえ、睨まれたくない相手、というわけらしい。 そういう複雑な梨園の仕組みは、依織くんと付き合うようになってしばらくした頃、一哉くんから簡単に説明されていた。 「依織はただ食事会に来たと思わせて、中に入ったら勝ちよ」 「中に……って、もしかして」 「そう。場所はこの料亭なの」 「でも、それとあたしと何の関係が」 ほのめかす内容は何となくわかった。 唯菜さんは、あたしと依織くんを内緒で引き合わせてくれようとしてるんだ。 彼女だって厄介だと思っているはずのマスコミまで逆手にとって、ひいき筋にバレたら唯菜さんにまで迷惑がかかるかもしれないのに。 「依織くんは大丈夫でも、あたしは……」 あたしはこんな料亭に“おじゃましまーす”なんて気軽に入り込めないし……って、まさか。 「あーら、あなた変装が得意でしょ?」 意地悪な声音にまじまじと見返すと、言葉とは裏腹の隠し切れない輝きが彼女の目に浮かんでいて、とても嬉しそうで楽しそうだと分かったらあたしまでウキウキしていた。 ◇◇ ぼんやりと窓の外を眺める。 昼に見たときとは違って、控えめにライトアップされた庭は、怖いくらい幻想的でとても綺麗。 陰影がついた木立の合間を、時折ひらひらと影が過ぎる。 あの舞い落ちる葉は少しでも色づいたのだろうか。 たった数日でと思う気持ちと、そうであって欲しいという気持ちの間で揺れながら、今はまだ緑濃い庭が真っ赤に染まるところを想像した。 一緒に見てみたいな……その景色を。 きっとすごく綺麗だと思うから。 あぁでも、秋が似合うその人自身が、景色よりも綺麗だと思うけれど。 瞼の裏に浮かぶ景色と顔に浸っていると、個室の戸を控えめに叩く音に続いて、待ちわびた相手が静かに現れた。 久しぶりと声をかけるのも違う、誕生日おめでとうもまだ早い、胸に溢れる気持ちは会いたかった、ただそれだけで、やけに恥ずかしくなってじっと見つめ返すことしかできない。 同じ気持ちだったのか、しばらく黙って見つめ返してくれた依織くんは、やがていつもの蕩けるような笑みを浮かべてくれた。 「もう少し遅かったら……景色に溶けてしまうところだったかな、お姫さま」 「えへへ、これ?」 大騒ぎしながら着付けてもらった振袖の、長い袖を軽く持ち上げると一つ頷き返される。 「まだ外の葉は緑だけど、ここだけ一足早い紅葉なんだよ。柄的にはもっと寒くなってから着るものみたいだけど……っと、こういうのは依織くんの方が詳しいか。実は知識も着物も借り物なんだ」 「いや、とても良く似合うよ。樹の精が連れていってしまわないか、心配しそうになるほどにね」 依織くんらしい褒め言葉に、ここに来てから借りてきた猫状態だった気持ちがふっと緩んだ。 くすくす笑いながら隣に座り、膝の上に乗せられる。 「いつもと全然違うから、変装みたいでしょ?」 「いつもの元気なすずも好きだけど、たおやかな風情も素敵だね」 「依織くんが喜んでくれたなら、良かった。唯菜さんにお礼しなきゃ」 「唯菜?」 意外だという響きに、あれ? っと首を傾げた。 「今日ね、依織くんと二人だけで過ごせるように協力してくれたの唯菜さんだよ? てっきりもう知ってるんだと思ってた。こういう場所でもおかしくないようにって、衣装屋さんから振袖も借りてくれて……」 「それは聞いているよ」 「じゃあ」 なんで驚いたのか不思議に思っていると、抱きしめてくる腕に少し力が入った。 「すずが、唯菜のことをまるで友達のように話すから」 そうは思えない仕打ちをされたのに、と、匂わせるセリフに驚きと納得をしつつ胸板に頭を預けた。 「もう、変なわだかまりないもん。ちゃんと話してみたらね、仲良くなれそうだった」 依織くんは、それを見越してあたしの電話番号を教えたんじゃないかと思う。 不安で嫉妬していた頃には考えられなかったけれど、依織くんにとっては、子供の頃から知る大事な人だからこそ。 それに唯菜さんのお陰で、あたしが依織くんの彼女なんだって、胸を張っててもいいんだって、不安を拭えたから……なんて思ったらまた機嫌悪くされちゃうかな? 「唯菜が黙っててくれって言うから、前もって何も告げずに番号を教えてしまったけど……」 知りたいと思ったらどんな手を使うか分からないしね、と。 子供の悪戯を軽く咎めるような、愛情を覗かせる声音で長い付き合いを滲ませてから、優しい優しい手つきで頭を撫でられた。 「唯菜は、ずっと君に謝りたかったんだと思うよ」 なんで、とはあえて口にしない。 ここで会った時間を思い出しながら依織くんを待つ間、なんとなくそうなんじゃないかって思ってた。 「謝られることなんて、なにもないのに」 あたしも彼女も、精一杯依織くんを好きになって、ちょっとぶつかってしまっただけ。 マスコミに騒がれたのを迷惑じゃないとは言えないけど、もしあたしが唯菜さんの立場だったら……そう思うと憎しみなんて湧かない。 依織くんに選ばれた、なんて傲慢な気持ちにはなれない。 みんなハッピーエンドなら何より幸せだけど、それには今の自分が出来ることをやるしかないって思うの。 「依織くんは心配しないで? あたしは大丈夫。もっと依織くんのお家のことも理解しなくちゃいけないし、唯菜さんが協力してくれるっていうなら何よりの味方でしょ? というか……依織くんの女性関係に全部嫉妬してたら体がもたないもん」 「すずも言うようになったね」 気を悪くした風もなく、ちょっと苦笑いをして軽くいなされる。 こういう話を笑い話にできるようになったのも、あたし達の進歩の証かもしれなくて、胸の奥がふわふわと暖かくなる。 ひとしきり笑ってから、ふと真顔になって耳元に唇を寄せられた。 「どんな状況でも人の善意を見出せるところが、とても好きで……憧れるよ」 「そんな大げさな……」 「すずは自分の価値に気がついていないだけさ」 「そ、そうかな」 あたしは依織くんが好きで、これからも好きで、ただそれだけなのに。 「これから先の未来を、こうして傍にいてくれるなら、僕はなんだってする……。覚悟しておいて、お姫さま」 「覚悟だなんて……依織くんこそ、後悔しないでよ」 あたしは、過去を手に入れることはできないけど、これから先はずっと、ずっと……。 こうして、この距離で、このセリフを言えるためなら、本当になんだって乗り越えられるんだから。 「遅くなったけど、誕生日おめでとう依織くん」 「ありがとう。その言葉とすずが最高の贈り物だ」 ゆっくりと下がってくる唇に、自然と瞼が下りていく。 閉じた瞳の中が一面燃え上がるような赤に染まって、二人で見たかった景色に、幸せに、酔いしれた。 |
あとがき
松川さん誕生日おめ話なのに……
唯菜がいっぱいです!
猫百匹的に、嫌いじゃないのですよ彼女
松川さんと付き合っていくなら、どこかの時点で和解がないとキッツイよなぁ
なんて妄想してたら、あぁもうほとんど唯菜の話ですよ
苦手な方には申し訳ないです
こじつけみたいだけど
なにはともあれ誕生日おめでとう松川さん!