姫君への献上品
稽古場に響いていた息遣いと人の波がおさまると、ふいに全体が静寂に包まれた。 それが終わりを告げる暗黙の了解になっている事を理解していてか、変わって華やいだ雰囲気が満ちてくる。 今日の稽古は年若い者ばかりでしているからだろう。 日を考えれば不自然な事ではない。 いくら日本の伝統芸能を担っているとはいえ、クリスマスを平穏に過ごそうとする方がよほど不自然だ。 歌舞伎に全てを捧げ、禁欲的に稽古に励む者はごく少数で、芸の肥やしとばかりに女性を追い求める者や一途に恋人を慕う者にとっては、クリスマスは避けては通れないイベントの一つ。 ……俺がその筆頭か。 稽古で乱れた襟元を正すと、時計を確認する。 わずかに口元をあげながら退きはじめる人影を眺めていると、まっすぐこちらへ向かってくる皇と目が合った。 「依織、荷物が届いてるって」 「あぁ、そろそろだと思っていたんだ……皇、わざわざすまなかったね」 「いや。京都からだって聞いたけど、あれって」 「多分、ね」 軽く手をあげて遮ったのは、何も不快な質問だったからという訳ではない。 早くその荷を解いて、自分の目で見たかったからだ。 「支度部屋に置いてある」 そんな気持ちを察してか、来たときと同じように静かに頷き、通り過ぎていった。 見送るよりも、心は届いたという荷物に飛んでいく。 全身に心地いい疲れを感じながら、すれ違い様に挨拶を繰り返し、足早に稽古場を抜けた。 たどり着いた部屋の中央に、恭しく置かれている包みの前に膝をつくと、静かに興奮する心で開け始めた。 一本一本、紐をほどくたびに、たとう紙から緋色が透けて浮かんでくる。 ようやく広げると真新しい絹の香りが室内に漂いだした。 まだ反物の状態から想像していた通り、色といい柄といい、すずに良く似合いそうだ。 長年、一門が贔屓にしているだけあって、隅々まで見なくても最高の仕立てがしてある事は間違いない。 「依織、いいか?」 絹に魅入られている耳に、戸の向こうから邪魔を詫びる皇の声が割り込んだ。 「どうぞ」 広げたままの振袖から手を離すことなく返事をすると、屋号が染め抜かれた暖簾がゆれて遠慮がちに顔が覗く。 「稽古場に忘れてたから」 「あぁ」 使っていた手ぬぐいを忘れるほどだったのか。 いっこうに手を放す様子のない僕をみて困った顔で笑うと、鏡台の端に本日2個目の届け物を置き、視線を絹に泳がせた。 「へぇ、意外だな。あいつならもっと華やかな物を選ぶと思ってた」 「彼女自身が輝いているからね、仰々しい柄は必要ないよ。帯や小物を含めればこのくらいで丁度いい。それに、すずには内緒であつらえたから」 「え……? 聞いてないのか」 「着物に関して僕が見誤るとでも思っているのかい?」 質問に質問で返すと、納得したように顔が縦に動く。 「彼女を誰よりも理解しているという自負もあるしね……。振袖を贈るという約束自体は去年にしてあったから」 「にしてもクリスマスに振袖って、あいつらしいというか。やっぱり変わってるよな」 「クリスマス? これはまた別だよ」 すずがねだった訳でなく本人すら忘れているだろう約束は、彼女への贈り物というよりは僕自身のためだった。 絶え間なく幸せを与えてくれるすずに対して、これくらいで治まるはずはないが、何か自分にしか出来ない気持ちの伝え方をしたいと、そう考えて半年以上まえに織りから指定をした。 そしてようやく出来上がった品が、皇との間で艶やかな赤を誇らしげに輝かせている。 「そうか……じゃあクリスマスはどうするんだ?」 今度は質問で返さなくても、軽く視線を投げかけただけで理解したのか、ふいに柔らかい表情を浮かべ立ち上がった。 「その辺りも抜かりなし、か。……ごちそうさま」 惚気にあてられたとでも言いたげに消えていく姿を送り、手にした絹を衣文かけに吊るして一歩下がる。 とうに揃えてあった帯を棚から降ろして腰の位置にあわせると、金糸銀糸が織り込まれたコントラストに我知らず笑みが浮かんだ。 この振袖を来たすずは目を見張るほど愛らしいに違いない。 その姿を見る権利が自分にはあるのだと、子供じみた独占欲でさらに笑みが浮かぶ。 一哉たちはまた“甘やかせ過ぎだ”と呆れるだろうか。 同居をはじめた頃には想像もつかなかったが、折々につけ連絡を取り合っている彼らの耳に入るのは、そう遅くはないだろう。 中心にすず……俺の恋人がいる限り。 それぞれの道を歩み始めた今も、彼女は女神さながら君臨し続けている。 哀れな下僕に成り下がった男たちの中心で、輝きを失うことなく光り続け惹きつけている。 恩恵に与ろうとする彼らを苦々しく思うときもある。 本人に自覚がない以上どうこうしようとは思わない、けれど、嫉妬にもがく内心を自嘲するだけの余裕はあった。 彼女の目に僕以外の男が映らないように出来たら、どれだけ幸せな事か。 すずがどれだけ僕を慕っていてくれても、狂気一歩手前の独占欲がかなわぬ夢をみてしまう。 ……本当に、この世の中にすずと俺以外、消えてしまえばいいのに。 すずの全てを独占してもなお、飢える心が身を苛む。 こんな状態を見たら“依織くんってば”と呆れた声を出すだろうか? 一年とは言葉にすれば短いけれど、彼女と出会い、抱いていた好意が愛情へと変わってからの日々は、それまでとは比べることが出来ないほど一日一日の重みが違う。 目の前にいるわけではないのに、吊るした振袖から彼女の笑顔が浮かんでくる。 どれだけ愛すれば気がすむのか。 苦笑しながらそれらを丁寧にしまっていった。 どこの店からも賑々しいクリスマスソングが溢れ、街中が赤と緑に染まっている。 そんなイブの浮かれた気分でにぎわう雑踏をすり抜け、足早に待ち合わせの場所へと急ぐ。 彼女の事だから、すでに着いているかもしれない。 向けた視線の先に、辺りを見渡しながら立つすずの姿が飛び込んできた。 「依織くんっ!」 元気に手を振るすずに歩み寄り、その手を握りしめつつ店の中へと促す。 「こんなに冷えて……中で待っていてとお願いしたはずだけど」 「だってすぐに見つけられなかったら困るんじゃないかって」 「僕の目にはすずしか入らないから、その心配は無用だよ」 「依織くんってば」 少しだけ照れた顔で笑う顔を、どれだけ見たいと願っていたか。 たとえ昨日も会っていたとしても、ころころと変わる全ての表情を追い求める癖は変わらない。 「それに今日のすずは一段と可愛いから、どれだけ遠くからでも見つけられる」 「ありがと……今日は気合いれてオシャレしたの、だって」 手にしたままの指先に唇を寄せると、頬に赤みが差してすずの口から言葉が消える。 「僕たちが付き合いはじめて、ちょうど1年の日だから、かな?」 「うん」 幸せそうに緩む笑顔につられて、自然と自分の口元にも笑みが浮かんだ。 「では、お姫様」 「もうっ、その呼び方やめてって何回もお願いしてるのに」 「恥ずかしがる必要はないと、そのつど言っていたと思うけれど? お姫様」 「んもー」 「ふふっ、ほら行こうか」 何度も繰り返して身になじんだ仕草でエスコートしながら、二人の名で予約してあるラウンジへと足を進めた。 クリスマスイブにどこか行きたい所はあるかい、そう聞いたときに真っ先にあがった名は、二人の関係が変化するきっかけになった場所。 去年の君は、そのあとに俺が何を告げようとしているか、まったく気がついていない笑顔で料理に舌鼓を打っていた。 実はあの時の料理の味を覚えていないと明かしたら驚くかな。 心は目の前にいるすずに全て奪われていた。 抱いている気持ちを打ち明けてもいいのだろうかと、不安を抱えながら。 もう二度と女性を信じ愛する事はないと、封印していた戒めを解いたら、自分でもどうなるのか想像すら出来なかった。 「依織くん? ……どうかしたの?」 「少し去年のことを思い出してね」 「もう一年なんだね」 「あぁ」 すずはそれから僕の隣にいる。 願わくば、これからも永遠に。 「あたしに遠慮しなくても良かったのに」 メニューを手にしたウェイターの姿が遠ざかると、ミネラルウォーターが注がれたクリスタルに目を落としながらすずが呟いた。 「車じゃないんでしょ?」 「遠慮してではないからすずが気にしなくてもいいんだよ。一人で飲んでもつまらないし、すずと一緒に飲める日が来るのを楽しみにしているだけだからね」 「それじゃあ、まだまだ先になっちゃう」 「ふふっ、そうだね。だからこそ楽しみなんだよ」 「あたしも」 その時にも僕が隣にいると、自然に、受け止めてくれるすずの言葉に幸福感がさらに呼び覚まされる。 光を集めて輝くグラスを持ち上げ、この記念すべき夜に乾杯をした。 すずと歩む人生の1回目の記念日に。 「なんだか去年来たときと違って見えるのは気のせいかな?」 そっとグラスを戻して、変わりにフォークを手にしながら発せられた言葉に、つられて店内を見渡した。 「内装はほとんど変わっていないと思うけれど」 「じゃあ、きっとあたしの捉え方の問題だね。まさか去年はそのあと依織くんと付き合う事になるなんて、想像もしていなかったから」 「意外だった?」 「……そうなったらいいなぁって思ってたけど」 芸術的な模様のソースに潜らせようとしていたテリーヌが宙でとまる。 「このお姫様は……そろそろ自分の言葉がどれだけ相手を幸せにするか、気がついて欲しいね」 「えっ?」 すずのフォークも宙で固まった。 「依織くんだって……その笑顔がどれだけ罪作りか、気がついてないから、おあいこ」 「そう?」 キャンドルの炎に照らされ一層赤く染まる頬に、いまこの場でキスをしたいと欲求が湧いてくる。 言葉だけじゃない、全てが愛しくてたまらない。 「……すず」 「なぁに?」 「愛してるよ」 「うん……あたしもだよ。その、愛してる」 炎の影がゆれるラウンジに、互いの幸せが溶け込んでいくようだった。 まいったね。 一年という区切りは、更に気持ちを増幅させる通過点に過ぎないのかもしれない。 今年も料理の味は覚えてられそうにないな。 カタンと鍵を置く音に続いて、満足げなすずの声が響いた。 「あー美味しかった。依織くん、ごちそうさまでした」 「ふふっ、どういたしまして」 わずかな音をたてて温風を吐き出している空調よりも、同居を解消して以来住んでいるこの僕の部屋にすずが居る、そのことに馴染んだ空気が冷えた室内を暖め始める。 「紅茶でも飲むかい?」 「お腹いっぱいで、もう入らないよ。気持ちだけ頂いてく……あ、気持ちといえば」 「うん?」 隣に置いたバッグの後ろから紙袋を取り出すと、中からふんわりした包みが現れた。 「あのね、これ大したものじゃないんだけど」 「いつ渡してくれるのか気もそぞろだったよ」 「んもう、気がついてたなら」 「ソワソワするすずの顔もかわいかったから」 「……依織くん」 「頬を赤らめる顔もかわいいね」 「も……いいです。あの、これクリスマスのプレゼント」 「ありがとう、開けてもいいかな?」 「うんっ」 リボンを解くと中から出てきたのは純白のマフラーだった。 手編みとは思えないほど、目の揃った網目に掛けられた時間を想像しては、すずへの気持ちが膨らんでいく。 「懐かしいね」 「依織くんと言えば、それしか思いつかなくて。オシャレなものならいっぱい持ってるから……」 「嬉しいよ、とても。でも僕のために夜更かししたり無理をしてはいないかい?」 「無理なんか……だって、編んでる途中すっごく幸せだったから。喜んでもらえるかな? って不安も少しはあったけど、あの、手編みとかってヤじゃない?」 「嬉しいと言っただろう? 驚くほど幸せな気分だよ」 「良かったぁ」 マフラーに負けないくらいふんわりと笑うさまに、驚くの意味を考えた。 いままで付き合いのあった女性なら、高価なブランド品から何をチョイスするか迷う事はあっても、自分でなにか作り出そうとは思いもしなかっただろう。 そして、その時の僕も喜んで受け取ったりはしなかっただろう。 驚くの意味は、一年ですんなりと認識を変える理由になった、すずの存在そのものだった。 「依織くん?」 「あ、あぁ……喜びで少しぼーっとしてしまったみたいだ。では次は僕の番かな」 「え?」 「少しまってて」 「う、うん」 皇が察したとおり、前もって用意していた箱を取り出すと、すずの手にそっと渡した。 「開けてみていい?」 「もちろん」 震える指先が箱を開けていくのを、そしてどんな感想がもたらされるのかを、じっと待ちわびる。 「うわぁ……きれい」 かすかに漏れる溜息と共に紡ぎだされた言葉は、それだけで贈った甲斐があったと思うに十分だった。 「こんなに素敵な櫛みたのはじめて……あれ? これって」 「そうだよ」 黒漆のなかに、はらはら舞い落ちる雪と、凛とたたずむ南天が浮かぶ。 それぞれの模様に一つずつ、さりげなく埋められたホワイトトパーズとレッドコーラル。 「覚えてくれてたんだ……お姉ちゃんとお揃いの……」 「すずの事で僕がなにか忘れていると思うかい? 君がどれだけお姉さん思いで、その指輪を大事にしているか、忘れる筈ないだろう。貸してごらん」 手に吸い付いてしまったというように、大事そうに持ったままの櫛を外すと、指輪がはめられた小指に軽くキスをする。 毛先をゆるくブローしてある柔らかな絹のような髪をすくと、軽く結い上げて髪に櫛を差し込む。 そのまま強く抱きしめて、その光景を目に焼き付けた。 柔らかな琥珀色の中で誇らしげに輝く櫛と、華奢なうなじの白さに眩暈がしそうだった。 「良かった、よく似合ってるよ」 「ん、ありがと」 服を通してくぐもった声がして、腕を回し返される。 二人きりで過ごす二回目のイブ、これから重ねられる日々の区切りとしての日。 互いの腕の中でしみじみと喜びを噛み締める。 「でも、こんなに素敵な櫛が似合うような着物、あたし持ってないや」 困ったような囁きに、ふと思い返しては笑みを浮かべ、腕の力を少しだけ緩める。 「それなら大丈夫」 「えっなんで?」 「なんでだろうね?」 疑問符だらけの顔に手を添えると、それ以上追求されないよう唇を塞ぎにかかった。 「……メリークリスマス、すず」 すずの為なら、いつくもの贈り物より僕自身を差し出そう。 |
あとがき
クリスマス創作:一哉編の次に書き出したので
とにかく甘〜く甘〜くラブラブな話にしたくて頑張りました
自分で書いといて何ですが
松川さんの“お財布事情”って、どうなっているんでしょう?
むぎの為なら糸目をつけないんだろうけど
ちょっと気になる今日この頃
「野暮な事を・・・」って凄まれそうなので
なにはともあれ
メリークリスマス!依織×むぎ