お味はいかが?



 図書隊員に個人的なイベントとしてのクリスマスは存在しない。
 というのは入隊一年目で、いやというほど痛感させられる。
 十二月に入る前から休暇割り振り担当がピリピリしはじめ、次第に下へ伝播する。主に図書館に詰める業務部は児童向けのイベント準備に加え、年末年始の休館前に目ぼしい物を借りようとごった返す利用者に対応しなければならない。防衛方は利用者の増加に比例して増えるトラブル処理に追われる。どちらもこなす特殊部隊の忙しさは尚更。慌ただしい雰囲気が全体に広がる十二月中頃には、個人の事情うんぬんを口にできる状況ではない事を肌で感じるのだ。
 そして、恋人がいる者はかなりの確率で振った振られたを経験し、翌年にはまだ実感していない様子の新人を、温かい目で見守る余裕すら抱くようになる。
「だからっ……仕事なんだから仕方ないだろ!? え? ……あっ、おいっ、おいって」
 あの様子では、振られたよねー。いくら仕事でも、仕方ないとぶった切られちゃーね。
 残業の合間にこっそり私用電話をかけていたらしい男性隊員が、廊下の隅で慌てた声を上げるのを、郁は温かい目で見ないふりをして通り過ぎた。
 あんな調子で逆キレされたら彼女側だって穏やかではいられないだろう。もうちょっとフォローの仕方を考えなきゃ、彼は今後も残念な結果にしかならないと思う。
 そもそも恋人がいたこともない方が残念なんじゃないか。という心の声は無視し、お陰でクリスマスなのに気軽に残業を頼まれるほど上司から信頼されてんだから、と、ややいじけたフォローを自分に入れる。
 フォロー……。
 そうよ、フォローが大事なのよ! 堂上教官め。
 郁は手にしている紙を憤然と握りしめ、反対の拳で文書庫の電灯をつけた。
「うわ、ほこりっぽい」
 ドアを開けた瞬間、反射で口が動く。
 ひんやりとした空気の中で鼻をつくカビ臭さが、めったに人が訪れないことを物語っている。書庫は書庫でも、閉架図書を収納している方ではない。保管期間の決められている内部文書をしまう、というか押し込んでいる方だ。
 図書隊は自身が掲げる法に加えて、地方公務員法が係る部分もある。このデジタル化の時代であっても、何かあったときのやり取りはお役所らしく旧態依然の紙ベースだ。それぞれに保管期間が定められ、廃棄年度が来れば後方支援部がまとめて廃棄処理するものを、それまでひたすら収納しているのがこの部屋だ。
 郁にとっては参考書の山のようなものでもある。
 提出書類の書式どころか文言一つとっても独自の決まりがあり、二年目になっても未だ戸惑っているせいだ。
 堂上に訊けば小言プラス拳骨つきでも丁寧に教えてくれるのは分かるのだが、そうそう何度もでは流石に恥ずかしい。すらすらと書きあげる手塚に訊くのも悔しく、リテイクを命じられる度に過去の書類を参考にしているうち、他の隊員からも書庫絡みの用事を頼まれるようになっていた。
 何が、どうせ後は帰寮するだけだろ、よ。
 書庫から運べというリストを郁に渡しながらの堂上のセリフを思い出し、悪筆で書き込まれたリストを指ではじく。
 えぇ確かにクリスマスだってのに予定のよの字もありませんけど? 入るような付き合いがあったとしても正月休暇まで休みなしなんだから断るしかないでしょ。第一、あんただって、クリスマスに残業じゃないの。
 とは、自分よりよほど忙しい相手に直接言えず、しぶしぶ受け取ってきた紙を光に透かす。
 郁は探しあてて特殊部隊の事務室に運んだら帰っていいことになっている。頼んだ堂上は、それからも仕事を続けるのだろう。
「え、っと。利用時間帯別窓口業務処理事例……タイトル長っ」
 一番上にある文書名を口に出しながら部屋の奥へ進むと、蛍光灯の下で舞ったほこりがキラキラと光った。
 クリスマスイルミネーションのかわりに、ほこりって。
 世間一般のあんまりな雰囲気との違いに、がくりと肩が落ちる。手をついた壁が冷たく、余計にやりきれなさが込み上げる。
「仕事だから仕方ないけどさー」
 呟いたぼやきは一瞬だけ白く輝き、消えていった。
 他人が言うと身も蓋もない言い分が、自分に使うとなると何て便利なんだろう。
 戦闘職種でデカくて色気なくてもいいって言ってくれる人が、いつか現れるかもしれない、それまでは愛だ恋だ言っている場合じゃない。まずリストをやっつけなければ。
 ふいに堂上の姿が脳裏に浮かぶ。
 今も事務室で他の仕事をこなしながら待っているはずだ。
 ためらいなく残業届だしてたけど、教官はクリスマスを考慮するような相手は……。って、何であたしがそこまで考えてんの。もし、もしあったとしても別に……あたしのせいで終わるのが遅くなったとか言われたくないし。
 暖房の入らない書庫は底冷えしているというのに、何故か急に頬が熱くなる。
「早く終わらせて帰ろ帰ろ」
 せっかくのクリスマスにもらうのが小言も嫌だが、風邪だったら最悪だ。
 郁はやけにざわめく気持ちを抑え、ファイルを探すことへと意識をシフトさせた。





「せっかく急いであげたのに、なにそれっ」
 クリスマスにあまり遅くなっては可哀想だと急いだ郁を事務室で待っていたのは、感謝の言葉ではなく、愛想の欠片もないメモひときれだった。
 目を通した郁は持っていたファイルを放り投げそうになったが、わざと乱暴に堂上の机に置くだけで済ませる。
 放り投げてやっても良かったが、堂上が帰ってきたら拾わされるのが目に見えるから留まっただけだ。

 少し席をはずす。先に戻ったら待機するように。 堂上

「署名なくても字で分かるってーの」
 あんまりな文面にツッコむ。同時に、はっとして辺りを見渡した。普段は狭く感じる事務室だが、郁一人だとがらんとして見える。
 良化隊の襲撃でもあったのかと焦ったが、基地の気配は郁が書庫に行く前と変わりなく、どうも堂上は自らの意思で席を外したらしい。
 時計を見れば寮ではそろそろ夕食に人が流れる頃だ。
 まさか自分だけご飯食べに行ったとか、いや、教官の性格じゃそれはないわ。
 じゃあ何で終わり次第あがりが堂上の帰りを待つことになったのか、想像ではいくらでも理由をあげられるが正解は分からない。
 待機と指示された以上は、堂上がいつ戻るのか見当がつかなくても待つしかない。
「ったく、あーおなかすいたー」
 時間を意識してしまうと途端に空腹を思い出す。
 いじましく隊の菓子皿を覗いてみたが、こういう時に限って一つも残っていない。コーヒーでもと思ったところで、ポットの電源さえ外されている。
「電源も外して経費削減ってなら、早くあがらせてよねー。どうせ帰っても特番見るくらいしかしないけど。でもクリスマスだよ、クリスマスに文句も言わず残業に付き合ってあげて、仕打ちがこれ!? あんの鬼教官」
 一人だと油断しきって悪態をついたところを、廊下で見計らっていたとしか思えないタイミングで、事務室のドアがゆっくり開いた。
「ひっ……お、おかえりなさー……い」
 コンビニの袋をぶらさげて立っていたのは鬼とあげつらった堂上本人で、聞こえていなかったかもという期待は
「あぁ、ただいま」
 凍った声音の返事で、あっさりと打ち破られる。
「予想よりも早く揃えられたんだな」
「あ、はい。書庫の配置には慣れてるので、はは」
 うわぁ、ヤバいヤバいヤバい。
 積んだファイルの隣に袋を置き、コートを椅子の背にかけた堂上の気圧は、堂上と共にやってきた冬の外気よりも低い。場を和らげようと添えた笑い声が、余計に間抜けさを増すばかりだ。
「クリスマスなのに悪かったな」
「それは、別に予定もなかったことですしっ」
 散々愚痴をこぼした後なのに、真正面から労われると罪悪感が湧いてくる。
「挙句に待たせて悪かったな」
 ……これが労いの言葉なら、だが。
「い、いえ。教官こそクリスマスなのに残業お疲れ様です」
 救いを求めて彷徨わせた視線の先に、コンビニ袋があった。
「晩御飯もここでですか?」
 てっきり弁当でも買ってきたのかと訊いたが、堂上はじろりと郁を見あげ一言「いや」と素っ気なく否定する。
 あまりの短さに言葉が続くのかと窺うが、返ってくるのは沈黙ばかりで、これは……。
 ちょっと……気まずい。
 ファイル探しを頼まれたこと自体は苦でなかった、むしろ、どんな簡単なこととはいえ自分に任されたということが嬉しい。
 よし、こういうのは頭を下げて終わらせるに限る。
「あのっ」
 ……腰を折りかけた目の前に、買ってきたばかりのコンビニ袋を差し出された。
「助かった、もうあがっていい。やるから帰って食え」
「え……これ」
 戸惑いながら覗いた袋の中には、見慣れたコンビニのカットケーキが二つプラスチックのケースに入っている。普段は無い柊の飾りがついているのが、精いっぱいのクリスマスらしさ演出だろうか。
「あのぅ、もしかしてこれ買いに行ってたとか」
「あぁ。クリスマスなのに残業に付き合わせて、さすがに鬼にも少しは良心があるんでな」
「うっ」
 しっかり聞いてる。効いてる。この場合どっちだ、どっちもだ。
「教官すいま」
「それとも柴崎と用意でもしてたか」
「いえっ、柴崎はこの忙しい時期にクリスマス感じるより睡眠時間を確保したいからって。業務部も残業続きらしくて。あの、ほんとにすいませんでしたっ」
「もういい。用意してないなら、コンビニケーキてところが申し訳ないが、せっかくだし帰って柴崎と食べてくれ」
 ようやく堂上の顔に笑みらしきものが浮かんだ。
 不器用なそれを見て、唇が勝手に動く。
「だったら教官、一緒に食べませんか。二つあるし」
「いや、俺は」
 面食らう堂上に食い下がる。ごめん柴崎あんたの分もらうわ。
「お前の好みが分からなかったから二種類買っただけで」
「イチゴショートとチョコどっちが好きですか」
「どっちかと言えばイチゴのが、っておい」
「じゃああたしチョコ頂きます。あ、生チョコだ、おいしそう。お皿ないんで、ケースのままでいいですか」
「おい笠原っ」
「はい?」
 ケーキを倒さないで袋から出すことに集中していたせいで、強く呼ばれるまで堂上が自分を見ていたことに気付かなかった。気付いてしまうと、真っ直ぐな視線を何故か見つめ返せない。
「おまえな、何もわざわざ上司と食べることないだろうが」
 耳だけが驚きに交じる困惑を拾う。交じっているのはクリスマスに、という尻込みもだろうか。
 教官は成り行きとはいえあたしとクリスマスを過ごすのが嫌なんだろうか、って何この気持ち。
 目を逸らしたままなのは、ケーキを出しているから、きっとそうだ。
「ひねた物言いして悪かった、気にしてないからあがって……」
「いいんです、あたし教官に付き合うの嫌じゃないしっ」
 焦るせいで口走ったセリフが、おかしな意味合いを帯びてしまう。
 ケースを留めているテープをはがすことが出来たのは奇跡に近い。
 もちろん奇跡は滅多に起こらないから奇跡なのであって、その後、味がわからないまま何を話したのかすら覚束ない当然の結末となった。

あとがき

教官はぼちぼち自覚してて、郁はまだ全然
な辺りの妄想
そのうち教官目線での話を追加したいような気も
や、だって、猫百匹の脳内では
「おまえなぁ、顔にクリームついてるぞ」
「えっ、あっ」
「……」
まで妄想進行中