歩む速さ 揃える時間



「マウント取られている気分になるのは気のせいか?」
 堂上の問いかけに、郁は精一杯かわいく見えるよう笑顔を作り
「気のせいですよ」
 そう答え、しばらくしてから「……多分」と付け足した。
「じゃあこの体勢はなんなんだ」
 速攻で重ねて問いかけられ、ぐっと言葉に詰まる。
 ベッドの端に掛けた姿勢から腰を捻って九十度、更に上半身を折って覆いかぶさっている。

 その下には──堂上がいた。

 両手は堂上のそれをしっかりと押さえ込み、確かにマウント取ってると言われても仕方ない。
 そうよ、仕方ないのよ、仕方ないの知ってるくせに意地悪っ。
 声に出せない抗議を更に飲み込むのと同時に、今更な後悔をした。
 ストップかけなきゃ今頃こんな困った事態になっていなかったのに。戸惑うのは一瞬で、でもその後は嬉し恥ずかしな展開になっていただけだろうに。
 うっかり待ったをかけた挙句が、いま単純に恥ずかしい事態に陥っている。
 はじめて見舞い、はじめて一人の男性として想っていると告白し、はじめてキスをしてから、まだ二日しか過ぎていない。
 二回目の病室に入るまで照れに照れ、どんな会話をすればいいのか、どんな態度をとればいいのか考えあぐねてやっと、そうやっとの思いで見舞いに来たというのに、入るなり言われたのだ。
 優しい声音で。
 待ってた、もっと近くで顔見せろ。
 それだけならまだしも、こちらの葛藤なんてすっ飛ばして腕を引かれ、流れでベッドに腰かけた郁を待っていたのは抱きしめようとする腕で。
 展開の速さについていけなくて、叫ぶように「ちょっと待って!」とストップをかけてしまった。
 ほんとにちょっと待って貰えるだけで良かったのに、なんでこうなっちゃうのよ。
 来るたびに遊ばれるモードに入るのは決まりなのか? そんなお約束いらないっての。
「どうした?」
「……っ」
 律儀に返事を待っているらしい堂上に、唇を動かしかけ、──何を言えばいいのか分からない事に気付いて閉じる。
 足を負傷していようが、横たわった姿勢からだろうが、堂上のスキルなら郁をはね返せるのを分からないほど伊達に三年も部下をしていない。
 堂上が身動ぎしないのは多分きっと絶対、あえて、だ。
 なのに自分はどうすればいいのか、もう分からない。経験値がまったくない。
 余裕の表情の堂上に対して、かれこれ数分は……体感時間で数時間は、この姿勢で独り内心じたばたしている。
 いつまで経っても待ったをかけられている態から動く気がないのなら──もうどうにでもなれ。
 半分やけになって郁は白状した。
「あたしが恋愛方面疎いのなんて今更じゃないですか。自慢じゃないですけど、柴崎にはさんざん笑われましたけどっ、中学でそっちの成長止まってんですよ!? お付き合いってのも教官がはじめてですし、だから少し驚いて待ったかけちゃっただけで、ここからリカバリしろなんて無理です、無茶です、無謀ですっ」
 一息で吐いた捨て鉢な本音に、この状態になって以来はじめて堂上の表情が変化した。
「何も難しい要求してるつもりはないんだがな」
 軽く笑って言うくせに、やっぱりまだ手助けする気は起きないらしい。
「充分難しいですってば」
 声はもう半分涙交じりだ。
 止めたのはお前だ、なら自分からこの雰囲気をどうにかしろと態度で示されても。
「お、おい泣くな。泣くほど嫌かとさすがに傷つくだろうがっ」
 少し焦った様子に、慌てて何度も首を横に振る。
 嫌なんかじゃない。それは間違いない。
「本当に嫌だったらさっさと逃げだしてます」
 言ってから、何に戸惑ったのかここまで来てやっと気付いた。
 期待を見透かされていたようで恥ずかしかったんだ。今日もあの想像するだけで浮き立つようなキスを堂上はくれるだろうかと、期待していたからその通りになって慌てた。
 頭の中だけで思い描いていたことが、いきなり現実になったらびっくりする。そんな経験なら何度かある。
 恋愛方面でも同じことが起きるらしい。
「悪かった、からかい過ぎた」
 真摯な言葉に、こくんと頷く。
「あたしこそすいません」
「謝るな、お前が悪いわけじゃない。俺が調子に乗ったのが悪い」
「堂上教官も悪くないです」
 も、というか堂上は全然悪くないのに一度謝罪を受け取った理由は、むきになって自分がいけなかったのだと言い募っても余計にこじれるという経験からだ。
 こんな空気もうご免だ。
 やっとほっとした表情を浮かべた堂上に、自然と笑みを返すことができた。
 気持ちに余裕が出来れば、フリーズしていた頭も動き出す。
「あの……一つだけリカバリ方法思いついたんですけど」
「はじめからやり直すのでいいか?」
 おずおずと提案するつもりだった言葉を先に言われ、再びこくんと頷いた。
 次の瞬間。
 抱きしめられている、という状況の把握ははじめての時より速かった。
 押さえていた腕はいつの間にか外れ、体に回っている。
「今度は、止めるなよ」
 病室に入った時と同じ優しい声が時間だけを巻き戻して、気まずかった雰囲気と恥ずかしさを消してくれた。
 胸に一つ残ったのは、期待。
 今度は、自分からそっと唇を寄せて、ゆっくりとまぶたを閉じた。

あとがき
いちゃいちゃすっるなよー
猫百匹が 来 る ぜ!