無自覚攻撃
イベント続きのクリスマスも無事終わり、年末年始の休館前に目ぼしい本やDVDを借りていく利用者の波も落ち着いてきた。こうなると図書隊にもいよいよ師走の雰囲気が溢れ、あちこちで正月休みの話題が飛び交う。 日ごろ厳しい職務に就いている反動か「休みは実家でのんびり」「彼女とデート」と、いかつい男性隊員たちが相好を崩している様子は学生のように無邪気で微笑ましい、などと郁は少し余裕の感想を抱いたりしていた。その輪には加わらない。迂闊に突くと「おまえらはどういう予定なんだ、ん?」とニヤニヤ笑われるのをもう経験している。 職場恋愛って筒抜けだからなぁー。 郁の入隊から付き合うようになった現在まで、周囲に全ての経緯を知られているというのはこういうとき肩身が狭い。 堂上も恋愛ごとだけならからかわれる側だが、上官として指導している間も今も郁の失敗というネタがあるからここぞというタイミングで郁を落としに来る。郁だけがどの状態でも一人からかわれる対象になる。 ムキになって反応するのが数年前の堂上を思い出させるから微笑ましくて、見守られ愛されていると郁にはまだ理解できない。 「なんか不公平ー」 郁はぼやきながら地下の書庫へ運ぶ書架をエレベーターに押し込み、先に待つ堂上班に合流した。 ◇ 「利用者が一段落している間に、簡単に蔵書整理といくか」 通常の貸し出し業務に加えて微妙にくずれている配置を分類ごとに揃えていく、普段なら想像するだけで目が回る事態だったが今は利用者のリクエストも少ない。 「手塚は当館リクエスト。笠原、おまえは返却されたのを戻しながら整理」 「はいっ」 新人の頃なら堂上の指示に泡を喰っていただろうが、柴崎の特訓とその後の業務でだいぶ……それでも完璧ではないところが我ながらいたたまれないが、それなりに分類と配置は頭に入っている。郁は手塚とそろって返事をした。 自分で運んできたばかりの書架の前にしゃがみこみ、まずはざっと分類ごとに別ける。 すると気付いた堂上が小さく頷いた。 「効率いいな。頭を使うことを覚えたか」 自分は他館リクエストの束をめくりながらの堂上の褒め言葉も、続いた落としで半減だ。 反論しようにも自分がそう言われるほど警備以外からっきしなのは周知の事実で、どーせと唇を尖らせるのが関の山だ。 「……脚なら負けないのに」 スタートダッシュや瞬発力なら堂上にだって負けないのに。長距離になれば男女のスタミナの差はどうしようもないが、持って生まれたバネやそれを活かした走りなら陸上関係者の間で話題になるほどで今も郁の自信に繋がっている。 「何か言ったか?」 と訊ねる堂上に何でもありません! と返して選別に戻る。 「あれ?」 「どうした」 その雑誌を手にしたのはすぐ直後のことだった。 「うわぁ懐かしい、ランマガだ」 返却されてきた本の中に埋もれていたのは、廃刊になった陸上の専門誌で郁も現役時代によく読んでいた。本の価格が高騰した現代では走法の解説にコストのかかる写真を多数使ったり、競技関係者にしか需要が無い専門誌は生き残れなかったのだろう。郁が大学を卒業して少しした頃、廃刊になったと後輩に聞いて寂しい思いをしたその雑誌に目が輝く。 顧問が自腹で買ってくれていたランニングマガジンを部員たちと奪い合って回し読みした。丁寧な解説がウリだったから今もバックナンバーを参考にしているあたしのような選手がいるんだろうか。考えると胸に興奮が湧き起こる。 「これ陸上の専門誌なんです。あたしも何度か載ったことあるんですよ。あれ、この号って……」 何事かと集まってきた堂上と小牧に掲げてから、見覚えのある表紙に慌てて中を捲った。 「あっ、やっぱり! これあたし載ったやつですよ、ほら」 インターハイの予選を特集したページの中表紙に高校生の自分がいた。ゴールの瞬間を捉えた瞬間で高校時代のライバルに競り勝ちインハイ出場を決めた瞬間でもあった。 ラストスパートで乱れたランシャツから薄くお腹が見えているのは痛恨だったが、全国の陸上選手が目にする雑誌に載ったとこは誇りになっている。 「へぇ、すごいじゃない」 覗きこんだ小牧が素直に褒め、郁は照れくさくも嬉しくて相好を崩した。 「学校に写真を使わせて欲しいって連絡がきたとき、ちょっとした騒ぎになったんですよ。OBには腹でてるって笑われるし後輩の男子たちなんて自分も買うってはしゃぐし。嬉しかったけどあれは恥ずかしかったなー」 「この写真……あぁなるほどね」 「高校生のお小遣いじゃ厳しい値段なのに、ほんとに買ったやつもいたみたいですよ」 懐かしい光景を思い浮かべて遠い目をしかけた……先で、堂上が渋い顔をして腕を組んでいた。 「あの、教官?」 様子がおかしいと思ったとたんに業務中なのを思い出した。 「すいませんっ、すぐ業務に戻りますっ」 「いや、今日は余裕があるしな。別に……」 にしては堂上の顔は仏頂面もいいとこだ。何か他にまずいことしただろうかと内心でびくついていると、小牧がくっと喉で笑った。 「いい写真じゃないの」 郁の手から雑誌を借りて小牧は頑なに見ようとしない堂上に渡す。 堂上はおもしろくなさそうに写真を眺め、窺う郁には「良かったな」とだけ声をかけた。 いくら業務中に私語にうつつを抜かしたとはいえ、ちょっとは褒めてくれるかと期待していた郁はしょぼくれる。 「それだけ? ちょっとそっけなさすぎじゃない」 「うるさい」 代わりに咎めてくれる小牧にあぁっありがとうございますっと感謝の視線を向けたとたん、小牧が咎めているだけではない雰囲気なのを感じて郁は首を傾げた。 「高校生の話だから。今の笠原さんにはどうしようもないし、言っても理解できないでしょ」 あれ、もしかして小牧教官、からかいモード? 小牧と堂上には通じているのに、郁には理解できない。後から合流して覗き込んだ手塚も不思議そうにしている。 「笠原さん、後輩に人気あったでしょ」 「おい、小牧っ」 「はぁ……慕われてはいた、とは思いますけど」 人気となるとどうなんだろう。男女の関係で? それはないと思う。自分はそういう目で部員を見てなかったから分からない。 「いいかげんにしろ業務に戻れ!」 理解できないまま堂上の怒号に慌てて背筋を伸ばす。 もしかして珍しく教官だけがからかわれているんだろうけど……なんか想像するより面白くないかも、あたしには通じてないし。 やっぱり不公平と唇を尖らせた郁には、引き締まった脚と普段なら見えない腹部に男は惹かれてしまうもので、後輩たちがはしゃいでいた理由を堂上が察したせいで不機嫌になったなどとは理解できなかった。 |
あとがき
初の図書戦で拍手お礼でした。
猫百匹は中学と大学で運動部でしたが、
どちらでも自主帰宅運動を実施していたので、実はよく分かりません
陸上は特に。
なので、図書館で陸上の指南書を参考にパラってたとき、ふっと浮かんだ話