無自覚爆弾



 午前の訓練の過酷さを物語るように、食堂は昼の定食を流し込む隊員で溢れていた。特殊部隊なら尚更、郁はもう慣れた様子で箸を休めることなく体に栄養を行き渡らせる。
「あー生き返った」
 ほとんど噛まずにいたものだから郁が食べ終わってもまだ、柴崎は半分も進んでいない。手塚も同じ訓練をこなした筈なのに、いたくのんびりした様子だ。
 手持ちぶさたになった郁はそういえばと前置きして箸を置き、ふと思いついたことを口にした。
「今朝話した昨日のことだけど、やっぱり男女差って仕方ないのかな。教官が上にくるともう身動きできないってやつ」
 顔をあげて喋ったものだからその声は思いのほか響いて、周りで慌ただしく昼飯をかきこんでいた防衛部員は一斉に動きを止め、耳をそばだてる。
「いきなりなんだよ。脈絡がないにも程があるだろ」
「手塚ったら、笠原にまともな文法期待しても無理でしょーよ。で? 堂上教官との話がどうしたって」
 爆弾を落とした郁本人はそんなことになど気付く様子もなく、その郁と同じテーブルにいる手塚と柴崎もあっさり話題に乗っている。動揺しているのは周囲だけだ。心なしかざわめきが押さえ込まれた食堂に、次の爆弾が投下される。
「堂上教官がうまいんだろうけど、寝ると逃げられないから。身長差って、横になったらそんな意味ないと思うんだけどなぁ、やっぱ経験の違いかな」
 横! で、上っ!
 野次馬の好奇心はある種の想像、いや妄想で掻き立てられた。基本が男所帯の上に相手は唯一女性の特殊部隊員だ。郁の存在はただでさえ目立つところにどうやら艶っぽい話、となればそれも致し方ない。
 数人がごくりと喉を鳴らしたのは、昼食を飲み込んだのとは違うのだろう。
 昨日って言ったよな。つまり堂上二正と笠原は昨日そういうコトをしたわけか。
 堂上班は昨日、公休じゃなかったはずだが、寮の門限までのご休憩なら。
 これは聞き漏らしてなるものか。
 箸が鳴るのも咀嚼の音も鼓動すら邪魔だ。
 そんな思惑で食堂は更に静まり返って、変わりに興味津々といった空気があちこちから漂いはじめる。
「だろうな」
「そっかぁ」
 手塚が本日の定食――ボリュームと味付けは文句なし、その変わりに少々歯ごたえのあり過ぎる豚のしょうが焼きを飲み下したらしい、端的な返事が響く。柴崎はまったく興味のない顔でうどんをすすっている。
 どちらの反応も野次馬連には信じられなかった。
 あの笠原が、どうやら色事について語っているというのに、何故そんな無表情でいられるのか。もしかしてこんな話、彼らの中では日常茶飯事なのだろうか。……だとしたら恐るべし特殊部隊、と柴崎さん。
 皆いささか見当違いの尊敬をしてから、こっそり続きを期待した。
「お前にはお前の武器があるからいいじゃないか」
「えー、でもやっぱ悔しい」
「経験値が違うんだからしょうがないじゃないのー」
 なるほど堂上二正は経験値が豊富……。
 野次馬の妄想がとめどなく広がりそうになった時、ネタばらしはあっさりと訪れた。
「寝技で勝てないなら、得意技を磨けばいいだろ」
「大外刈も勝率五分だもん」
「あんたねぇ、勝つことが訓練の目的じゃないでしょ。対象を確保して動きを封じんのが目的じゃない」
「素人相手に勝ち負け競うことはしないわよ。でも一度くらい教官から一本取りたいなーって思っただけで」
「お前あるだろ。ほら事務所で」
「あれは! 教官が身構えてなかったからっ、ていうかあれは論外、蒸し返すな!」
 話しながら笠原以外、二人も食べ終わったらしい。食器を下げながら、どうしたら上官から一本取れるかを話しつつ食堂から去っていった。
 残された野次馬は消化できない好奇心と恥ずかしさを前に誰も口を開こうとはしない。
 ややあって誰に聞かせるでもなく零れた一人の「俺たちも食べちまおう」という呟きで、箸が動く音が食堂に戻る。
 無自覚な爆弾は、意外な形で図書隊員に意思の統一をもたらしただけで静かに終わった。

あとがき

自覚がない≒天然は、おいしいところを持っているのです
柴崎はわかっててさりげなく煽ってるのです
郁で遊ぶのは楽しいよ、うん