慣れるまで隣にいるから



 あつしさん
 あつしさん

「夢の中なら素直に呼ぶくせにな、お前は」
 堂上は背中から聞こえた郁の声に返事をした。
 途端にふふっとくすぐったそうに笑った郁の吐息がうなじにかかる。
 
 特殊部隊の飲み会から帰る道すがら、寝落ちした郁をおぶって寝言を聞かされるのは毎度のことだ。
 
 あつしさん、ってよぶのテレる

「名前を呼ぶだけでいちいち照れるな、阿呆」
 当たり前のように言い返した途端、先の路地から人が出てきてぎくりとしたが、やがて相手は当たり前のように通り過ぎて行った。
 ほう、と知らずに詰めていた息を吐き出す。
 何しろ、傍から見ればれっきとした“会話”でも、実際は堂上の“独り言”だ。
 女性をおぶって暗がりを歩きながら独り言なんて、よくよく考えなくても不審極まりない。
 もとはと言えば、こいつが名前呼びの大盤振る舞いをするから、つい一言、言ってやりたくなっただけだ。
 付き合い出して、まぁおいおい呼び名は変わるかと静観していたら、結婚を切りだすまでとうとう教官のままだった。
 それだって本来は、教育隊から正式に特殊部隊へ配属された時点で階級呼びに変わってしかるべきはずのものを、三年も大目に見てやってのことで、このまま放っておいたら一生教官のままかもしれないという嫌な予感に自分から名前で呼べと切り出した始末だ。
 なのにそれ以降も、郁は相変わらず教官と呼ぶ。
 仕事からプライベートに変わっても、つられて慣れた呼び方で呼んでしまうらしい。そのたびに「あっ」という顔をするから名前で呼ぶのが嫌なわけではないというのは、良くわかった。

 あつしさん
 あつしさん

 なにしろこの通り、本人は夢の中でなら名前の連呼だ。
 こんな状態で寮に入っていけない、ましてや部屋に送ったあとで何を喋られるかわからない……同室はあの柴崎だというのに。

 見つけたベンチにそっと郁を降ろすと、妙にさっぱりしたものが欲しくなって脇の自販機ではじめに目に付いたお茶を買う。
 今夜も堂上はさほど飲めていなかったが、酒にスポーツドリンクは厳禁というのは体に脳裏に刻み込まれている。
 郁が目を覚ましそうならもう一本と横目で見るも、完全に熟睡モードに入った郁は身じろぎすらしない。堂上は隣に座って、買ったお茶を一息に半分飲み干す。
 冷えた緑茶が喉を洗って、頬の温みまでつれていくのが心地良い。
 そのせいで、自分まで照れていたのだと気付かされた。
 名前を呼ばれるだけでいちいち照れるか、俺は。
 
 ……呼ばれて当然だと自分も慣れるまで、まだしばらく教官と呼ばれても大目に見るか。
 
 堂上は知らず知らずのうちに郁を甘やかして、残ったお茶をのんびりと傾けた。

あとがき
あつしさん、めろんめろん
時間稼ぎをしても、柴崎はじめ特殊部隊の面々には
名前で呼ばれるたびにめろりんなのが
とっくにバレバレなら良いと思うのです