カモミールのブーケ



「そっちはどうだー」
「えーっと、お風呂用洗剤とトイレ用でしょー。あと」
「ちょっと待った、何だって?」
 言いながらこちらに向かう足音がして、洗面所のドアからひょいと顔が覗いた。
 ついさっきまでの引っ越し作業の名残で、首にタオルをかけた堂上が壁を下敷きにメモを伸ばすのをどこかくすぐったい気持ちで見詰める。
 こんな姿もかっこいいって思っちゃうのって、あたし新婚ボケし過ぎ?
 でも柴崎達が手伝ってくれていた時には出来なかったんだから、ちょっとうっとりするくらい大目にみて貰えるだろう。誰に、って誰かに。
「風呂……と、トイレ。あとは、ってどうした?」
「なんでもないっ。トイレに消臭剤も追加でよろしくです」
 見詰めていたのがバレないよう慌ててメモに視線を移した。
 本人にバレるのが一番恥ずかしい。
 付き合っている時には“トイレ”という単語も言えなくて、ちょっととかお化粧がなんて席を立っていたのが、今は平気で口にしているくせにそれはそれ。慣れの問題だ。
 けれど、逸らした視線の先で連なる悪筆にも「……あぁ、夫婦って感じ」とうっとりしてしまいそうになって、急いで記憶をフル回転させる。
「そうそう、先輩がパイプ用のつまり取りは必須だって」
「なんだそれ」
 既婚の先輩達にリサーチをかけた結果、いくつか必需品を伝授されたがどの先輩も口をそろえて挙げたのがこれだった。
「お風呂場のパイプがつまり易いんだって。うちはどっちも髪短いから大丈夫かもしれないけど、一応」
「なるほどな。そういうとこは寮とかなり違うもんなんだな」
 もともと寮は当番で毎日必ず清掃しているから、排水溝も綺麗なものだ。
 用意されている清掃道具につまり取りが無いのが、その証拠。
 でも、これからは……。
「これで風呂周りは済んだか? にしても結構な数になるな」
 うっとり再びになりかけて、
「しょうがないよ。一から全部だもん」
 やっぱり自分で言った言葉にくすぐられた。
 細々したものは少しずつ買いそろえていたが、生活用品の大詰めは引っ越し当日と決めてあった。
 身の回りのものはそれぞれ使いさしのがある、何を買うかいちいち寮で突き合わせなくとも新居で揃ってからでいいだろうという堂上の合理的な提案だ。
 堂上は台所から攻め、自分は水場周りを担当しての買い出しリストはもうかなりの長さになっている。
 これがこれから二人で生活するはじめの長さ。
 多ければ多いほど、実感が湧いてきてくすぐったい。
「洗濯系は……今のところ二人分あるからいいな。他に見落としないかもう一回あっち見て来る」
 けれど、夫の言う通りここらで抑えておかないと、いくら力自慢夫婦とはいえ買い物帰りが大変なことになりそうだ。
 確かに篤さんの言う通りなんだけど。だけどさ。
 いちいち新婚の空気にはにかむ自分と違って、まるで業務の様にこなす堂上にほんの少し、本当に少しだけつついてみたくなった。
「まさか同じ洗剤使ってるなんて知らなかったな」
 台所に向かおうとした堂上の背中が止まる。
 これはもしかすると結構効果的、か?
 洗濯機の脇に設えた棚に、二つ並べた洗剤をしれっと流そうとしたのはもしかしたらもしかすると、かも。
「あんまり強い香りじゃないから気付かなかったな、篤さんも使ってるなんて」
「たまたまだ、たまたま」
 やっぱりこれは効いてるっぽい。
 早口で言い捨てようとしている時は大抵、あまり触れて欲しくない時なのを知っている。
 なんだか無性に嬉しくなって、同じボトルを持ち上げて揺らす。
「えー、嘘だ絶対。偶然で選ぶ? 図書隊シンボルのカモミールの香り」
 自分もあえてその洗剤にしていたのを棚に上げて、頑なに振り向かない背中に満面の笑みを送る。
 自分も使っているからこそ、市販の洗濯洗剤にカモミールを謳っている物があまり無い、少なくとも図書基地から近い店で簡単に手に入るのはこれ一種類だと知っている。
 ひとつしかないその香りを、その意味を、偶然選んだなんて誤魔化されない。
「……篤さんって、ロマンチストなとこあるよね」
 重なる偶然に浸りかけていた顔に柔らかい衝撃がきた。
「ひどい、ちょっと嬉しかったからなのにっ」
「うるさいっ」
 頭に被ったのは、さっきまで堂上の首にかかっていたタオルだと、感触とこちらに向き直った姿からタオルが消えているので分かる。
 手にしていたボトルを戻したのと、タオルを引き寄せられたのはほぼ同時だった。
「二度とそのむず痒い言葉を俺に当てはめるな」
「……照れなくてもいいじゃん」
 そんなに眉間にしわを寄せてまで。
「それに洗剤だけじゃなくて、他にもいろいろロマ」
「二度と言うなっ」
 他にもいろいろ。
 不器用だけど時々不意打ちでロマンチスト。
 口にしようとした言葉は、タオルをさらに引き寄せられて途中で切れた。
 言わせないように実力行使で口を塞ぐのがロマンチストじゃないなら何だってのよ。
 カモミールの香りに包まれながらのキスは、語気の荒さと真逆でひどく優しかった。

あとがき

新婚いちゃいちゃでロマンチックが
止 ま ら な い !
止める気も無い