カウントダウン



 かちりと錠がはまる音がやけに大きく耳でハウリングして、ドアを後ろ手に閉めた途端、全身から力が抜けてずるずると崩れ落ちた。
「郁!?」
 先に部屋に入っていた堂上が瞬時に手を差し伸べてきた。驚いた顔で支えようとする堂上に力なく笑って、大丈夫だと手を上げる。ゆっくり深呼吸を二回、えいと弾みをつけて立ち上がると照れ隠しに足を叩いた。
 今日の為に選びに選んだキレイめのパンツは生地もいいのか、パンと小気味よい音をたてる。その音に気持ちがしゃんとする。
「ちょっと、緊張がとけたら。もう大丈夫」
 首を竦めて笑うと、理由が分かって安心したのだろう堂上もネクタイを少し緩めて笑みを浮かべた。
「なんで自分の実家でぶっ倒れるまで緊張するかな」
「自分の実家だからこそに決まってるじゃないですか」
 実家。いろいろと確執のあった家族と暮らした場所。そこに堂上と二人で改めて訪問なんて、緊張するなという方が無理、無茶、無謀だ。そこでやっと、こちらがいろいろ勧めなくてはいけない立場なのだと思い出す。
「えっと、あ、あったあった。これ座ってください」
 実家にいた頃、常に使っていたクッションをベッドの上に見つけ堂上の前に差し出し、自分も部屋の隅から引っ張り出した座布団を整える。
「どうぞ?」
 座らない堂上に再び声を掛けるが郁とクッションと座布団を順に見やった堂上は、じれったそうに郁の手を引いてクッションに座らせ、自分は座布団に胡座をかいた。
「さすがにそれに座る勇気はないぞ、俺には」
「えー、何でですか可愛いのに」
「だからだよっ!」
 郁が高校生の頃、ハマっていたキャラの特大クッションだ。文房具に雑貨にと、小遣いと相談してあれこれ集めていた中でも高価なクッションは一番のお気に入りだからこそ勧めたというのに。
 でも、と想像してぷっと吹き出す。
「見たかったかも、可愛いクッションに座る教官」
 頭の中には可愛いクッションに眉間へ皺寄せて座る堂上が浮かび、それがもうツボに入って笑いが止まらなくなる。
「お前な」
 実物が眉間に皺を寄せかけ、一転、ふっと柔らかい顔になった。
「やっと笑ったな」
「……え?」
「いや、ずっと顔こわばってたからな」
「それは、その」
 正座した膝の上でぎゅっと拳を握る。
 だって、と呟いた声はほとんど無音で、聞き取れなかったのだろう堂上が首を傾げる。
「だって……だって! 親に恋人紹介するとか、人生最初で最後で緊張するなってのが普通じゃないのに、昨日もさんざん眠れなかったし、なのになんで教官はそんな余裕なんですかっ」
 言い訳から八つ当たりに転じた郁を変わらず微笑ましそうに見ているのもしゃくに障る。
 ふいと顔を背けると宥めるよう頭を撫でられ、それがまた余計子ども扱いされているみたいで更に首を捻る始末だ。
 どうせ恋愛経験ほぼゼロですよ。教官の自宅に招かれた時みたいにリラックスして迎えろなんて無理。
 今日だって逆の立場の自分の方が、父や、母や、そして堂上の言動が気になって気になって前日は明け方まで寝返りを打つばかりだった。
 最寄り駅までは却って饒舌に話が出来たのに、自宅への道すがらだんだん無言になっていったのがはるか昔のことに思える。
 挨拶もそこそこ、あれこれ詮索したがる母親が余計な事を言い出す前にと、堂上が言うべきことを言ったと勝手に判断した後は、逃げるように元自室に堂上を引っ張り込んでこの状態だ。
「余裕、なんてないけどな」
 頭を撫でられながらのセリフに、ふんっとやさぐれる。
「ありあまってるようにしか見えません」
 郁さんと結婚を前提にお付き合いさせて頂いている堂上篤と申します。はっきりと両親に言い切った堂上は、どんな困難な作戦に挑んでいるときよりも凛々しく、迷いなく、郁の目には余裕があるとしか見えなかった。
 事前に父親に根回しをしていたからだろうが母も表立った反対こそしなかったものの、どんな矢が飛んでくるかわからない状態で神経は疲弊するばかり。淹れたてのお茶を三口で飲み干してしまった郁に比べ、質問にも堂々と答える堂上はやっぱり余裕に思えた。
「……お母さん、失礼なことも言ったのに」
「あのくらい、大事な娘と付き合ってる男に当然のことだろ」
 反対はしていないという大義名分があるからか、短い間にも母はあれこれ口にした。郁の耳には失礼だとしか聞こえなかった質問を、当然といなせる堂上の器に自分の小ささを思い知らされる。体ばかり大きいくせして。
 子ども扱いされても当然だ。
「教官のご家族はあんなに快く受け入れてくれたのに」
 なのに卑屈な呟きが止まらない。
「うちも大概だったろうが、特にあの馬鹿妹が」
「そんなことありませんっ、なのにあたし、初対面で酔っ払ったり……教官みたいに余裕もてませんっ」
 クッションばかり可愛くても自分の態度は可愛くない、わかっているのに止まらない。宥める手のひらに、無理やり止めてくれないかなんて他力本願までしてしまう。
 その途端に手が離れた。
 卑怯なことを思い浮かべた罰だろうか。あ、と縋った郁の視線はそのまま膝に落ちた。
 堂上が膝の上で握り締めたままの郁の手をそっと包む。
「だとしたら覚悟だろうな」
「覚悟、ってなんの……?」
「決意とも言うか。何を言われても、どんな反応されても、手放すつもりも諦めるつもりもないから来たんだしな」
 堂上の指が郁の薬指を撫でた。
 そこにはまだ何もはまっていない。
 ただ包む手のひらの温かさと強さが決意を伝えてくるだけだ。
「きょう……」
 口が慣れている呼び名を出しかけて、きゅっと唇を噛む。
「篤さん」
 新しい呼び名に顔にも体にも熱が出るが、呼ばれた堂上も一瞬照れくさそうな顔をしたからおあいこだ。
「ありがとう。それと、八つ当たりしてごめんなさい」
 自然と言えた。
 一度、堰が切れると言葉が自然と溢れてくる。
「こういう状況に慣れてないからてんぱっちゃっただけで」
「あぁ、大丈夫だ、わかってる」
「ここに篤さんと一緒に来るなんて未来想像もしてなかったし、現実なんだと思ったら緊張しちゃって」
 生活感の薄れた自分の部屋を眺める。
 今ここにいるのは現実だけど、もうここはあたしの居場所じゃない。
「あたしここで、この部屋で図書隊に入ろうって決意したんだ。絶対にあの図書隊員みたいになるって。ずっと篤さんの背中追いかけて後悔なんてしてない。だから篤さんにも後悔させないように頑張る」
 つかえながらの言葉を静かに受け止めて、
「後悔なんてするか、阿呆」
 世界一、甘く聞こえる言葉をくれた。
 触れあっていた手がどちらからともなく絡められる。
 そのまま顔を寄せ合って、唇が触れる。寸前、階下から何か聞こえた気がして二人同時に動きを止めた。
「お茶が入ったって……さっきも飲んだし空気読んでよお母さん」
 がくりと肩を落とした郁の頭がぽんぽんと撫でられた。立ち上がりながらくつくつと笑う堂上はやっぱり大人の余裕がある。
 くそう、と妙な反骨心が湧いた。
 笑う堂上の唇に自分のそれを一瞬、重ねた。
 僅かに目が見開かれたのを確認して、満足が羞恥に変わらないうちにさっさとドアに向う。
「今度はちゃんとフォロー入ります」
 勤務中と同じ物言いは充分に気恥ずかしいからだとバレバレだとしても。
「了解」
 同じように返してくれた堂上に安心して、気持ちも新たにドアを開けた。

あとがき

定期更新を終了したくせに、映画公開前の地上波放送見てたら
教官ーーーーー!
と溢れて止まりませんでした。
教官も「励めよ」って言ってたし。
そりゃ励むよ禿げ上がるほど励むよ励まなきゃ嘘だよ。