激しくもなく、冷やかでもなく



 瞼に強い光を感じて、郁の意識はまどろみから一気に覚醒へとシフトした。
「おはよう」
 続く声にぱちぱちと瞬きを数回。クリアになった視界は暗く、その影の正体が覗きこんでいる堂上と気付くまでに、もう数回。
「……はよ……ござい……す」
「気持ち良さそうに寝てるとこ悪いけどな、今日は回る予定多いんだからそろそろ起きろ」
 堂上が部屋の灯りをつけてから目覚めるまで、きっと一分もかかってない。特殊部隊は良化隊の夜間襲撃に対応するため、何があっても睡眠から一瞬で体を動かせるように訓練している。公休日で、しかも外泊しているのに反射で起きたことを褒めて欲しいところだが、堂上はお構いなしに郁が抱えていた上掛けをはぎ取った。
「いやぁー、返してー、それに眩しいー」
 頭に浮かんだ単語を順番に叫び、足元にまとめられた上掛けを求めて体を丸める。昨夜寝る前に浴衣を着ていなかったら、そこに「えっちー」が加わっていたところだ。
 着ていてもどうせ帯でかろうじて残っている状態だが、それはそれ。いま大事なのは布団奪回。
 ずりずりと這い、もう少しで潜り込む……というところで、当然のように上掛けをベッドの下まで放られる。
「……酷い」
「ぎりぎりまで寝かせてやっただろうが」
 耳元で呆れたようにそよいだ堂上の呼気からミントの香りがした。
 頬から顎へ手を伸ばすと肌はしっとりと冷たく、男性の寝起きにあるはずのざらつきもない。
 見れば既に着替えも済ませてあり、確かにぎりぎりまで寝かせてくれたのには違いない。
「いま何時?」
 カーテンはしまったままなので、日の光で時間を測れない。
 建蔽率いっぱいいっぱいの都会事情では、うかつにカーテンを開けたら隣の窓と「こんにちは」なんて事態になりかねないのを分かっていて、室内灯をつけるだけにしてくれた堂上に聞くと
「○八三○」
 業務連絡のような返事がきた。
 つまり午前八時半で、起きて軽くだけどそれなりに化粧して着替えて朝ごはん、それから移動するとなればショッピングモールの開店時間ぎりぎりだ。
 じゃあ起きなきゃ。
 とは思うのだけど、なんとなく手が堂上の顔から離れてくれない。
 堂上も時間だと言いつつ強引に止めさせるつもりはないのか、しばらく郁の好きにさせてからお返しのように寝癖だらけだろう頭を撫でてくれる。
「なんかいいなぁ、こういうの。ぎりぎりまで寝ててー、そっか、結婚したら毎日これで起こしてもらえるんだ」
「お前は毎朝俺にだけ朝飯作らせる気か」
 笑い交じりの抗議に、んー? と首を傾げる。
「……そうか、作らないとご飯出てこないんだ」
「だから今日は道具揃えにいくんだろ。そこから思い出させないと駄目か」
 堂上の手がくしゃりと髪を混ぜた。
 二人とも寮暮らしが長い。
 自前の調理器具なんてものは当然なく、食器ですら箸、スプーンとフォークにカップ類、皿が数枚。主に果物と菓子用のまな板と包丁でさえ、同室の柴崎と共用だ。男子になるともっとシンプルで、果物はかぶりつく菓子はわし掴みというスタイルも珍しくない。几帳面な堂上でさえ、訊けば「……あったはずだ」と朧気な答えだった。
 結婚の道筋が大方見えてきたのもあって、新居で必要なものを一度に購入してしまおうと何でも揃っていそうなショッピングモールへ行くことにしたのが、今日の予定だ。
 食事といえば時間に温かいものが出来ていて、後片付けも食堂のおばちゃん達がやってくれる。
 今更ながらそのありがたさを痛感する。けれど、それ以上に堂上と人生を共にする喜びの方が大きい。
 頭を撫ぜる手に猫のようにすり寄ると、喉からも猫のように笑いが漏れた。
「だってー、篤さんの方が早く起きるだろうし、てきぱき作っちゃいそうだもん」
 本当にそうするつもりはない甘えに、堂上の返事も甘く感じるのは気のせいか、それとも──。
「共働きだからせめて半々だろ。俺だっておまえの手料理を楽しみにしているんだからな」
 穏やかだった笑みが一変。
「──いろんな意味で」
 付け足されたセリフに、どういう意味よ! と郁は跳ね起きた。

あとがき

短いのですが、思いついちゃったので。
別冊1と2の間に、郁→教官へのかしこまったところが
どんどん減っていって
かわりにナチュラルに甘える部分が増えていったら
あたし好み、うん。