今はまだ雛の夢
口実がなくても、公休を二人で過ごすことに違和感がなくなったのと同時に、特に行き先を決めず出掛けることも増えてきた。 その日も、とりあえず外に出るかという堂上の誘いで、なんとなく何でもありそうだからと吉祥寺をぶらつき、ちょうど決算セールをやっていた店を冷やかしたところで昼になり目に付いた店に決めた。 「雰囲気いいお店ですねー、ここ」 「あぁ、お前の嗅覚はさすがだな」 「犬ですか、また犬扱いですか!? 仮にも交際相手を」 案内された席は適度に和風の飾りつけが目隠しとなって半個室になっているから、人目も気にせず盛大にむくれる事が出来る。 アウターを脱ぎ終えた堂上がそんな郁の様子に気付いて、目元を細めるだけの笑いを浮かべた。 「今までお前の選択でハズレがなかったと褒めてるんだ。食の好みが合うんだろうな、毎日になっても安心だ」 なんかそれって凄く大事なこと、さらっと言われた気がするんだけど……。 アウターを椅子の背にかけている堂上の表情は、半ば陰になっていてわからない。 だからどんな意図で言ったかなんて分からないけど、ちょっと仲が進展したと思ったら、すぐ先を行くようなことを言われてばっかりの気がする。 「……ここも合うといいんですけど」 となると結局、憮然とした気持ちなんか吹っ飛んでしまう。 もともと本気で噛みついたわけじゃない。恋人だからこその軽口だ。 揃って席についた頃にはもう忘れるくらいの、恋人気分を盛り上げるほんのじゃれあい。 あぁ、こういうのっていいな……。 うっかりすると弛みきってしまいそうな口元を誤魔化すために、郁は勢いよくメニューを開いた。 「食べながら午後どうするか決めましょうか」 「そうだな。ランチメニューは二種類か」 「あ、この和風ハンバーグランチおいしそう。でもチキン南蛮も捨てがたいなぁ」 「どっちか頼んでやるから。好きな方選んでいいぞ」 当たり前のように分け合うのが前提で勧められ、メニューを覗きこんだまま顔を上げられなくなってしまう。 また、しれっと甘やかすことを言うんだから。 もしかしてあたしこの先ずっと、この人の何気ない一言にドキドキする一方なんじゃないだろうか。 あたしが教官をドキドキさせることなんて……、仕事でミスした時くらいとか? 恋愛方面でドキドキさせるなんて……。って、咄嗟に思いつかないあたりがもう既に駄目なんじゃないの。 「デザートはどうする?」 「はっ!?」 想像力が暴走しはじめていたところに声を掛けられ、不自然に声が裏返った。 「いや、だからデザート欲しいんじゃないのか?」 「え、あ、デザートですか。今日はどうしようかな。和風のお店だとデザートもあっさりしたヤツ多そうじゃないですか? 教官も何か食べません?」 「そうだな、メニュー貸せ」 慌てて口数が増えたのを堂上は特に不振がる様子もなく、郁の手からメニューを抜いて選び始める。 「デザートでしたら限定の雛まつりプレート、オススメしてますよ」 「雛まつりプレート?」 そんな空気を読んでいたのか、ちょうどいいタイミングでお冷を持ってきた店員は堂上の手にしているメニューの裏を指し示した。 「今週末のみカップルでご来店のお客様限定でお出ししてるんです。お二人で分けること出来ますよ」 ひっくり返した堂上が郁にも見えるように向きを変えてくれる。つられて見た郁は、思わず「かわいい!」と歓声をあげた。 一つの皿に、お内裏様とお雛様、それぞれを模したデザインのケーキが並び、前に三つあしらわれているイチゴはきっと三人官女だ。 「お内裏様は抹茶のモンブラン、お雛様は桃のムースになっております。」 「すごいカワイイ。ね、教官」 「凄いな、細工が細かい」 「ね、ほんと食べるのもったいなーい」 「でも食べるんだろ。すいません食後にこれ一つと、ハンバーグとチキン南蛮のランチそれぞれ一つずつで」 「え、教官、自分の分は?」 「分けて食べればいいだろうが」 「でも……別にそれじゃなくても自分が食べたいの注文していいのに」 そんなつもりはなかった。というより、ただかわいいケーキにテンションがあがって、何も考えていなかった。 一つのデザート、それも男女ペアの雛まつり仕様を頼むって、すごく……すごく親密っぽい。 「いいから。飲み物は?」 「じゃあ、食後にこの桃茶っていうので」 「桃の節句だもんな。俺もそれで」 苦笑しながら注文を済ませた堂上も、ひなまつりの話題を畳む気はないらしい。 「どうせ単純ですよ」 「いいじゃないか、とことん雛まつりを楽しむのも。あぁ、雛まつりと言えば」 自然と武蔵野第一の入り口に飾られている雛飾りの話しになった。地元有志の協力を得て、いま入り口では豪華な七段飾りが来館者を迎えている。 「あそこまで大きいのじゃないけど、うちにも妹のがあるな。もう出さなくなったが。笠原家は?」 「うちは母がそういうの大好きなんで、あたしが実家出るまで毎年。でも一度オモチャにしちゃってからは壊すからって触るの厳禁でしたけど」 「あぁ、なるほど。人形遊びの枠を超えてよほど手荒に扱ったのが目に見える」 「つってもほんの子供の頃ですよ? 人形遊びって女の子の本領発揮したのに。出すだけ出して、三日の夜までただ飾ってるだけなんですもん、小学校にあがる頃にはあんまり興味もなくなっちゃいました。出さなくてもいいって言ってんのに出して、片づけ手伝わされるし」 「婚期が遅くなるとか、あるらしいからな。うちは母親の仕事が年によってシフトどうなるか分からんものだから、夜勤にあたった年なんか俺がやる羽目になったもんだ」 「妹さんじゃなくて?」 「あいつは婚期遅れると騒ぐだけ騒いで手ぇださない性格なんだよ」 堂上の母が看護師だというのは聞いている。特殊部隊の中でも知っている者は多い。 でも、ここまで個人的な事を知っているのは、図書隊の中でも自分だけかも。 「教官がいるから婚期逃さなくてすみますね」 家族の過去を共有できる喜びで勝手に唇が動いた。 今はぼやいてはいるけれど、一つ一つ丁寧に片づけたのだろう事が、それこそ目に見える。 きっちりしてる人だから、あたしが怒られたみたいに適当に箱に入れるなんてことはしないで、一体一体きちんと薄紙で包んでしまったんじゃないだろうか。 きっとそうだ。 「えっと、教官、どうかしました?」 褒めたつもりだったから、堂上がやけにまじまじとこちらを見詰めているのに気付いて首を傾げる。 「……いや……人形、雛まつりの話題、だよな」 「はい」 訊かれたから返事をした。 何故か堂上は余計に難しい顔になって、すいと視線を逸らす。 その横顔は、まるで勤務中の厳しい局面に見せるような深い色があった。 わずかな時間で作戦を立てている時のような、部下からの相談に耳を傾けている時のような、ともかく堂上が真剣になっている時の顔だ。 ランチが来てからはいつもの表情に戻ったものの、雛人形のケーキを食べている間、ふと気が付くと何度も真剣な顔に戻っている。 その理由、そして自分が堂上をドキドキさせる事が出来るのかどうかを郁が知ったのは、何年も後になって、うっかり意味深なセリフを言うんじゃないと夫が溜息交じりに白状してからだった。 |
あとがき
教官をもんもんとさせるのが
とことん好きみたいです、えへ
教官が早い段階で結婚を意識してたら? そして郁は相変わらず天然だったら
な話しもんもん