宝石箱の容量



「うわ、なっつかしい」
 部下があげた声に、堂上は反射で顔をあげた。
 その部下には閲覧用の新聞をバインダーに閉じるよう命じていたはずだが、郁の手は完璧に止まっている。
「どうした」
 開館まで間に合うように準備の時間は取っているが、だからといってダラダラしている余裕もない頃合いだ。懐かしいという単語からも深刻に業務関わる話でもあるまい。聞き流しておけば良かったと思うが今さらだ。
 聞いてしまった手前、手にしていた本日から配架分の週刊誌を山に戻す。
 同じく準備をしていた小牧と手塚も何事かと歩み寄り、結局その場にいる堂上班全員で郁の手元を覗き込むと、指し示されたのは何の変哲もないテレビの番組欄だった。
「これです、これ」
「これの何が」
 疑問には疑問で返された。
「え、だって。これ懐かしくありません?」
 指の先には昼過ぎと夕方の境目の曖昧な時間帯、勤め人にはあまり縁のない時間にひっそりと、再の文字が頭についたタイトルが載っている。
「いや、分からん。それがどうした」
 理解されなかったことが不満だったのか、郁は座っていた椅子から上目づかいで堂上を伺った。
 むぅと尖らせた唇が誘うように見えて新聞に視線を戻す。
 こっちがいろいろ覚悟決めようかってときに、なにをそんなに無防備に煽る。おまえ今どんだけかわいい顔してるかわかってないだろ。そんな顔を俺以外に見せるな、俺にはそう言う権利もないってのに。
 強引に引き剥がした視線で案外ほっそりとした指先をたどる。
 一行と呼ぶには短い略称だらけのその先に、ぴんと来ないので首を傾げる。視界の端に小牧も同じ風情なのが見えたタイミングで、あぁと納得する声が耳に入った。
「だいぶ前のアニメだよな。俺らが小……五いや六か? 今さら再放送してんだな」
「手塚も見てた!?」
「あんまり。うちアニメ見る習慣なかったから。ただクラスのヤツが結構ハマってたから良く話題にはなってた」
 流れでそれがアニメで、笠原たちの年代にはかなりメジャーな作品だということがわかった。
 カタカナのタイトルは、上下左右に散らばるテレビ通販のなになにショッピングやダイレクトという文字に埋没気味だ。笠原が指を離して「さてどれでしょう」と尋ねてきたら、捜す出すのに苦労する自信がある。
 第一聞くまでアニメ番組だということすらわからなかった。
 そして、わかった手塚に対して浮かぶこの感情はわからない。
 わからないふりをしている。……という心の声はまだ無視するに限る。
 堂上は主人公がどうの、あの必殺技がどうのという話題を引き継いだ二人と、何か含んでいそうな小牧にさりげなく背を向けて開館準備に戻った。
 子供の頃、アニメ番組や特撮ヒーローモノを見なかったわけではない。自分も同年代と同じく展開に毎週一喜一憂した記憶もある。ただ、男子のなかでアニメやヒーローの旬は意外と短い。決めセリフや変身ポーズの真似も番組の終わりと卒業の時期が重なれば、それから先は個々の性質に寄るところが大きい。インドア派な子供なら次の番組へ興味が移るのだろうが、自分は他の外遊びへと移った口だ。
「つうか、あれ男子向けアニメだったよな? そこまで詳しい辺りにおまえの子供時代が透けて見える」
「うるさいな、かっこいいもんはかっこいいじゃん。あたし誰よりも必殺技の真似うまかったんだからね」
 もし仮に……。
 仮定の想像は自分を追い詰めるだけだと直感が囁いたが止まらなかった。
 もし仮に自分が長くアニメとヒーローにはまる性質だったとしても、笠原たちの話題にしているものを見る目は違ったはずだ。あぁ好きだった時期もあったなと、過去形でしか。
 過去形の差は、何の差だ?
 何かが心に浮かびかけた時、自分の名を呼ばれて体が強張った。
「いいじゃないのよ。──堂上教官、教官はどう思います?」
 どうって。
 おまえが小学生のときに好きだったというアニメがやっていたとき、俺はもう高校生だったんだよ。
 内心で吐いた本音は苦かった。
 無理やり蓋をした苦みは顔に出てしまっていたらしい。顔を向けた先で怯む気配がする。
「そんなことを言ってる時と場合か? いいからさっさと新聞置いてこい!」
「はいっ! すいません」
 郁の出した話題の流れで、郁の怯みに乗じて誤魔化した。
 部下二人は揃って敬礼し、主に郁が慌てふためいて新聞のバインダーを抱えて館内へと走っていく。
 ふいに静かになったところで
「あの程度で痛いと思うなよ」
 小牧の苦笑が入った。
「あんなんで日和ってたらこの先キツイことばっかだよ。年の差ってのは永遠に埋まらないしね」
 現実を突きつける小牧の声は十年下の恋人がいる実感に溢れている。
 付き合いだしてからはうまくいっていると思っていたが、それなりにキツイ場面はあるらしい。
 十の半分、五つの歳の差ごときでとあしらわれている気がして、反駁が口を衝いて出た。
「でも小学生と高校生だぞ」
 それは後ろめたさを感じるのに十分な差のはずだ。
 だが言っている途中でしまったと思った。取り消すのもおかしい間合いを見逃さずに小牧はさらに突きつける。
「何を。俺なんか彼女がオムツしてるときから知ってるんだからな」
 でも、と自嘲っぽく笑った小牧の顔はふっきれた清々しさに溢れていた。
「好きになっちまったもんはしょうがないだろ」
 小牧自身のことを言っているようで、その実ははっきりとしたトドメだ。
 自身の気持ちにこれ以上誤魔化しがきかなくなったと、そう口にしたつもりはないのだが、長い付き合いの友人は堂上が覚悟を決めようと自分に認めたときからちくちくと刺してくる。
「……おまえいつからそんなおせっかいになったんだよ」
 認めるまで指摘せずに手加減されていたのも面白くない。
「別にそんなつもりはないんだけどね。無駄に足掻いても消耗するだけだって、経験者は語るってやつ」
 足掻くという単語がストレートに胸に入った。
 そんなつもりはなかったが、いま全てを思い返してみればずっと、郁が入隊してきたときから足掻いていたような気がする。
 なにしろ郁はさっきみたいな表情や態度をぽろぽろと落として、そのくせ自覚なしときたもんだ。拾って拾って心の中の箱にしまっていくら鍵をかけたとしても、中から溢れそうになるのをもう抑えられない。
「貴重なご意見として聞いといてやる」
「はいはい」
 決めたからには迷わない。
 前に交わした約束はまだ有効だろうか。帰り際にでもカミツレのお茶を誘ってみてもいいか。
 三年足掻いたくせに、始業直後なのが恨めしくなるほど待ちきれない思いを抱えて、堂上は配架準備が済んだ週刊誌を抱えて郁たちを追いかけた。

あとがき

小牧教官と二人きりだと、ちょっと大人げなくなる堂上教官がかわいいと思います
ちょっといじわるになる小牧教官もかわうぃし
知らずに煽る郁もきゃわいいし
まったく気付かない残念手塚もカワイーし
とんでもないやつらです