不機嫌ガーディアン



 キリの良いところで時計を見上げると、そろそろいつもの時間になろうとしていた。
 柴崎はもう一度パソコンの画面を見渡し、入力し漏れているものがないか確認をする。そして幾つかのキーを操作して、作業中のフォルダを閉じた。
 そのフォルダ名は、一見しただけではアドレス帳とは思えないように細工してある。
 笠原の留守でなければ自室ですらおおっぴらに開けない、情報部関係のものだからだ。
 アドレス帳には住所氏名や連絡先、勤務先に役職など一般的な項目以外にも、表に出たら数か月はマスコミをにぎわすようなネタが個別にまとめてある。ちょうどネタを追加更新しようとしていたタイミングで、特殊部隊に飲み会の予定が入ったからこそ、自室で作業できたくらいの代物だ。
 最後にパスワードを変更してパソコンそのものを閉じた。
 笠原を信用していないわけではない。
 業務端末でさえ操作に四苦八苦している笠原が見つけられるものでもないし、そもそも勝手に人のパソコンをいじるような性格ではない。
 逆だ。
 まったく悟られない事で、笠原を守っている。
 手塚慧が弟と自分を手の内に入れようとして笠原をおとりにした件は、大きなしこりとなって胸の奥に残っている。今はお互いに表面上は友好的な態度を取っているが、いつ覆されるかしれたものではないし、そこまで信用はしていない。それに第二第三の手塚慧が現れないとも限らない。
 内緒にすることで二度とあんな目にあの子があわなくて済むなら、幾らでも嘘をつき通せる。
 他人をここまで大事にしたいと思えるようになった存在は大きく、その相手が同期で同室という幸運を自覚できない馬鹿ではない。
 誰かさんに負けず劣らず、ここまで大事に思ってるんだから。笠原もちょっとはあたしと同室でラッキーと思わなきゃ、ランチ奢りどころの罰じゃ済まさないんだから。
 一人でいるからこそ思いっきり鼻をならして、笠原が出しっぱなしで出かけたパジャマ代わりのジャージを布団の下にたくしこんであげる。
 一通り整頓してから、寝る前に軽くファッション雑誌を読んでいましたという体裁を整えて、もう一度、時計を見上げた。
 集合時間から計算して、そろそろ一次会からほどほどに流れ出す頃だ。酔い潰れた笠原を送り届ける堂上から先触れのメールが届く頃でもある。
 女性の部屋に入る前に、いろいろそれなりに男性の目からは隠しておきたいものを、どうにかする時間を与えてくれようとする気遣いはできるのにねぇ。
 三年もいじましく送り届けるだけの立場に甘んじて、やーっとまとまったと思ったのに飲み会の度のメールは健在だなんて。
 相変わらず生真面目というか何というか。
 いつまでも変わらない堂上の性格に苦笑したのと同じタイミングで、まるで抗議のように携帯電話がなった。
 絶対に堂上だ。
 確信が笑みに変わる。
「はーい」
 メールだとは着信音の種類で気づいていたが、返事をしてフリップを開いた。浮かんでいた口元の笑みが固まったのは、その直後だ。

『笠原が酔って寝落ちした』

 そこまではいい。そこまではいつも通りだ。
 でも、

『近場で泊まって休ませる。外泊届は』

 先に二人分処理した、と続く後半は目が滑ってよく読めない。
 動揺した自分に動揺し、その種類が咄嗟にわからなくてまた動揺する。
 メールの文面は、端的にそして如実に、笠原の所有権を謳っていた。
 変わらないと思っていた。それは例えあの二人が付き合いだしたとしても。
 だって付き合いだしてから半年以上も、今まで通りだったじゃない。飲み会の終わりは苦虫をかみしめたような顔で教官が笠原を送り届けて、おしまい。だったじゃない。
 夜の呼び出しで二人が何をしているかなんて分かっていたし、天然記念物並みの笠原と違って、堂上もそういうことしたいだろうということも分かっていたのに。
 いた、つもりだったのに。
 もう送り届けなくてもいい間柄だということを、どうして忘れていたのだろう。

 だから突き放された気がして、動揺した。

 誰よりも先に、いつか必ずくっつくべき二人だと知っていたのは自分だし、適度にからかうと見せかけて一番に応援していたのも自分だ。
 誰よりも何よりも一番近くにいるという自負を、あっさりと覆されていくつもの感情が胸をよぎる。
 
 悲しい? 違う。
 悔しい? 違う。
 うらやましい? もっと違う。

 いくつか否定して、一番しっくりきた単語は、サミシイだった。

 笠原も堂上も、離れたつもりなんて欠片もなくて、これは自分の気の持ちようだ。
 なのにどうしようも出来ない。
 いつだったか、この感情を素直に認める前、酔っぱらって手塚に絡んだことがある。
 あの時は、まるで笠原に嫉妬するかのような手塚の様子に溜飲を下げることで、寂しいと認めることを自分に許した。
 でも、でも。
 それが現実になったら、寂しいなんて言葉では言い表せない。
 
 素早く時間を確認して、握りしめたままの携帯を操作したのは半分無意識だった。

「いま何処? ……そう、じゃあ一人で抜けて。静かに飲めそうなとこ入ったらメールして」
 電話の向こうでは、二次会に向かう隊員の声を背に手塚が困惑交じりの抗議をしていたが、無視して切った。
 ちょうどいい格好を目算で見つけ、さっさと着替える。
 短縮バージョンで済ますことにしたメイク道具の前で、
「……なんで、って」
 ぽつりと声が漏れた。その声は一人でいる部屋の中で予想外に大きく響く。
「そんなの、こっちが知りたいわよ、手塚のバーカ!」
 訊くんじゃないわよ、馬鹿。今日は絶対に奢らせてやる。

 八つ当たりで支度をしながら、こういう時に呼び出す相手が手塚だという事に動揺する気持ちは、まだ封印する事にした。

あとがき

百合なつもりはなく
純粋に
一番じゃなくなることの寂しさ
のつもりで思いついた筈
そろそろ真剣にタイトルを捻りだす力を下さい神様