恋路の邪魔をするヤツは
その夜、手塚がいつもより日課の新聞チェックが遅くなったのは、同室の隊員がたまたまつけたテレビでやっていた映画を昔観たことがあるとかで、手塚はあるか? という何気ない問いかけから世間話をしたため全くの偶然だった。 ◇ 「堂上二正」 共用スペースに向かった先で知った背中を見かけ声を掛けた。 「コンビニですか?」 堂上が寮内でよく着ているジャージに定番のフライトジャケットを羽織っただけのラフな格好に、外に出るのかと当たりをつけ重ねて声を掛ける。 男女共用の玄関にいくつか揃えてあるサンダルを履きかけていた堂上は、振り向きながら廊下に体を戻した。 「手塚か。……まぁそんなところだな」 堂上にしては曖昧な返事に内心首を傾げたと同時、バタバタと騒々しい足音が女子寮の廊下から響いてきた。 堂上は目視で確認して眉間に皺を寄せ、背にしていた手塚も足音だけで振り向く前から郁だと気付く。 「教官おまたせしま……あれ手塚?」 なんでいるんだという顔をして足を止めた郁に僅かにムッとする。 男女共有である玄関前に俺がいて見咎められる筋合いはない。 「お前な、もう少し静かに歩けよ。ここは訓練グラウンドじゃないんだぞ」 その気持ちがそのまま現れた声で苦言を呈してから、彼氏の前で余計だったかと堂上を窺うと、堂上は呆れた顔で 「そんなに急いで来ることないぞ」 と手塚を通り越して郁に言葉をかけた。 「だって着替えてたら遅くなっちゃって」 「……ちょっと外に行くくらいで大袈裟な」 「でも、そこはやっぱり気にするって言うか……あたしだって女だし?」 「わかってるわアホウ」 「あの……俺」 いつまでも続きそうな二人の会話に勇気を出して割り込み、やっと二人の意識が手塚に戻ってきた。 ごく普通の会話、待ち合わせて出る二人のなんてことない会話、当たり前のはずなのに妙にいたたまれない雰囲気に挟まれていた手塚はこれ幸いと堂上に「新聞見に来ただけなので」と頭を下げ、郁を通り過ぎようとして気が付いた。 「笠原、コンビニ行くってのに財布忘れたのか。まさかお前いくら付き合ってるからって堂上二正に払わせるつもりかよ」 郁はいつものジャージではなくジーンズにセーターという寮内基準からは少し洒落っ気を出した格好で、それは手塚の関係することではないからいいとして。 その格好のどこにも財布が入っている気配がないことで、つい尋ねてしまった。 「へっ? コンビニ?」 「い、……笠原!」 何のことだと不思議そうに答えた郁のセリフに堂上の声が被り気味に続く。 「わざわざ財布を取りに戻らなくていい。ほらコンビニ行くぞ」 「えっ、でも……あ……はい! じゃあコンビニ行きましょうコンビニ!」 どこか引っかかる気はしたが、慌てて寮を出て行く二人を見送って、ようやく手塚はいつもの日課に戻れた。 ◇ 「……教官そんなに急いで帰らなくても」 急遽行く羽目になったコンビニの帰り道、訓練速度で進む堂上の背に勇気を出して提案してみた。 手塚は知らないから、そして郁は知られたくないから、まさかちょっと寮の影でキスするつもりでしたーなんてバラす事も出来ず、二人共どことなく口数が少ない状態でコンビニまで行った。 用意のいい堂上が財布を持っていたおかげでアイスをおごってもらい、 「この寒いのに良く食えるな」 「だってこれ冬季限定でまだ食べたことなかったんですもん。ほんとはコタツであったまりながらが最高なんだけど、柴崎の分ないからここで食べちゃいます」 「だから柴崎の分も出すと言ったろうが」 「……それは、あたしが、なんていうか……柴崎にコンビニ行くことになった理由を言えないというか、その。財布持たないで出たの知ってるからとことん追及されそうで」 「まぁだよな。後ろ暗いのはこっちだ」 「手塚が悪いわけじゃないのはわかってるんですけど」 「そこは責めてやるな。そういう所が手塚だ。俺はおまえと出かけられたので十分だ」 などとアイスよりも余程甘い会話をした。 今日はキスはなしかぁ、ちょっと残念、教官とキスしたかったなーなんて口に出せないけど、アイスご馳走になったしそれで十分幸せだよなー。 そう自分に言い聞かせたものの、食べ終わるのを待って一刻も早く帰りたいとでも言いたげに歩かれると唇が尖ってしまう。 少しでも一緒にいたいんだけどな。 そんな気持ちを込めて声を掛けたのに堂上の脚は緩まる気配がない。 くそぅ、もうちょっと可愛らしくおねだりしないと駄目? 教官あたしまだ帰りたくないんです……ってこれは違う絶対違うっ! 「あの」 止まる気配のない堂上へ咄嗟に口を開いたものの、恋愛初心者の郁にうまいセリフが思いつけるはずもなくすぐ閉じた。 そんな郁を肩越しに振り向いた堂上が、気まずそうに時計を見る。 脚は止めないまま。 「門限があるから、ゆっくりもしてられん」 そうだ、ちょっと寮の外に出るだけのつもりだったから、コンビニの往復で門限ギリギリだった。 郁は葛藤をすっぱり切って堂上に追いつく。 「次はゆっくり出来るといいなー、なんて」 かろうじてねだったセリフに堂上は目を瞠り、脚は更に速くなった。 ◇ 「今更ですけど、アイスご馳走様でした」 「あぁ気にしなくていい。うまかったなら何よりだ」 「はいっ、すっごくおいしかったです。教官が奢ってくれたから特に!」 寮の中に入ったら誰に聞かれるか分からない、聞かれたら最後、どう回り回ってか必ず柴崎の耳に入るのだ。 だから寮の手前でもう一度お礼を言うと、堂上は夜更けだというのに眩しそうに郁を見つめその手を引いた。 「えっ、あのっ」 連れて行かれる先は寮の影、門限間近で人気がなく闇が完璧な目隠しになる……いつもの逢い引きの場所だった。 今日はもうキスなしだと思っていた郁が戸惑ったのを拒否と勘違いしたのか、 「お前、次はゆっくりとかあんまりかわいいこと無防備に言うな」 壁に押し付けながら堂上が囁く。 あれはだから次はって希望で、というセリフは堂上の唇に封じられた。 冬の空気で冷えた唇が、逃げを許さないとばかりに郁に重なる。 逃げない、逃げられない、だってあたしも教官とキスしたかった。 真冬に外出して更にアイスで冷えた唇が温まった頃、触れ合う近さで「あのアイスこんな味してたのか」と堂上が呟き、郁はもう二度とあのアイスを平常心で食べられないと思った。 ◇ 「ねぇ、取り敢えず蹴られときなさいね?」 図書館業務で配架をしていた手塚の背後から柴崎の声がしたと同時に、ふくらはぎに軽い衝撃がきた。 特殊部隊と業務部、というよりは男と女の差か痛みはなかったけれど、手塚は突然の暴挙に目をむき図書館の中だから押さえた声でなんだよと柴崎を咎める。 「あーら分からない? さすがそういう方面は疎いわね」 「だから、さっきからなんなんだよ。俺はいきなりお前に蹴られる覚えはない」 「あんたになくともこっちには、というか堂上教官と笠原にはあるのよねぇ」 柴崎は手塚の困惑を余所にチェシャ猫のような笑みを浮かべて顎に人差し指をあてた。 芝居がかった仕草が様になるのはわかっても、相変わらず蹴られる理由がさっぱり思いつかない。 「手塚さぁ、昨日の夜二人に会ったでしょ」 「あぁ」 偶然コンビニに向かおうとしていた二人には会ったが、だからそれが何で。 「ほんとに分かんないのねぇ。まぁあんたはまだそういう状況になってないし? 無理もないけど。せっかく観察しがいがある二人なんだから、とにかく人の恋路の邪魔はしないよーに。今日のところは馬じゃなくてあたしのカモシカのような足で勘弁してあげるわ」 だからそういう事を自分で言うか。 言いたいだけ言って、ひらひらと手を振り去って行く柴崎の背中を半ば呆然と見送った。 堂上二正と笠原には正当な理由があると言いたげな口振りだったが、夜に外に出るならコンビニくらいしかないだろう、だから訊ねただけだし例えそれが理由でも堂上二正がそんな理不尽な真似をする筈がない。 笠原はよくゲンコツを食らっているがあれは十中八九笠原が悪いからで、手塚の憧れる上官としての堂上は基本的に理性で部下を納得させようとする人だ。 第一、今朝も特殊部隊の事務室で顔を合わせたが手塚に蹴りを入れたいほど腹を立てている素振りなんかなかったぞ。 笠原は手塚と目を合わせないようにして挙動不審だったが、あいつがおかしいのはいつものことだ。 「やっぱり分からない」 柴崎の思考回路を解明できる日なんて来るのかよ。 ぼやいた手塚の脇を通りかかった今日のバディの郁が、 「なになに、手塚でも分からないことあるの?」 なんて呑気に声を掛けたものだから手塚はますます不機嫌になった。 |
あとがき
ほんとは手塚メインで柴崎がからかいまくりーの
のつもりだったのに
せっかく呼び出したのにチュー出来ないままじゃ
あまりにも教官がかわいそうで(郁ではなく)やっぱり堂郁になっちゃった。