二分の一のミス



 剣呑な音をたててドアが閉まった後、しばらく特殊部隊の事務室内は普段通りのままだった。
 お調子者の集団とまで言われる程、素の顔はおちゃらけているにも関わらず、だ。早い班は朝礼後の支度をもう済ませて、普段通り本日組んであるスケジュールに入っている。
 内心で安堵の息を吐いて、堂上も周りを刺激しないよう静かに書類をまとめた。
 そんなに大きな声を出したつもりは無い。
 それほど広くもない事務室に全員集合していたが、たいして密集していたわけじゃない。きっと聞かれていなかった、先に準備に入った二人だけにはしておけない、このまま自分も監視の準備に入ろう。
 と、安心しそうになったタイミングで小牧の上戸が入った。

「あそこで真逆の意味に取っちゃうのが笠原さんだねぇ」

 ──くそっ。
 内心で舌打ちするが小牧の笑いがおさまる気配はない。
 何だ何だと寄って来た隊員達を無視して堂上は努めて無表情を装い、窃盗事件の監視について大雑把にスケジュールを組みにかかった。
 引きだした椅子がいつもより軋む音を立てたのは、気のせいに違いない。
「笠原がどうしたって?」
「今ですね。堂上が笠原さんに監視のときミニスカート履くなって指示したら、笠原さん怒っちゃって」
「あぁ、なるほどな」
 ご丁寧に解説をする小牧を絞めたくなったが、過去の経験が警報を鳴らしている。
 ここは、全力で無視せよ。
 しかし、それだけの説明で理解されてそこは素直にほっとした。
 今となっては柴崎の悪戯交じりだったと分かるが、前回、郁がエサになった時、こともあろうに膝上まで露わな短いスカートで大外刈りに入ろうとした女だ。
 あの時は途中で気づいてくれて良かったとほっとしたが、関係が変わった今はそんな事態になったことを想定するだけで腹立だしい。
 郁には勘違いされたが、上官ではなく恋人として一言釘を刺しておきたい心情を理解されて肩の強張りが溶ける。

「ま、カノジョのパンツを他のやつらに見て欲しい男なんかいねぇよな」

 体が緩んだ拍子に心の声が漏れたかと焦ったところに、ししししと押し殺した笑い声が重なった。

「進藤」
 笑い声の主を窘めたのは緒形だ。だが、その緒形の声にも隠そうとして隠しきれない笑いが含まれている。
「発言が露骨過ぎる。笠原が居たらセクハラになりかねん」
「悪い悪い。笠原も女だったな。……いや」
 そこで区切った進藤は、今更のように笠原が女性だと気付いたことを謝罪するのかと思いきや、更に人の悪そうな笑みを深くした。

「笠原……じゃなくて郁、か?」

 ぐっと喉が詰まる。頬が引きつる。だがここで一ミリでも反応してはいけない。
 本能の警告はもはや緊急警報並みだ。
「郁、なぁ」
「郁……とか」
 進藤の発言を受けてなにやら遠い目をして呟く隊員達も、ますます上戸に入った小牧もまとめて無視だ。無視に限る。
「名前で呼ぶ関係っていいっすよね。俺も呼んでみたいっす」
「顎ヒゲ、おまえ夢見すぎ」
 見た目まんまなあだ名の隊員がいじられに入るのを無言で後押しする。
 頼むからこのまま、話題が流れてくれ。
 しかし些細且つ深刻な祈りは、再び聞こえた笑い声に却下された。
「長いこと回りくどいことしてんなぁと思ってたら、手ぇ出してから早いタイプか、堂上」
「……いいえ」
 流石に上官である進藤の名指しを無視できるほど肝っ玉が据わっているわけではなく、しぶしぶ端的に答える。
 第一、 先に手ぇ出したっつったら郁の方だろうが。
 時間とタイミングの問題で、何事もなければ自分からいっていたのかもしれないが、はじまりと呼ぶとしたら紙の匂いが充満したあの本屋の薄暗いバックヤードでのキスに違いない。
 厳密にいえば、万引きの汚名を着てまで本を守ろうとした郁と出会った本屋がはじまりなのだろうが。

「王子様から卒業しただけでも進歩だよなぁ、そうかそうか」

 心の中を読んだかのような進藤のセリフに書類を握る拳の関節が白くなった。
 頭の中はとっくに無視無視無視の大合唱で、無表情を保っている顔の筋肉が早くも悲鳴をあげはじめている。
 
「郁、って呼ぶ付き合いになったかぁ」

 ほんの一瞬、口が滑りそうになって下の名で呼びそうになっただけで。
 それも二文字のうち、はじめの一文字で止めたことを、こいつらは。

 事務室の全方向から刺さるにやにや笑いに、我慢が擦りきれそうになるのを深呼吸で堪える。

 ここで堪えないと、このお調子者の集団は際限なく調子に乗るぞ。
 職場恋愛、それも限りなく近しい間で付き合うことになった時点で、ある程度は覚悟していただろうが。
 精神的にもタフでないと務まらない特殊部隊で何年目だ、俺は。

 堂上が忍耐力の限界を押し上げていたところへ、豪快に隊長室のドアが開いた。

「お前達いつまで油売ってるんだ!」
 叱責で動き出した空気に、却ってほっとする。
「堂上!」
「はいっ」
 呼ばわる声音に反射で敬礼を返す。
「さっさと事務方を処理して、監視に入れ」
 そこでにやりと笑った玄田に嫌な予感がするより早く、トドメの一言が飛んできた。
「郁、と手塚を放っておいていいのか」

 やっぱり特殊部隊はお調子者の集団だ。隊長からしてこれだ!
「さっきから郁郁って。あんたらが笠原を名前で呼ぶ筋合いはないでしょう! 行くぞ小牧っ!」
 怒鳴った声に爆笑が被さり、今度は堂上がドアを叩きつける番だった。

あとがき

図書特殊部隊と書いて堂上をいじり隊と読む。
コミックのネタもちょこっと入れてみました。
あと6時間後には家を出て、それから12時間勤務が5連続だってのに
何を満足感に浸ってるんでしょうかね私は。