無意識で伝えて



「ただいま」
 寮の自室に滑り込んだ郁はなにげなさを装い、課業から帰ってきた時と同じトーンを意識して挨拶をした。
「おかえりー」
 柴崎はちょうど風呂あがりらしい。化粧水やら美容液を取り出しているところで、郁はホッとしつつ着替えるより先にお茶を淹れようとさりげなく背を向ける。
 外泊はこれで三回目。郁が外泊する理由は一つ、堂上と過ごすため。つまりは外泊の度にしてきましたと報告しているようで気恥ずかしい。
 自意識過剰なのはわかっていてもお互いに寮住まいで、何をするにも周囲に筒抜けになってしまう環境だと、平気な顔をして外泊から帰れるほど郁に強かさがあるはずもない。
 玄関からそれぞれの棟へ堂上と別れる間だって、他の隊員の目が気になって仕方ないくらいだったのだ。
 これでどうだったーなんて訊かれたら……。特に今日は。
 一心に化粧水を叩き込んでいる柴崎を横目で窺って、タイミングの良さに安堵しながら着替えはじめた。



「そういえばさ」
 顔の手入れを終えた柴崎が、こちらもメールを送り終えて携帯を置いたタイミングを見ていたかのように声を掛けてきた。
「んー、なぁに」
 振り向かないままの問いに郁も身構えず返事をする。
「好きって言ってもらった?」
 そして盛大に噴き出した。
「あー……お茶含んでなくて良かった。含んでたら今ごろ柴崎の背中が悲惨なことになってたかも、ハハハ」
 誤魔化し笑いを浮かべ、誤魔化しじゃなく一瞬で渇いた喉を潤そうと飲みかけのお茶を一気にすする。
「いきなりなんなの、もー」
 咄嗟におかしなこと訊くわねという声音で答え、これ以上は訊いてくれるなと祈る。そんな願いが柴崎に通用するわけもなく、くるりと向き直った柴崎は郁を覗き込んでニヤリと笑った。
「だぁって、あんた前に言ってたじゃない。教官から好きって言われてなーいって。でもそれ以来そう言わなくなったし」
「前ってそんないつの話よっ、もう時効でしょ!?」
 付き合いはじめ、半年以上昔のぼやきを覚えていて不意打ちで持ち出されること程、恥ずかしいことはない。
 しかも、今日このタイミングで。
「っそ。じゃあ言って貰えたんだ」
「うん」
 これで聴取も終わるかとホッとして頷く。
 直接じゃないけど、何度か好きな女と言われたことはある。言われるに至ったきっかけは、後でブラッディ笠原なんて二つ名をつけられた蔵書損壊犯を郁が確保したときとか、堂上が褒める言葉の合間にさらりと流しながらだったけど。
 堂上の性格を考慮すれば、それで十分だ。
 ついさっき一気に残り半分以上のお茶を飲んだのに、まだ喉はカラカラでもう一杯……と立ち上がりかけて
「なら、愛してるとかは?」
 手からマグが滑り落ちそうになった。
「うわっ、あっぶなー……」
「おぉ、さすがの反射神経」
「うるさいっ! 柴崎が驚かすからでしょ!」
 爆弾を落としたくせに、パチパチと呑気に拍手している柴崎を睨み付ける。
 精一杯細めた目の回りが熱いのは、動揺で赤くなっているからだろうと鏡を見なくても分かった。
「あら、あたしそんなに驚かすようなこと訊いた? 好きって言われたなら更に上のレベルはどうかしらって疑問、ごく普通だと思うけど」
 フツー!? 柴崎が普通とか!? このタイミング、この聞き方でしれっと言うか!
 身に覚えがあるどころか、今も耳にハウリングしてるそのセリフが大きくなった気がして、目の回りだけじゃなく全身が火照る。
 ――愛してる
 抱きしめられながら告げられた。声も、腕と胸の固さも、匂いすら鮮やかに記憶に残っている。例え堂上本人に言った覚えはなくても。
「……言われて、はない。と思うけど」
「あら?」
 眉をあげた柴崎を直視できなくてお茶を諦め腰を降ろし、コタツの天板に頬をつけた。天板のひやりとした感覚に頬の熱さを再認識させられる。
「とても言われてないとは信じられない反応ですけどー?」
「じゃ、じゃあ柴崎は教官がそういうこと言う人だって信じられる?! 好きだって言われたのすら直接じゃないんだよ?! 会話の中でさらっと!」
 恥ずかしさで逆ギレをかました郁は、愛してると言われたと答えたも同然だと気付く余裕はない。
 そして気付いた柴崎はニヤニヤという笑みを深くした。
「はっはーん。寝言とか? まぁ外泊も増えればそんなバカップル的ハプニングもありえるわよねぇ」
「なっ、どっ、しっ……!」
 何でどうして知ってる。
 単語になりきらない叫びをあげて郁は逆噴射した。



 柴崎の言う通り、あれは堂上の寝言だったのだ。
 目が覚めたら隣に堂上がいる、そんなやることやっといて今更のことにまだ動揺してしまう郁が動揺から立ち直った後。堂上の寝顔を見詰めることに夢中になった。
 二人とも職業柄、気配には敏感でどちらかが起きればすぐ片方も目を覚ます。だから堂上の寝顔は実は初めてだ。
 課業中はよく刻まれている眉間の皺もない。努めて無表情でいるのとも違う素の顔。剃られる前の無精髭すら愛しい。うっすらと見える小さな傷痕はいつのものだろう。図書隊に入隊してからだろうか。なら傷痕も愛しい。
 なぜならそれは堂上が本気で本を守ろうとした証だから。
 上官として尊敬する気持ちも含めて、あたしはこの人が好きだと思いしらされる。
「好きです」
 告白以来、恥ずかしくて面と向かっては言えないセリフをそっと唇にのせた。
 そしてやっぱり恥ずかしくなって先に身支度をと起き上がりかけた時、その不意打ちに動けなくなった。
 腰に乗っていた堂上の腕に力が入る。さらに距離が縮まって首筋に額が埋められた。
「俺は、愛してる」
 もの凄い直球に悲鳴が出かかるのを必死で堪えた。
 今なんと? 愛してるとか言いました? うわーそれ反則ですってば教官。
 寝顔を盗み見て好きですなんて言ったのを聞かれたのも恥ずかしい。せめて顔を見られてなくて良かった。でも……教官がどんな顔してたのかはちょっと見たかったな。
 もしかして教官も見られたくなくてこの体勢に?
「あの、教官?」
 顔を首筋に埋めたままの堂上の様子を窺うと、規則正しい寝息が聞こえて拍子抜けした。
 なんだ寝言かー……、寝言でもかなりの衝撃だけど。
 例え面と向かっては絶対に言ってくれそうにないことでも、無意識の本心ならと思えば貴重な寝言だ。
 ――あたしもです
 起こさないように心の中で呟いて、起きるのは止めにして少し体を擦り寄せた。
 二度寝から覚めた後、まさか「愛してるって言った記憶ありますか」とは訊けず、挙動がおかしい郁を不振がった堂上は郁が体調が優れないと勘違いしてホテルのチェックアウトをどうやってか延長までした。
 それから予定のデートプランをこなしたから、今日はいつもより帰寮が遅くなったわけで。
 柴崎にあれこれ訊かれずに済みそうで、かえってタイミング良かったとホッとしてたのに。
「柴崎ってさ」
「あ、戻ってきた。そのまま夢の世界から帰ってこないかと思ったわよー」
「……うるさい」
「それより柴崎ってさの続きは? 美人よねーか、いつ見てもキレイよねーかしら」
「違うわよ……柴崎ってばときどき恐ろしいわ。あんたに隠し事できる気しない」
「ちょっとー、せめて人心把握に長けたって言ってくれない。それと、あんたがあたしに隠し事なんて一生無理よ」
「一生かよ。ってそう言い切るところも恐ろしいんだってば」
 不貞腐れたそのとき郁の携帯がメールの着信を知らせた。
 名前を見ると堂上からで、さっきおやすみなさいと送ったメールの返事だろう。
「教官からでしょ」
「そうよっ、いいでしょもうっ! 寝る! おやすみっ」
 把握しきっている柴崎に怒鳴り返し、くすくす笑う声を無視してベッドに潜り込む。

 おやすみ。よく休めよ。堂上

 それだけの文章に堂上がチェックアウトを延長までしたのは、郁が堂上から与えられる慣れない行為で体調を崩したという勘違いが含まれていて、柴崎に読んでる顔を見られなくて良かったと今度こそホッとした。

あとがき

郁はずっと柴崎にからかわれ愛されいじられればいいよ
教官はそういうこと言いそうにないっぽい
と考えまして、でも!
だったら言わせてやろうじゃないのフフフ、と