隠し事のスパイス
「……おなかすいた」 部屋の灯りを点けてバッグを机に置くと、誰も返事をするわけがないと分かっていても、ついぼやいてしまった。 柴崎は食堂か風呂にでもいっているらしい。 時間的に風呂の方が可能性は高いか。 そう読みながら、こんなに遅くなってしまった事に今更気付く。 そりゃ腹も減るわけだわ。もっと手際よくこなさないとなー。 何度となく思っている事を改めて実感しガクリと肩が落ちるが、盛大に鳴るおなかが憐憫に浸る余裕なんてくれない。 ココロより空腹優先って女子的にどうなの? もっとこう、女の子ってショックで食欲なーいとかなるもんじゃないの? ……あぁまた。 一際大きく鳴ったおなかをさすっているところへドアが開いた。 「あ、おかえり柴崎。あれ? お風呂じゃなかったんだ」 「ゴメン笠原」 「は?」 パンっと両手を合わせて拝まれ、間の抜けた声が出る。 どうみても風呂上がりではない柴崎は、男だったらそれだけできっと許しまう神妙な顔をして目の前に正座した。 「あんたそれ本気じゃないでしょ」 「バレたか」 あっさりと普段の顔に戻りつつも、もう一度ゴメンと謝られる。 こういうところが憎めないんだけど、謝られる理由はさっぱり分からない。 「だから何? どうしたの」 何にしてもそんなに深刻なことじゃないだろう。苦笑しつつバッグを引き寄せていた耳に深刻な一言が飛び込んできた。 「堂上教官にバレちゃった」 「何をってアレを!? あたし内緒にしててって言ったのにっ」 お手玉したバッグを慌てて掴み傾きを直す。空腹なんてどっかに行ってしまった。 「あたしが喋ったわけじゃないわよーぅ。不慮の事故? バッドタイミング?」 「どっちでもいいから! いや、よくないんだけど!」 急な事態に頭が追い付かず半分パニックで叫ぶ。 教官にバレた。内緒にしていたのに。内緒にしていた事もバレた。 隠していたのは気まずさと意地からだったが、恋人に隠し事をされていたこと事態、気分のいいものじゃないだろう。 隠し事の中身なんてこっちの都合だ。 「……慣れない事するもんじゃないわ」 今度は後悔で肩が落ちる。 「それもバレた理由にあるかしら。食堂出ようとした時に笠原は今日も食堂に来ないのかって聞かれて。ほら、同期の……」 柴崎があげた名前は、今お世話になっている先輩と同室だったと思いだす。 「笠原が慣れない事に悪戦苦闘してる、ってところがずっと気になってたみたいで相手もついうっかり口を滑らせちゃったみたい」 「で、それを教官が偶然聞いてたんでしょ」 「ご明察ー」 「分かるわ、そんくらい!」 「なんかねー誤解してるみたいよ。食堂に来ないイコール、夕飯抜きって」 「そんなんじゃないのにぃ」 にしても 「緘口令敷いてたのに、何でバレちゃうのよ!? 教官の緘口令はあんなにきっちり守られてたのに」 「そりゃ査問にまでなった件絡みとあんたの件じゃレベルが違いすぎるからでしょ。そもそも笠原のはむしろ微笑ましいってもんだし。あとはキャラの違いじゃない?」 ぼやきに返ってきたのは慰めとも執り成しともつかないものだ。 「キャラの違いで片づけんな、微笑ましくなんかないってば! こっちは必死だってのよ!」 「でね、もう一つ」 「まだ何かあんの!?」 「さっきから携帯鳴ってる」 柴崎の指さす先を見ると、ジャージの上着につっこんであった携帯が確かに鳴っていた。 「相変わらず過保護なことねー」 「うるさいっ、教官からとは限らないでしょ」 言いつつ、掛けてきたのは堂上だと察していた。 これはもう腹をくくって全部話してしまうしかない。じゃないと堂上の性格からして納得しないだろう。 「出ます今出ますってば、柴崎! 寮監に連絡して集会室開けて貰ってて」 「了解。あたしにも責任の一端はあることだしー? それくらい喜んでさせて頂きますわー」 柴崎が携帯を出し、寮監に連絡を取り出すのと同時に自分も携帯を引っ張り出した。 ◇ 「本当に体調が悪いわけではないんだな?」 「はい。体調はいつも通りです」 「なら無理なダイエットでもしているのか?」 「違います。……え、あたしダイエット必要そうに見えますか」 「そうじゃない。ただ、式の前に気にする女性が多いと聞いているから確認しただけだ」 「なら良かったです。気にはしてますけど、おなか空かせて務まる仕事じゃないじゃないですか」 「だったら、なんで食堂に顔を出していないんだ。昨日今日の話じゃなくて、聞けばここしばらくだそうだな。まさか毎日コンビニ飯か?」 「……それがですね」 納得のいかない顔の堂上に、俯きながら答える。 電話で、今から説明するから集会室にと指定したものだから、人目を憚るような深刻な理由があると誤解しているのだろう。 ここしばらく食堂に顔を出していないと聞いて、真っ先に体調の心配をしてくれたところは嬉しいが、誤解を解いたら呆れられそうだ。 いつまでももそもそと膝に置いたバッグの持ち手をいじっていても仕方がない。 机の上にずいとバッグを差し出す。 「これが何か関係あるのか?」 面食らった様子の堂上に、とうとう白状するいたたまれなさで精一杯、身を縮める。 「はい。……中、どうぞ」 あぁこんなことならもっとカワイイ容器に入れておけば良かった。 今更な後悔を重ねていると、いよいよ堂上が中の物を出した。 「煮物、か?」 「そうです」 汁のもれない、匂いももれない実用第一のタッパーに入れていたのは、今夜の晩御飯の筑前煮だ。 「あの、最近食堂で食べてなかったのは、作ったのを食べてたからなんです」 「てことはこれお前が作ったのか!? でもどこで」 「家庭部の先輩に協力して貰って、調理室借りてです」 ついに白状してしまった。 堂上には黙っていて少しはいい所を見せたかったのに、約半月の努力も水の泡だ。 「剥いたり切ったりは部屋でも出来るけど、それだけじゃ料理の腕前あがらないって思って」 果物を剥く度に柴崎に採点を頼んではいたが、まさか結婚しても毎食果物というわけにはいかない。 料理は剥いて切って、そこからの方が大事なのだから。 はじめの一週間で煮る焼くの基本を叩きこまれ、次の一週間から味付けの基本をこれまた叩きこまれている。筑前煮はいろんな材料を使うから基本の徹底に丁度いいとは先輩の弁だ。 「だから食堂には顔を出してなくても、ちゃんと食べてるので安心してください」 「そうか……林檎の皮も満足に剥けなかったお前が」 「そこは思い出さないでください!」 だから内緒にしていて、いざ一緒に生活をはじめたら意外に出来ると思わせたくて隠していたのにー。 思わず顔を覆うと、その頭にぽんと手が乗った。 続いてくしゃくしゃと撫でられる。 「こんだけ見た目上等なら、かなり努力したんだろ。せっかくだから一口頂いてもいいか」 「あまり期待しないでくださいね? 特訓中なんですから」 白状すると決めた時に箸も一緒に入れてきていた。 どうせバレたなら、食べて貰った方が早い。けれどまさか今日、堂上に食べて貰うのを想定していたわけじゃない。 味見の段階ではさほどおかしなところはなかった筈だけど……。 緊張で喉を鳴らしながら差し出した箸を受け取った堂上は、しかしそこで手を止めてしまった。 「期待しないでとは言いましたけど、そこまでおっかなびっくりしなくても」 おなか壊したりする様な羽目にはならないと続けた言葉に返ってきたのは、優しい笑みだった。 「違う、なんというか、感動してもったいなくてだな。お前の手料理を食べるのははじめてなんだ、堪能させろ。それに……」 「それに?」 「先に抱きしめたくて堪らない」 優しい言葉ももらって、隠し事は隠し味のスパイスになった。 |
あとがき
隠し味は
あ・い・じょ・う☆