七月八日の彦星と織姫
会議室の中央に長机を寄せて作った作業台の上に笹の束を降ろして、郁は一仕事終えた風に手を払った。 「揺れる長物ってやっぱ持ち辛いわ。いつどこにぶつけるかハラハラもんで……あたっ」 その後ろから軽く頭を叩いたのは苦々しい顔をした堂上だ。 「ハラハラさせられたのはこっちだ阿呆。館を抜けるまで何度利用者にあたりそうになったんだ、お前は」 「……ちゃんと人がいる時は止まったのに」 大げさに摩りながら恨めしげな視線を向ける郁に、手塚の呆れ声が飛ぶ。 「もっと余裕をもって回避するべきだったって言ってるんだろ、堂上二正は。利用者に触れそうになっただけで何言われるか分からないんだぞ」 「まぁ無事に運べて良かったじゃない。それで次は短冊を外せばいいんだっけ、柴崎さん?」 小牧が言いながらごみ袋を隣の手塚に渡すと、それだけで自然と雰囲気が流れ始めるのが堂上班らしいところだ。 「はい。外したら適当に束にして輪ゴムで留めておいてください。一応しばらく保管するので」 「はいはーい。笹に留めてるリボンみたいなのは?」 「捨てちゃっていいわよー。あ、席を離して置いてるので、座ったところの目の前の短冊がノルマってことでよろしくお願いします」 質問する生徒みたいに手を上げた郁に、鋏を渡しながら作業の説明をする。 長机三台を占めているのは大小それぞれ短冊がいくつもつけられた笹だ。 図書館の入り口に用意した笹に、願い事を書いた短冊を自由に飾って貰おうというありきたりなイベントだったが、定番過ぎて止める理由もなく今年も行われた。それでも毎年何らかの改良点は加えられていて、今年は短冊の縁に本と栞を印刷して精一杯図書隊のオリジナリティを出している。 あれば書いてみたくなるものなのか、設置してからの二週間は途切れることなく短冊を飾る利用者がいたからイベント的には成功で、きっと来年も行われるに違いない。 そして七日の閉館時間と共に即刻撤去も味気ないという業務部の声で、明けて今日、撤去する羽目になったのが堂上班だった。業務部の面々が残業したくなかったから持ち越したという裏を知っている柴崎は、自主的にメンバー入りしていた。 バケツリレーの要領で道具が行き渡ってから、なんとなく一瞬全員の視線が笹に集まる。 「ねぇ柴崎、なんか去年より多くない?」 「笹の高さを二種類にしたからかしらねぇ、今までは子どもだけが多かったけど今年は親もぶらさげていくことが多くて」 「だからか」 大きい方の笹から短冊を一つ取り上げた郁が、貯金が増えますようにという願いを読みあげ全員が笑う。 しぶい顔をしていた堂上も釣られて手近にあったのを見て、苦笑を滲ませた。 「“夫”が見たら複雑だろうなぁ」 「なんて書いてるんですか?」 「夫が出世して早くローンが返せますように」 「……うーわー」 堂上の手元を覗きこんだ郁は妻の本音がだだ漏れの短冊を引き気味に眇め、そのまますとんと椅子にかける。それが呼び水となったのか堂上も隣の椅子に腰かける。 あら、あらあら。 机四辺に対して人もとい椅子は五脚。当然、一辺は横並びに椅子を置いていたが、自分と郁のつもりだった。 それがまぁ、ちゃっかりツーショットになっちゃって。 紙の飾り輪を一緒に巻き取っちゃったり、ねぇ? 無意識か、はたまたこの事態をまったく意識していないか。ちょっとつついてみたくなっちゃうのは、人の性よねー。 「自分だったら、どんな夢のあるお願い書きますー? 小牧教官」 自分も短冊を摘み取りはじめながら、作業中のながら話を装ってさりげなく問う。たぶん小牧も意図に気付いたのだろう。一瞬、肩が揺れた。 「うーん、そうだなぁ。やっぱり本に関することだろうね。手塚は?」 そつの無い小牧が次にバトンを渡すのは読めている。 「検閲が一日も早くなくなるよう……努力する、でしょうか」 手塚が真面目にのることも。 「それじゃお願いじゃなくて決意表明でしょーよ」 「うるさいな。自分でも言ってる途中で願うことじゃないだろって気付いたけど今更変えられなかったんだよ」 「それ以前に、そんなの入り口にぶら下げてたら利用者が委縮するわよ、ということで却下。じゃあ堂上教官はどうですかー?」 座っている順に時計回り。 自然な流れが出来あがっていたことで、堂上も身構えずに考えたらしい。 口から出てきたのは 「出来の悪い部下が早く一人前になって、毎日毎日神経すり減らすことがなくなりますように、だ」 苦言に見せかけた軽口で。 「なんでそれあたしだけに向かって言うんですかー! しかも長っ、っていうかそれ願わないとかなわないことなんですか!? こういうのは何とかなりそうな範囲で書くものじゃないですかっ」 「何とかなる範囲ならどうとでもしてやるが、お前の場合、天に願いたくもなるだろうが、ったく。笹をかついで訓練速度で歩くようなヤツが文句言うな」 「じろじろ見られるのが嫌だったんです誰も運ぶの手伝ってくれなかったから!」 「お前が進む度に揺れて笹の葉がぼろぼろ落ちるから、俺たちが拾って歩く羽目になったんだろうが!」 当然のように隣同士でぎゃんぎゃんと言い争いがはじまる。 喧騒を聞き流しながら、柴崎は内心でにんまりとほくそ笑んだ。 とっさに浮かぶのが笠原のこと、ねぇ。 適当にお茶を濁せばいいものを、言えば必ずこうなることが読めていたでしょうに。じゃれあいを期待していたようなものだって、自覚しているのかしら教官は。 抑えてるようで抑え切れていないのがバレバレだってことも。 やはり気付いたらしい小牧はくつくつと堪え切れなかった笑いを抑えるのに必死で、手先が止まっている始末だ。手塚が我関せずと飾り取りをしているのもツボらしい。 「なんならお前の分の願い事も決めてやろうか、上司に心痛をかけない部下になりますように、でどうだ」 「なっ……勝手に決めないでくださいよ」 面白そうなタイミングがやってきたのはその時だ。 せっかくだもの、一人だけ知らずに犠牲ってつまらな……申し訳ない。 「じゃあ笠原はなんてお願いするの?」 にっこりと質問を投げ入れると、二人の声がぴたりと止んだ。 「え、えぇー……と、なんだろう。案外難しいかも」 似た者同士の部下の方も、咄嗟にお茶を濁す願い事が浮かばなかったようで、急にぎくしゃくとしはじめる。 うっすらと頬が赤くなっているのは、もしかして乙女全開な願い事が浮かんでいるせいかしら。 あたふたという郁の向こうで、気にしたくなくとも気になって仕方がないという堂上の横顔が見える。互いに見えない線を引いているつもりで、その端と端が繋がっていることに気付いていない様子そのものだ。 思っていた反応が返ってきて満足したお礼に、トドメの爆弾を放り込んでみた。 「じゃ、王子様が見つかりますように、にしておけば?」 だって短冊に書く願い事は何とかなりそうな範囲で、なんでしょ? それと、何とかなる範囲ならどうとでもしてくれるんですよね。 堂上が盛大に笹の枝を切り落としてしまう音と郁が鋏を落とす音に被って、小牧が爆笑する。 そこにきてようやく手塚が顔をあげて、状況についていけないと眉を寄せる。その仕草を見てつられて吹き出す。 来年もこんな空気でいられればいいのに。 笑いながら願い事が浮かんだが、冷静になれない二人の様子にこっそりと願いを追加する。 ──早く、互いの気持ちに気付きますように。 |
あとがき
このくらいの距離感を傍で見ているのは
面白い半面じれったくなるんだろうなぁ
という柴崎の心情を書いてみました。
教官をいじたかったわけじゃ、えぇ決してきっとたぶん