花咲き待ちの季節
「あのぅ、すいませーん」 「ちょっといいですかー」 館内巡回中、背後からかけられた声に堂上と郁は揃って振り向き、そして声の主を探して視線を徐々に下へ向けた。 振り向く前からセリフに似合わず若い声だとは思ったが、そこに居たのはどう大きく見積もってもせいぜい小学校低学年といった女児二名だ。 堂上は自然と周囲を見渡し保護者の姿を探したが、辺りにそれらしき人物は見当たらない。無線で迷子の届け出があるか確認を取る間に、郁は膝を折ってしゃがみこみ、女児達に目線を合わせて明るく話しかけはじめた。 「はい、こんにちはー。どうしたのかな?」 しゃがんでやっと同じ高さの子供は、一度互いに目を見て頷く。無線の向こうからは届け出なしの返事が来た。 「おかしづくりのほんって、どこにありますか?」 「お菓子?」 「はいっ。できればチョコレートのがいいんですけど」 「お菓子で、チョコねぇ」 意を決したのか交互に歯切れよく質問する少女に対して、郁の様子はというと首を傾げて躊躇いがちだ。 頼むから場所が分からないなんて言い出すなよ。 堂上は祈りながら無線で保護者不明の女児を報告し、同時にあらゆる可能性をリストアップする。 その結果、堂上が離れることになったら郁一人で対処しなくてはいけない。分類法上どこに属するか、郁の頭で覚えているかなどということは端から期待していない。ただ、さすがに料理書の部類は良く訊ねられるから、迷わず案内して欲しい。 「あのね、もう少し聞いてもいいかな」 更に情報を引き出そうとする郁の様子に、どこで助け船を出すか思案しはじめた堂上は続くセリフで考えを改めた。 「あなた達のお母さんかお姉さんにたのまれたのかな? 一緒に来たの?」 女児達は再び目を見合わせ、そろって首を横に振る。 「ちがいます」 「あたしたちがつくるんです」 「ひまわりぐみのたっくんに、あげるってやくそくしたから」 「あたしはさくらぐみのゆうくん」 「やっぱり、てづくりがいいんだってー」 「でも、つくったことないから……。ママがね、そういうときは“としょかん”にいくとわかるって、いってた!」 欲しい情報とは違う返事に苦笑しながら郁が立ち上がる。そのまま、ふっと堂上の耳元に顔を寄せて来る。 「こういう時って、案内した方がいいんでしょうか?」 耳朶に息がかかって一瞬で消えた。 ふいの接近に内心驚いていることなど、まったく気にしてなさそうな郁は「でも、子供もプライドってあるからなぁ」と自らに問いを重ねている。 要は、女児には技術的に難しいであろう菓子作りを間接的に勧めるのが図書館員として最良のレファレンスなのか、それとも一般的な大人としてそれとなく諭してやるのが良いのか、判断つけかねているのだろう。 いくら上官とはいえ、いくら経験値が違うとはいえ、いくら答えに迷った時の指針とされているとはいえ、仮にも上司の耳元で囁くとか……。 手が勝手に耳に向かいかけ、答えを期待して目を輝かせる郁の視線に気づき途中で止まる。 窮していると、救いの声が耳朶に直接響いた。 近くの公園管理人を通して、ほんのちょっと目を離したすきに幼稚園児二人がいなくなったという母親達からの通報だ。 結局、ふてくされる女児を母に引き渡し、堂上は郁となんとなく連れだって事務室に戻ることになった。 「にしても驚きましたね。今の子ってませてるー。あたしが幼稚園の頃なんて、好きとか嫌いとかより遊びとか目の前のことで精一杯だったのに」 今もだろうが。 感心したように言う郁に、心の中でツッコミが入る。 確かに堂上もはじめは、幼稚園児がバレンタインチョコを手作りしようという気になる辺りに驚きはしたが、思い返してみれば自分の時代にだって「誰々ちゃんは誰くんが好きなんだって」とキャアキャア言っていた女子はいた。 そうすると郁の周囲も大差ない筈なのだが、郁の意識からはすっぱりと抜け落ちているらしい。 幼稚園より恋愛感情が発達していないんじゃないか、こいつ。なら良い……ってなんだ。 そこで過った安堵にうろたえた。 こいつがバレンタインをどう捉えていようが、俺に関係あるものか。 いもしない王子様を探し追いかけ、四方八方に勘違いした挙句突っ走ってるようなやつが、誰か特定の相手にチョコを渡すとも思えない。 手塚と付き合うだの何だの話が出たのも一瞬、それも極一部の内輪だけで、互いになかった過去にすることにしたらしい。 それ以降、郁の周りで恋愛めいた話は一切ない。 プライベートまで把握するような関係ではないが、おもしろがって勝手に報告してくるやつがいるのだ。それもうじゃうじゃと。 思いだして腹が煮える。 こちらの恋愛事情まで、隊に面倒見てもらうつもりはない。こいつが途方もない記憶力の悪さと空気の読めなさで毎度自爆するから、こっちは未だに王子様から卒業できずにいて良い迷惑だ。 王子様としてではなく、堂上篤本人を意識されたとしても。……。想像もできない、してはいけない気がする。 決定的に全てが変わるような予感には触れていけない。 「どうしたんですか、教官?」 廊下の先で怪訝な色を浮かべている郁を、ついまじまじと見つめた。 出会ったころから顔つきだけは数年分大人びた姿、その中におそらく成長していない恋愛感情のアンバランスさ。 もし隣で、自分が成長に関われたら……。 「あ、でも今年はあたしもちゃんと考えてるんですよ」 何かに無理やり理由をつけてしまいそうだった意識に、朗らかな宣言が割り込んだ。 思考が掻き消え、考えているというのが特定の相手へバレンタインのチョコを渡すことかと身構える。 身構える理由は何だ。 「特殊部隊の皆に義理チョコ。徳用大袋入りチョコの予定ですけど」 構えを解いて、苦笑した。 義理チョコとしてでも豪快過ぎるチョイスが、今の郁なのだと思い知る。 「せいぜい期待しておくよ」 その返事に、軽くあしらわれた気になったのか、事務室に戻るまであれこれと突っかかられることになったが、不思議とそれすらも楽しかった。 |
あとがき
カップルのいちゃいちゃや、特殊部隊込みのラブコメは
他の方がもっと素敵にキラキラさせてくれるだろうと思ったので
入隊初年度の未だに無自覚な二人、ということで。
需要なくてもいいんです。
もうそんなキラキラを思い出すことすらできないからじゃ、きっと、えぇ