酔えない者には酔えない苦労が
「ビールと焼酎えっと……いろいろお持ちしましたー!」 特殊部隊御用達の居酒屋で個室の襖を開けた店員は、悩む素振りもなく上がり口に一番近いテーブルへ全てのグラスやジョッキを置いた。 「お、それこっち」 「はいはい」 「俺は焼酎なー」 「あっ、では俺が」 そこから各自へ運ぶのは面倒見のいい一人と、酒が入っても階級に折り目正しい手塚の役目だ。 屈強な隊員のほとんど全員が集まれて、内、何人かが寝転がろうとも余裕のある座敷で編み出された、最も効率のいい給仕システムだった。 店員も慣れたもので口では「すみませーん」といいつつ、その場から動かず空になった皿を重ねている。 「あと空いたグラスございま……」 他のグループ客と比べると、この人数にしては空いた料理皿が少なくグラスはやたら多い、これも特殊部隊が来る度のお約束で慣れた店員が笑顔で座敷を見回し……そして一ヶ所で言葉に詰まった。 見てはいけないものを見てしまった人間がするであろうお手本のような、困惑と動揺と少しの好奇心を混ぜた視線がチラチラとそちらを窺う。 視線の先、堂上は仏頂面でそっぽを向き頑なに店員の方を見ようとはしなかった。 「とりあえずそこにあるのだけ下げてもらえる? またどうせ追加頼むから」 「は、はい、じゃあのその時に。すいません」 助け船を出した小牧にしどろもどろの返事をした店員は、かき集めるようにグラスを抱えて襖を閉めた。 「堂上、ほらまず飲んで。そしてその威圧通り越して一般人でも分かる殺気を鎮めたら?」 誰が頼んだものかは知らないけどこれだけ入り乱れていれば一杯失敬しても構わないだろう、そう判断して小牧は動けない殺気の主にビールのおかわりを差し出した。 「別に殺気なんか出してない」 「まぁ、彼女のそんな姿見せたくないのは分かるけど」 「彼女でもない!」 「あぁほらそんな大声出すと、笠原さん起きちゃうよ。堂上」 笠原、という声だけがやけに響いたわけでもないのに瞬間、座敷中が静まり返った。 そして視線こそ直接向けられないものの、その笠原と一緒にいる堂上の様子を伺う気配があちこちからあがる。 こっちを見るな! こんなことに訓練の成果を使うな! 今度こそ堂上が殺気を送ると座敷に音が戻りはじめた。 「まったく……」 「複雑なところだよねぇ堂上も。起きて欲しいような、ずっとこのままでいたいような」 「だっ……」 とっさに叫びそうになって、堂上は手が届く範囲に小牧が置いてくれたジョッキを呷った。 一息で半分飲み干したくらいで酔いが回る体質でもないのに、ジョッキを置きながらまるでビールの苦味のせいだと言いたげに顔をしかめて無愛想に吐き捨てる。 「誰がそんな複雑な感情なぞ持つか。こっちはいい迷惑だ」 そう言いつつ声をひそめる辺りがバレバレなんだけどね――堂上が聞いたら今度こそ郁が起きるのもかまわず声高に否定しそうなことを小さく独りごちて、小牧は手近にあった皿から串物をいくつか小皿に取り分け堂上がジョッキを置いた隣に滑らせる。 「あぁ腹減ってたんだ。悪いな」 「いやいや、堂上動けないからね」 不自由な腕で見当をつけ串を取ろうとした堂上が固まり、顔はますます仏頂面になった。 堂上が動けない理由そして殺気を出してまで見られたくない理由、それは 「にしても笠原さん、気持ち良さそうにもたれちゃって」 乾杯の酒でオチた郁が胡座をかいた堂上の膝の上で、抱きつくようにして寝ているせいだった。 その腕はしっかりと堂上の首に回され、あの店員のように端から見たら堂上が酔った恋人を優しく抱きしめ介抱しているようにしか見えないだろう。 「いい迷惑だ。寝るなら寝るでいつものように隅でおとなしくしてればいいものを。せっかく遠慮なく飲めるかと期待したのが台無しだ」 ぼやく堂上をやれやれと眺め、小牧も自分のビールを喉に入れる。 場所が変わっても、堂上の部屋に酒持参で転がり込んだときのような雰囲気がここだけ漂っていた。 堂上もそんな小牧の様子に肩から力を抜く。 その途端、 「……んぅ」 体の置き所が動いたのが不満だったのか課業時には……つまり普段の堂上が聞いたこともない甘えた声音を漏らされ、とっさに腹に力を入れ直す。 いつもなら積まれた座布団の裏や衝立の隙間、野性動物が身の安全を図るかのよう人目につかない場所で丸くなる郁は、今日に限ってテーブルとテーブルの間に入り込んで寝はじめた。 邪魔だ邪魔と回収するよう堂上に指示が出て、とりあえず一次会がお開きになるまでは隅で寝かせておこうと両肩の下に手をかけたまでは良かったものの、なにを寝ぼけているのかこの酒に弱い部下は酔っているとは信じられないほど素早く身を反転させ、その勢いのまま奥襟を掴んで倒れこんできたのだ。 いくらなんでも女を落としてはと咄嗟に受け止めたけれど、こんなことになるなら投げてやれば良かった。 かれこれ三十分以上この体勢を強いられている堂上は、なんら役に立たない後悔をしてジョッキをまた呷る。 そして邪魔になる筈だったこの場所は、結局ほかの隊員がすっかり引けて小牧が来るまで二人で占領する羽目になった。 膝から下ろそうにも、動かそうとする度にしがみつられ身動きが取れない。 いくら五センチの身長差があろうが、いくら笠原が戦闘職種だろうが、引き剥がして担ぐくらい堂上には造作ない。 しかしそれができないのは、この体勢から抱き上げるとなると、一度、あのいわゆるお姫さま抱っこ、をしなくてはならないからだ。 笠原の王子様発言を知っている特殊部隊員の目の前で、王子様である堂上がお姫さま抱っこなぞしたらどんな冷やかしが浴びせられるか、なら酔っ払いに絡まれて仕方なくの態を取るほうがまだましだ、そう考えただけで他意は決してない。 例えば、全体重がかかっていても軽いと感じるとか、首筋に当たる寝息につい意識を持っていかれそうになるとか、回された腕が心まで預けられているようで嬉しいとか、そういう他意は決して……少なくとも表に出していない。つもりだ。 「まぁ役得としたものじゃない?」 つもりだったのに、しれっと小牧に言われ堂上は思わずジョッキを持ち上げ損ねた。 「っ……悪い、小牧」 「大丈夫、中身入ってないから畳も笠原さんも無事だよ。もう一杯持って来ようか?」 倒した箇所に体を向けて確認できない堂上の代わりに細かな心配りをする小牧へ、どうせなら一度に三杯持って来いと自棄気味に頼む。 二人の周りにぽっかりと開いた空間の真ん中で、人並みに酔えず記憶をなくせないのも困りものだと、体温を感じながら堂上はひっそりとため息をついた。 |
あとがき
隊長!
私も絡まれ堂上教官と天然無自覚の純情娘を
同じ部屋の中で観察したいです!
そして緒形副隊長に
「そろそろ素直になったらどうっすか?」
って絡みたいです!