華麗なる社長と仮居の御曹司



  しばらくリビングにはお互いがノートパソコンを叩く、ささやかな音しかしていなかった。
 それでも以前のピリピリした雰囲気とは明らかに違う。
 そもそも以前の仲なら、同じ屋根の下で暮らしていようが、こうして同じ空間にいることなど無かった。
 たった一人、偶然の出会いから関わるようになった少女の力で、同じ部屋にいてもいがみ合うことなく過ごせるようになったのであって、むしろこの静けさは歓迎されるものだった。
「なぁ御堂」
 それを断ち切ったのは、先ほどから熱心にパソコンを見つめていた麻生の一言だった。
「なんだ」
 以前の仲なら、話し掛けられるときは喧嘩の前兆か小言のはじまりだったが、声の調子は気軽なもので、一哉も株価をチェックする手を止めて応えた。
「御堂んとこで食い物扱ってたよな」
「食べ物? あぁ、外食産業はもちろん、その原材料のためのプラントが国内外にある。ちなみに野菜は露地物なら無添加無農薬が基本で、必要な場合は最低限の散布に限るなど先進国での食への関心の高さを常に意識したものだが、急にどうした。珍しいな、ついに経済界に興味を示す気になったのか?」
 唐突な話題にも、つい軽口を叩いてしまう。
 ほんの一年前には、こんな光景を予言されても一笑に付していただろう。
 からかわれているのが分かったのか、麻生もごく自然に、噛み付くことなく話題を続ける。
「いちいち厭味臭ぇこと言うなって。そういうんじゃなくてさ。もっとこう……つまりさ、新商品とか新メニューの開発ー、とかもやってんだろ?」
「それは各チェーンのトップそれぞれにまかせてある。いちいち俺がメニューの一つ一つに関わっている時間はないからな」
「だよなぁ」
「さっきから何なんだ。言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
「んじゃさ、そのチェーンのどこでもいいからさ、カレー使った商品の開発とかしてねぇの? 最近流行ってんだよ、カレー味のなになにってのが。ま、大抵はご当地カレーとかだけど、なかにはカレーラムネなんてのもあんだぜ。ネットで見てたら、もっとおもしれーもんできそうな気がしてさ」
「なるほど」
 何を熱心に見ているかと思えば、またカレーか。羽倉らしい単純さだと思いながらも、純粋さ故の着眼点にパソコンをテーブルにどけ本格的に相手をする気になった。
「確かに夏場はカレーに関する商品やメニューの売上が伸びる傾向はある。香辛料の発汗作用を本能的に欲しているのかもしれないな。日本人の味覚に浸透している分、ラムネのような一見奇抜な組み合わせも受け入れられやすい」
「だろ!? だから御堂んとこでもやってみりゃいいじゃん」
「簡単に言うな、馬鹿。開発のために必要な設備、人件費、材料の調達、どれもタダじゃないんだぜ」
「もうある商品にカレー入れてみるだけなら、たいしてコストパフォーマンスもかかんねぇじゃん。研究機関はもってんだろ」
 単純ながら経営の基本を突いてくる。
 確かに開発段階でのコスト削減に、既存の商品を応用させるのは定番の手段だ。
 しかし、それを簡単に丸投げする態度に現役経営者のプライドが反発した。
「じゃあ自分でやれ、人に頼るな」
「おっし、わかった。じゃ、いま冷蔵庫にあるもんで試してみるから、御堂は味見な」
「なんでそうなる」
 ほんの一瞬前には突き放したのに、投げたボールが跳ね返ってきたことで憮然とした声になる。
 あからさまな不機嫌さにも頓着せず、単純を絵に書いたような直線ぶりで麻生は席を立つ。
「まぁまぁ、これで案外スゲーのが出来たら御堂グループで売り出せんじゃん。味見は俺がやりたかったんだけど協力するくらいいいだろ。さっそく準備するか」
「……本物のカレー馬鹿だな」
「なんか言ったか?」
「なんでもない。それより俺に協力させるんだ、せめて一つくらいまともな物を用意しろよ」
「あぁ、まかせとけ!」
 経営に関して後悔などしたことのない高校生実業家は、はじめて、ひっそりとため息をつきながら背中を見送った。


 一時間後。


「はじめはこれ、豆腐にカレーをかけたカレー冷や奴だ!」
「………………却下。油分が固まって最悪の舌触りだ」
「んじゃ次は野菜スティック・カレーソース添え」
「……これも却下。第一カレーソースは使い古された手法だろ」
 わずかな時間で用意された割に品数があるのは、どれも手間のかからない組み合わせだったからだろう。
 ただし、その組み合わせが合致しているわけではないのが、試食をしている一哉のうんざりとした口調と表情から伝わってくる。
「反応悪ぃなぁ。だったらこれはどうだ! カレー牛乳!」
「おまえ……俺が入院したら責任取れるのか」
「ちぇ、わかったよ。これはなしな」
 食材を無駄にして! と、二人の仲を変化させた少女が見たら叫びだすかもしれない。いや……、あいつも夜中にイナゴだのナマコだのを鍋にぶち込んでいたから、案外これを見ても動じないかもしれない。あれも羽倉とやっていたしな。
 奇抜という感覚が麻痺しているのか……。
 ようやく最後の一皿になったのを確認してしぶしぶ箸を持ち直すと、満面の笑みに迎えられる。
「最後はカレー納豆だ」
「……羽倉」
「なんだよ、いいだろ一口で体壊したりしねぇって!」
 ともかく、これを切り抜けなければ解放されない。
「一口だけだからな、これで駄目ならもう協力はしないぜ」
 最後通牒を突きつけて、見た目も奇妙な皿を観念して持ち上げる。
 日本古来の優れた発酵食品である納豆に、舌触りへの情けか野菜がほとんどすり潰されたカレーがかけられている様子は、観念というか覚悟を決めないと口へ運ぶのを躊躇してしまう。
 胃薬はどこにあったか……、あいつを呼び出して探させるか。
 鈴原むぎ。
 たった一人で四人の男を変えた類稀な少女。
 精神的なタフさや前向きさ、それは御堂グループ次期総帥として育てられた一哉にも影響を与えて、ふとした瞬間に脳裏を過ぎる。
 ……いや看病させるのもいいかもしれない。
 そんなことを考えながら恐る恐る一口運んだ一哉が次に口を開いたのは、吐き気でも罵りのせいでもない。
「これは!」
「どうだ?」
「いや、驚いた。意外にも納豆独特の臭みをカレーが上手く消している」
 意外にも、おいしいと思ってしまった驚きのせいだった。
「マジか?! 俺も…………ほんとだ、これイケるじゃん」
「あぁ、カレーに含まれる野菜粒もアクセントになっていて、かなり食べやすい。これなら今まで納豆を敬遠していた消費者にもアピールできるぜ!」
「これをごはんにかけて、その上にチーズ乗せて焼いてもいけそうだよな」
「レストランチェーンで夏に毎年カレーフェアを行っているが、最近はマンネリ化の声もあったし、いいかもしれない」
「すっげ、カレーの新たな世界のはじまりかよ!」
「これはうちの担当者に報告しておく。たまにはやるな、羽倉。ただのカレー馬鹿と思っていたが大したものだ」
「カレー馬鹿ってのは余計だけどよ、商品化されたら教えてくれよな。鈴原にも食わせてやりてぇし」
「あぁ!」


 仲良く商品開発にふけっていた二人は、じわじわとただ一人の少女に感化され、惹きつけられていることなど気付いていなかった。

あとがき

まっすぐ過ぎて時にアホの子になる御堂社長と
ピュア過ぎて時に奇跡を起こす麻生
が大好き