感情ジェットコースター


「あとは、麻生くんの部屋でおわり、か」
 ホワイトボードをチェックして満足のため息をつく。
 あたしは一人しかいないって事を忘れているんじゃないかってくらい、容赦なく頼まれる仕事を一つ一つこなして、確かに体はくたくただったけど気持ちは充実してる。
 うんっ、あたし今日も頑張ってるよ、お姉ちゃん。
「何やってんだよ」
「え? あ、うわぁ」
 背後から急にかけられた声に驚いて振り向くと、お風呂上りなのだろう、タオルを肩にかけた麻生くんが苦笑いをしていた。
 そろそろとガッツポーズを下ろして、あたしも苦笑いを返す。
「いやぁ、自画自賛? 今日はあと一つでお仕事おわりだから」
「ん? あぁ」
 麻生くんがホワイトボードを横目に見て、納得の顔になった。
「これから麻生くんに頼まれてた部屋の掃除するねっ」
「別に今日じゃなくてもいいぜ? おまえ、もう休んだら」
「ううん、頼まれた以上ちゃんとやるよ!」
「そうか? なら、よろしくな」
「了解! ……あ、そういえばキッチンに何か用?」
「あぁ、なんか喉かわいたからさ。野菜ジュースでも作ろうと思ってよ」
「そうだったんだ。じゃあ、あたしにまかせて」
「自分でやっからいいって。ただでさえ、おまえ忙しいのによ」
 気を使ってくれてるのかな?
 そういえばここの所、麻生くんからは追加の仕事、頼まれてないかも。
 なんだか、それだけで気持ちがあったかくなった。
「ね、麻生くん」
 忙しいを証明するボードを指差してから、タオルを無造作に台に置いている麻生くんの腕をとっさに掴む。
「な、にして……離せよ」
 あたしがやるからって気持ちがそうさせたのに、ぎょっとした顔になるなんて、ちょっと失礼じゃない?
 なんだか心の奥に棘が刺さったみたいな気持ちになる。
 そんなにあたしにまかせるのが嫌なの?
 ここで家政婦をするようになってから、自分でも驚くほど腕はあがったと思うのにな。
 麻生くんが、どういう味が好きか知ってるのに。
 いまはお風呂上りで喉がかわいてるんだから、きっとサッパリしたのが……そうオレンジをベースにして……ほら、こんなに判ってるのに。
 意地でもあたしが引き受けてみせるっ。
「麻生くんこそ休んでてよ。できたらお部屋に持ってくから」
「いいって! それより、はやく離せっ」
 心底、迷惑そうな表情に、また心の奥がちくっと痛んだ。
 なんで?
 そこまで嫌がらなくてもいいじゃん。
「やだ、今日はすごく順調に仕事が片付いて、気分いいのっ。最後まで気持ちよくいたいんだから、あたしにまかせてよっ」
「気持ちよくって……わぁった、おまえにまかせるから、だから」
 掴んだままの腕を、困った顔で見下ろされる。
「あ、うん」
 とっさに心に浮かんだのは、離したくないって強い感情だった。
 なんで、そんな風に思っちゃったんだろ、あたし。
 理由がみつからないけど、赤くなって固まっている麻生くんにつられて、あたしの頬まで熱くなってきた。
 なんでこんなに……肌の下の固さとか、ほんのりと汗ばんでいる感触とか、意識しちゃって、るの?
「ご、ごめっ」
 慌てて離すと、悟られないよう急いで冷蔵庫の戸を開けた。
 目に見えないけど溢れ出た冷たい風が、ほってた肌に気持ちいい。
「すぐに用意できるから」
 いま麻生くんの顔をみたら、またすぐに頬が赤くなりそうで、冷蔵庫に首をつっ込んだまま声をかけた。
 つぎつぎ材料を取り出しては、つい向けそうになる視線を堪えてカウンターに置いていく。
 そうしてるのが意識してるって言ってるようなものだけど、自分でも理由がわからないのに、どうしてって訊かれるのが怖かった。
「ねぇ、出来たら持ってくよ」
 だから、お願い。
 そんなに近くで、あたしを見ないで。
 手の平にまだ感覚が残ってて、ついさっきまで気がつかなかったシャンプーの匂いにも、こんなにドキドキしてるんだから。
 ふいに静かになったキッチンに、ジュースを作る音だけが響く。
 ……なんで、何も言ってくれないんだろう?
 オレンジの皮を剥きながら、できるだけさり気なさを装って振り向くと、さっと視線を逸らされた。


 ちくちくと棘が増えていく。


 口の中がほろ苦さでいっぱいなのは、オレンジの皮から出た飛沫のせい、だよね?
 だって他に理由が思いあたらないもん。
 こんな気持ちになる理由、あたし知らない。


 キッチンから出て行く様子がない麻生くんに、なんて声を掛ければいいのかわからなくて、いつもより大げさな音をたてながら急いでジュースを作った。


「はい、できあがりっ」
 気詰まりな沈黙のなか出来上がったジュースを渡そうとして、ふっと指先が触れ合った。
「うわっ」
「きゃっ」
 同時に叫んで、落ちそうになるグラスを同時に掴む。
 触れ合うなんてレベルじゃなくて、大きな手の平の下にすっぽりと包まれている自分の指をまじまじと見ていると、耳の中で心臓の音がうるさいくらい響きだす。
 収まっていた頬の熱さが戻ってくる。
 さっきから、ほんとにあたし……どうしちゃったんだろう。
 こんなに口の中が乾いて、絶対におかしいよ。
「……っぶねー」
 小さく短いけど、久しぶりに聞いた気がする声に、はっと我に返った。
「ほ、ほんと……危なくダメにするとこだったよ、あは、ははは」
「手、離すからちゃんと持ってろよ」
「う、うん」
 同じ過ちを繰り返さないうちにテーブルへグラスを置いて、知らず知らずのうちに詰めていた息を吐き出した。
 最初からこうしてれば良かったんだ。
 でも、そうしたら触れ合うこともなくて……。
 それを寂しいって思っちゃうのは、なんで?
「……あ」
 ほんの数秒前まで重ねられていた指が、いまは感触を知っている大きい手の平が、勢い良くグラスを傾けていく様を呆然と見詰めた。


 だって、この気持ちの理由がなんとなく判っちゃったんだもん。


 多分……だけど、あたし麻生くんの事が……。
「うん、こういうのが飲みたかったんだよ。マジ美味かった。サンキュな」
「え? あ、うんっ」
 空になったグラスがくすぐったいくらい嬉しくて、けどほろ苦さが消えなくて、向けた笑顔が自分でもわかるくらい引きつっている。
「そうだ」
 振り向いて出て行きかけた麻生くんの口から告げられたセリフに、引きつった笑顔すら保てなくなった。
「おまえ……急にくっついてきたりすんなよな」
「……ごめん」
 気がついてしまった感情は、あたしを行き先がわからないジェットコースターに乗せる。
「な、泣くなよっ」
「泣いてなんかないよっ」
 たったこれだけのことで、泣くもんですか。
 泣いてたって何にもはじまらないのに。
「あのな、ああいう事されると、どうしていいか判んねぇんだよ」
 あ、れ?
「ドキドキしちまう、って……うわ、俺なに言ってんだ」
 あれ? ……もしかして?
「とにかく、あんま急に触んな」
「うん、わかった」
 触られるのが嫌ってわけじゃなかったんだ。
 そっか、麻生くんもドキドキしてくれたんだ。
 真っ赤な顔で、今度こそ振り向かずに出て行った麻生くんを見送りながら、ゴールはまだ遠いジェットコースター気分を味わった。

(拍手公開時の)プチあとがき…きっと意識してるのは彼の方

追加あとがき

麻生はピュアですから
手と手が触れ合っただけで、赤面モノです
……きっと!必ず!!
手を洗うのも躊躇うくらい、意識しまくりだといいわぁ〜

はっ!
しばらく夢の世界にトリップしておりました
麻生バカですいません