高鳴る音
「……おはよ」 教室まで辿り着くのがやっとで中身を入れ替える気力は起こらず、とりあえず鞄を机の上に置いて挨拶もそこそこに顔を伏せた。 「ちょっと、むぎ。一体どうしたのよ? 具合でも悪いの?」 夏実が隣まできてくれたのが気配で分かったけど、顔を上げる元気がでない。 それでも心配かけたら悪いという一心で、違うと一言呟いた。 「じゃあどうしたの。……はっはぁ、その様子じゃまたやったのね?」 付き合いの長い夏実には、たった一言と纏う雰囲気だけで伝わったらしい。 ポンポンと頭を叩かれて、ずしんと心が重くなる。 慰めようとしてなのは強さでわかるから、それはそれで夏実の気持ちは凄く嬉しい。 けど、またと言われる程自分たちは頻繁にケンカしているのかと自覚して落ち込んでしまう。 「原因は……やっぱアノ事?」 「うん」 「まだダメなんだ?」 「うん」 「もしかして、その話の途中で、あんたカッとなった?」 「……うん」 「あぁ、なるほど。じゃあ売り言葉に買い言葉みたくなっちゃったんだ?」 いつまでも伏せているわけにもいかず、顔をあげながら変わらない返事を呟いた。 「なんだかねぇ。あの人がなんでそんなに拘るのかわかんないんだけど」 「男には男の理由がある、らしいよ」 「にしたって、あんたがこんなに凹んでるんだから、もう少し譲歩してくれてもいいじゃん?」 「冷やかされたりするのが嫌なんだと思うよ」 「そんなの! 全国津々浦々、多くの校内カップルの宿命じゃん」 「それはそうだけど……」 その続きにも擁護するセリフが出そうになって、とっさに唇を噛んだ。 うん以降、気がつけばつい彼を庇うようなセリフばかりなことに今更気づいたからだ。 あたしは昨日やらかして凹んでいるとこで、夏実はあたしの気持ちを慮って一緒に憤ってくれている。 それも周囲に配慮して、相手の名前は一切出さないという高度な技で。 ここで庇うのは、そんな夏実を裏切っているんじゃないかという気になる。 とっさに噛みしめなければ、だってそういう性格だもん麻生くんは、と続けるところだった。 そこまでわかっているのにまわり、特に学園内には付き合っているのをバラしたくないという麻生くんと、またもやケンカしたのはあたしだ。 「……わかってるんだけどな」 「そうは言っても、恥ずかしいからって隠そうなんて。あんたの存在が恥ずかしいって言ってるようなもんじゃない」 親友としては許せないわよ! と拳を作ってくれた夏実に、弱々しいけどかろうじて笑みと呼べる顔を向けた。 「そこまで考えてはないと思う」 ただ、まっすぐだから。 感情に素直な人だから、今まで馴染みのない冷やかしを受けるかもと考えたら、どうしていいのか混乱しているんだと思う。 知り合った当初からは想像もつかない程、今は仲のいい元御堂家メンバー――つまりあたしと麻生くんの馴れ初めを全て知っている三人に対してさえ、そうなんだから。 学園内で何をしてもしなくても、余計に耳目を集めるラ・プリンスの一人で生徒会長、その人が女嫌いで通っているのは新入生にすら周知の事実だ。 麻生くんの同級生なら尚更だろう。 女子生徒からの接触の一切を眼光鋭い視線で全て切り捨て、それ以上近づこうものなら噛みつくぞと言わんばかりの態度なのは、羽倉麻生という人とセットの認識だ。 二人きりのときは眼光も和らいで、向けてくれる仕草は不器用だけど優しくて、あたしだけは女という記号から外れて好きだと言葉や態度で示してくれるのをあたししか知らないのは、むしろ贅沢なことだと頭ではわかってる。 「……これ以上望むのは罰当たりかなぁ」 ちょっと、ほんのちょっとでいい、二人きりの時と同じ雰囲気をおおっぴらじゃなくていいから学園内でも感じたい、と望むのは。 「あんたに当たる罰なんてないわよ。そんな神様ならこっちから願い下げ」 「……は、は」 仮にもキリスト教が母体の学園で物騒なことを吐く夏実に、ありがとと呟くのに被ってチャイムが鳴った。 「ほら元気出して。また時間がなんとかしてくれるから」 今まで時間が経つにつれお互い冷静になってケンカが終わるのを、一哉くん達とは違う目線で見守ってくれてきた夏実が断言して自分の席に戻っていく。 その背中にもう一度ありがとと呟いて、鞄から中身を取り出した。 ◇ 「さっ、お昼ご飯にしよ。あんたお弁当でしょ? あたしカフェテリア行きたいんだけど付き合ってもらっていい? 飲み物くらい奢るから」 「いいってば、もうっ」 授業の合間、ずっと明るく接してくれた夏実のさりげない気遣いに、今日はじめてためらいのない笑みを返しながらお弁当箱を手にした。 「急がないと。混んじゃうね」 キリのいい箇所までと、少しオーバーして終わった授業のせいで廊下からはもう解放された空気が流れ込んでいる。 これは席取るの無理かなぁテイクアウトにしようかと、廊下を伺った夏実がふいに口を止めた。 「夏実?」 「ふふっ」 夏実が見ている先に視線を向けるより早く、どよっとざわめく気配がした。 「今日はテイクアウトにするわ。一人でね」 「えっ? なに急に」 首を傾げたのと同時に鈴原はいるかと呼ばれ、扉の前に立つ声の主を認めた瞬間お弁当を落としそうになった。 「あ……」 とっさに名前を呼びそうになって喉で押し殺す。 麻生くんをサマも付けず名前で呼ぶ生徒なんて祥慶には居ないのに、うっかり呼んでしまったら……。 「でも、なんで」 扉に一番近かった男子がこちらを指すのと、掠れた問いが漏れたのをその人が拾ったの、どちらが早かったのか。 まっすぐ見詰められて喉がきゅっと苦しくなる。 「あぁ、ちょっといいか。生徒会のことで」 「あ、うん」 心なしか生徒会という単語が大きく聞こえた気がしたけど、あたしは生徒会メンバーじゃないと不思議に思う余裕もなくして夏実に片手でゴメンと断りを入れる。 「いいから、早く行ってきな」 「うん。今度あたしが飲み物奢る」 お弁当を置くのも忘れて、苦虫を噛んだ顔をして待つ人へ向かった。 なにも説明されないまま、廊下を先行く背中の後ろを少し遅れて着いていく。 カツカツとブーツの踵が鳴る度に、廊下のあちこちから探る視線が飛んできた。 ラ・プリンスで、生徒会長で、学年が違う有名人が話しかけるなオーラを出しながら歩いているのは、探ってしまうのも当然の光景だ。 あまり近づかない方がいい、よね? それでもどこへ行こうとしているのか分からない背中を見失わないよう、歩幅を調整しながら廊下の端まで来た時。 ふいに麻生くんが脚を止めた。 追いついていいのか悩む間もなく、くるりと振り向いたその人はいきなりお弁当を持つ手とは逆の、空いたあたしの手を掴んでやけに早足で再び歩き出した。 「待っ……て、早ッ」 身長分コンパスが違えば、あたしは小走りになるしかない。 連れ出された理由通りなら、生徒会室までこのまま廊下を進むのはかなり厳しい。 「すぐだから、おまえも我慢しろ」 「すぐって?」 「……月明庵」 気を抜いたら踏み外すんじゃないかというくらい勢いで階段を過ぎ、月明庵に通じるガラス戸から外へ誘われる。 「ね、生徒会室じゃないの」 辺りに人が途切れたのを確認して、それでも小声で問うと返事はなく代わりに繋がれた手にぎゅっと力が込められた。 「月明庵ね分かった、もう手を離してくれても」 「いい」 「でもっ」 「いいもんはいいんだよ。ほら、急ぐぜ。早く食わないと昼終わるだろ」 見ればほとんど握りつぶすように、繋いでいない手にカフェテリアで買ったらしいパンがあった。 ……ねぇほんとにいいの? かなり目立ってたと思うよ。 麻生くんの一番嫌いなそういう想像込みで。 明日、ううん午後から何か言われるかもしれないよ。 女嫌いのワイルドプリンスが女誘って連れ出した、とか。 口にできない問いかけに、また強く握る返事が返ってくる。 月明庵への歩道にカツカツと響く足音だけを聞きながら、不器用な譲歩に少し涙ぐんだ眼で薄赤く染まった耳と大きな背中を追いかけた。 |
あとがき
照れ屋さんでも優しい麻生が
もう好きで好きで大好きでヤバいです
あぁもうほんと二次元から出てきてくれないかな