繰り返される砂時計


 ゆるゆると覚醒していく物憂げな感覚に足して、襟元の詰まった服を無理やり着せられたような違和感が体を襲った。
 軽い咳払いをして身を起こすと、喉元を押さえてぼんやりしたままの頭を払う。
 椅子に寄りかかって思考に彷徨っているうちに、いつの間にか眠りへと落ちていたらしい。
 うたた寝から覚めた頭が、喉の乾きに苦痛よりも嬉しさを感じてしまうのは、叶わぬ恋がなせるわざか。
 ──ふいに。
 断片的に蘇った夢の光景に、背筋が凍るほど恐れをなした。
 はっきりとしない景色の中で、必死に捕まえようと手を伸ばしていた姿は、確かに彼女だった。
 現実でも捕まえられなかったというのに、願望が映し出される世界でさえ彼女を抱きしめることは出来なかったと、苦い憐憫が喉の渇きを強くする。
 開いた携帯電話で時間を確認し、苦笑にも似た軽い咳を再びしながら、いくつかの数字を押した。
 例え口実だとしても、彼女が僕の方を向いてくれる僅かな機会を悦ばしく思う自分を、どこまで愚かかと自嘲しながら最後の数字を押す。
 もう何度、口実を盾にこうして電話をしたのか……、いったい何時から彼女を……。
“依織くん、どうしたの?”
「遅くに悪いけど、頼みたいことがあって」
 決して断れないと、それは彼女の意思ではないと、判っているのに今日もまたささやかな頼みごとをして、耳をくすぐる声からそっと距離をおいた。





 軽やかなノックに続いて掛けられた声に、思わず口元が緩みそうになるのを堪えドアを開ける。
「おまたせ。遅くなってゴメンね? 頼まれた紅茶もってきたよ」
 電話をしてから幾らもたっていないというのに、当たり前のように謝罪を口にするのは……誰のせいかな?
 口にしそうになる言葉を飲み込んで、テーブルに向かう彼女の背に複雑な視線を向けた。
「ここでいい?」
「ありがとう、助かったよ。なんだか妙に喉が渇いてしまってね」
 カチャリと僅かな音をたてて並べられた茶器にも、複雑な思惑をのせた視線が向かう。
 きっと彼女は、僕が無類の紅茶好きだと思っているに違いない。
 慣れた手つきが茶葉を量ってポットに落としていく様を、苦々しい気持ちで眺めることしか出来ない男の苦悩なんて……気が付きもしていないのだろうね。
 きっと、気がつかないほうがいい。
 知れば君は苦しむから。
 優しいお姫さまは、容赦なく突っぱねることが出来ずに悩んでしまうだろうから。
 ……いっそ、はっきりと拒絶してくれた方が楽だと、僕に思わせてしまうだろうから。
「あとは、この砂時計が落ちるまで待っててね! あの……依織くん?」
「あぁ、なんでもないよ。まだ少し眠りから覚めていないみたいだけだから」
「そっか……あ、あのねっ」
「うん? なにかな」
 言い淀んで、わずかな間、床に落ちていた視線が真っ直ぐ僕を貫いた。
「なにか悩み事でもあるの? なんだか……ちゃんと眠れてないみたいだし。このごろ顔色も悪いし」
 あぁ、この何処までも無邪気なお姫さまは。
 悩み事の理由も、眠れない理由も、まさか自分に関わりがあるとは露とも疑わないんだね。
 それでいいと安堵する気持ちに混ざって、どろどろとした感情が内で蠢きだす。
 君を好きなのは彼だけじゃないと、告げてしまえたらどんなに楽か。
 いまは僕に向けられている視線が、彼しか映し出していないと判っていても、身を切り刻まれるほどの苦痛から逃れるために告げてしまいたいと思わせるのが、彼女だなんて。
「依織くん、やっぱり何か悩み事あるんでしょ? あたしに出来ることがあったら何でも言ってよ」
「ふふっ」
 残酷な思いやりに、乾いた笑いが漏れた。
 出来ることなどありはしないのに、そんなに簡単に手を差し伸べては駄目だよ。
 いつも視線は彼を追って、叶った恋に瞳を輝かせていて、そんな君を見ているのが幸せだと言い聞かせている男に自分を差し出すようなセリフは危険だ。
 彼と別れて、僕を好きになってくれるというなら話は別だけど。
 できない相談だろう?
「大丈夫。そんなに心配そうな顔をしないで? お姫さまは笑顔が一番だよ」
「でもっ」
「確かに、少し持て余していることはあるけど、時が解決してくれることだから」
「そう、なんだ」
「気持ちはありがたく受け取っておくよ」
 ただの同居人に向けられた、決して気遣いの域を超えない気持ちを。
 それだけでいい。
「わかった……じゃあ、あたし行くね。一哉くんにもコーヒー頼まれてて」
「だったら急いだ方がいい。遅れるとうるさいだろう」
「そうなの! たった一分でも遅いって文句いうんだよ? んもう、横暴だよね」
 嘆きながらも、頬は幸せに染まっているお姫さまを見送ってドアを閉める。
 いつの頃からか、彼女が僕の……紅茶のために用意してくれた砂時計が、音もたてずに山を作り始めるのをただ虚ろに眺め続けた。

(拍手公開時の)プチあとがき…身を引くのも愛情表現の一種かと

追加あとがき

一番、内に篭りそうな松川さん
まったく気がつきそうに無いむぎ
まわりの人間は放置するかハラハラするか面白がるなどしそうです
御堂家はカオスですな