恋は普遍の物語


 くすりと漏らした笑い声が耳に届いたのか、視界の端ですずが首を傾げ、やがてゆったりとした笑顔に変わった。
 そして静かに目線をさげると、手元の雑誌を音を立てないよう、そっとめくりはじめる。
 僕の邪魔をしないよう気遣ってなんだろうけど、ずっと小さく鼻歌を口ずさんでいるのに気がついてないんだね。
 さっきの笑いも、そんなすずが可愛らしくて思わず出てしまったというのに。
 思いが伝わったのかはたと鼻歌が止まり、少し思案する顔になってから、鼻歌と一緒に止まっていた手を再び動かしはじめる。
 そんな仕草も可愛らしいと悦に入ってしまうのは、恋のなせる業かな。
 軽く俯いてめくり続けていても、今だって僕の様子を伺っているのが手に取るようにわかる。
 声をかけるタイミングを計っているのも。
 そういうところがすずらしいけれど、遠慮することなんてないのに。
 いつだってすずを最優先しているのに、遠慮するなんてつれない態度を取るから、子供じみた素振りをしてしまう。
 早く声をかけて欲しいと思いながら本に没頭しているふりをするなんて、意味のある行動ではないのに、それでもすずから誘って欲しいと願ってしまうのは仕方ない。
 こんなにも僕の中はすずで埋められていて、痛いくらい愛しているのだから。
 だからこそ、ずっと意味のない根比べをしている。
 それがすずの役割とわかっていても、俺以外の男の頼みを聞く彼女を閉じ込めて、離さないでおきたいと望んでしまう気持ちを紛らわすため無造作に選んだ一冊と、その様子を思い違いしてどこからか取り出し読み始めた雑誌との我慢比べ。
 二人きりでいられる時間は限られていて、あと一時間もしたらおやすみの挨拶をしなければならないというのにね。
 培った演技力がこんな風に役立つなんて。
 空気をわずかに揺らす程度の、ささやかな自嘲が滲むと同時に、向かいの席で柔らかな髪の毛が勢い良く跳ねた。
「……依織くん?」
 おずおずと名を呼ぶ声に弾む心を抑えながら眼で返すと、用済みになった雑誌を脇へ押しやってすずが立ち上がる。
「えっと」
 手をそわそわと動かしながら口ごもるすずに、申し訳なさと……そして相反する嬉しさがこみ上げてしまう。
 こちらも用済みになった本を脇へ置くと、やっと自ら飛び込む気になったお姫さまに腕を広げた。
「おいで」
「いいの? 邪魔しちゃったんじゃない?」
「……さあ」
 待ち焦がれていた抱擁をしぶるすずの腕を取ると、結局きょうも僕の負けだと思いながら抱きしめる。
 首すじをくすぐる照れ笑いが心地よくて、逃れようと捩る体をさらに抱きしめる。
「恥ずかしいってば」
「こうして触れ合っているのが恥ずかしい? 僕は嬉しいのに」
「あたしも嬉しいけど、でもダメッ! どうしても恥ずかしいの」
「……もっと恥ずかしい事もしてるのに、ただ抱きしめているのはそんなに嫌?」
 じたばたと逃れようとすればするほど、抱きしめる力が強くなることに気がついていないお姫さまを閉じ込めて、耳をなぞりながら宥める言葉を囁くと、みるみる間に頬を染めて大人しくなった。
「いじわる」
「そうだね、今日の僕はまるで子供みたいだ。子供は自分の感情を押し通そうとするものだよ」
「子供はこ、こんな風に抱きしめたり、耳元で囁いたりしませんっ」
「そう?」
 唸り声をあげてうろたえるすずの表情も、声も、仕草全てが愛らしくて口元が緩むのを止められない。
「……いつも、あたしばっかり」
 なぜか悔しさを含ませて呟く声に軽く首を傾げると、一度唇をかみ締めてから堰を切ったように言葉があふれ出してきた。
「あたしばかり、いつもドキドキして。依織くんはいつも余裕で。自分がすごく子供みたい」
 恥ずかしさに顔を赤くしながらも視線は一直線に僕を貫いて、逸らすことはおろかごまかしすら許されない。
 まっすぐな性格と同じ素直な言葉が、僕の企みをより稚拙だと思わせる。
「僕は一生、すずに勝てないね」
「え、なんのこと?」
「僕のほうが子供で、すずにどれだけ甘えているかってことだよ」
「そんなことないってば。依織くんはオトナで」
「子供だよ」
 腕の中の宝物を逃がさないように強く抱きしめ、確かに存在する温もりに安心しながら繰り返す。
 肩に顔をのせたすずが、反論したそうに口を開いては閉じるのを感じながらさらにきつく抱きしめると、そっと腕を回し返された。
「願わくば、このひと時が永久であらんことを」
「……え?」
「読んでいた本のセリフを拝借した。いまの気分にこれ以上しっくりくる言葉もないとおもって」
「どんな、本?」
「古い演目の台本を解説したもので……」
 しんとした部屋の中に、掻い摘んで説明する自分の声だけが響いて、温もりに染み込んでいく。
 運命に翻弄される主人公は遊女だけれど、恋心に身を焦がす辛さは立場や時代を飛び越える。
 ささいな言葉に幸せを感じ、ふとした仕草に不安を感じ、もう愛しい人のことしか考えられない心の奥で情熱が渦巻く物語は……そのまま僕に当てはまる。
「このまま幸せに過ごせればと願う言葉だけど」
「けど、ってことは……ハッピーエンドじゃないんだ」
「そう。別れを決意しての」
「あたしは離れないよ?」
「……すず」
「その主人公さ、別れを決意って……一人で決めちゃダメだよ。二人ならいいアイデアが浮かぶかもしれないのに。諦めるのはダメ」
「そうだね」
 しがみつく華奢な腕の力強さが、どんな運命にも打ち勝ってきたすずの強さに感じる。
 どんなことがあってもくじけない僕の大切なお姫さまは、悲劇が待つ道など目もくれずに幸せな将来だけを突き進む。
 繋いだその手で僕を導きながら。
「願わくば、常しえに」
 貴方を愛して、貴方に愛されますように。
 純粋でひたむきな子供の願い事と負けない、ただ一つの素直な願いを注ぎ込むように深く深く、何度もキスを交わした。

(拍手公開時の)プチあとがき…子供っぽくてもいいじゃない。人間だもの

追加あとがき

この松川さん……もう、むぎをお膝のっけで本よんでればいいじゃない
やりたくなった分だけ、うなじにチューすればいいじゃない
わざと何度も耳元で囁いて、むぎがビクッとするの見て喜んでればいいじゃない!
人間だもの