探す音


「ないなぁ……」
「なにが見つからないのかな?」
 本人も無意識だろう呟きに、手にしていた本から僅かに顔をあげ、自然な間合いで返事をした。
「えっ、あ、もしかして今……?」
「あぁ邪魔してごめんね。聴こえてしまったものだから、つい」
 戸惑うすずに微笑を返すと、頬を染めながらもあははと軽やかな笑い声が部屋に響く。
「依織くんが謝ることないって。独り言したのはあたしだし」
 ちょっと恥ずかしかっただけ、そう言ってぶんぶんと顔の前で手を振るすずにもう一度、心の中でごめんと囁いた。
 つい、なんて嘘だ。
 本当はずっとすずの様子を伺っていて、声をかけるタイミングを見計らっていたのだから。
 二人きりで同じ時間を過ごす機会はたまにしかない贅沢だ。
 すずと出会ってから付き合うようになるまでは同じ家に彼らがいたし、俺が祥慶を卒業して独り暮らしをはじめたものの仕事柄おおっぴらに会瀬を重ねることは出来ない。
 それに最近は互いにスケジュールが詰まっていたから満足に会える時間がなかった。
 だから今日は久しぶりに何の制限もなく心行くまですずとの時間を楽しめる贅沢な日だったのだけど、ドライブから帰ってきてすぐ、携帯電話に手を伸ばした様子に口も手も出せなくなり、仕方なく本を読む体裁を取り繕っていただけだ。
 普及しはじめてからの歴史を考えれば、破竹の勢いで個人の最重要プライバシーになった携帯電話を前にして、そんなに真剣な顔になるほどの相手にメールでも送るのか、それとも誰か俺以外の男からのメールを待っていたりするのかなんて、浅ましい妬心を感じるくらいには大人気ないが、土足で踏み込んでいけるほど子供じゃない。
 不可視のバリアを張ったすずが、自分からきっかけを作ってくれるのをじりじりとしながら待つしかなかった。
 ごめんと心の中で囁いたのは、そんなこととは露知らず、微塵も疑っていない様子で謝らなくていいと笑ったすずの素直さに、だ。
「邪魔なら別の部屋に行っていようか」
 あぁ……ごめん。
 こんなことを言われたら
「そんな、邪魔なんかじゃないよ」
 すずは案の定、慌てた素振りで距離を詰めてくる。
「独りで夢中になっちゃっててごめんね」
 申し訳なさに少しの不安を混ぜた表情で見詰められて、安心させるよう努めて穏やかな顔を向けた。
「すずが謝ることでもないよ」
「……あのね」
 まだ晴れないすずの顔色に、いま俺は、自分が思うほど余裕の顔をできていないんじゃないか……そう苦くなった瞬間、すずが取った予想外の行動に目を瞠った。
「着メロ探してたんだけど、欲しいのが全然見つからないの」
 秘密が詰まった小箱を惜しげもなく晒して、プライバシーの一線を飛び越えてくる。
「……歌舞伎関係のって、ないものだね」
「歌舞伎の? またどうして」
 面食らって素で聞き返すと同時に、光る画面からさりげなく視線を外す。
 刹那でも見てはいけないものを覗き見してしまったような、気まずさが拭えない。
 ふっと照度が落ちる寸前に、検索ボックスに歌舞伎、と打ち込んであるのは見えてしまったから、すずが嘘を言っている訳ではないと証明されれば十分だ。
 嘘をつくような子じゃないのは、十分過ぎるくらい知っているのだから。
 むしろここまで無条件でさらけ出されると、自分の小ささを刺激されてしまう。
「どうして歌舞伎の着メロ探してたんだい?」
 気を取り直して同じ質問を尋ねると、笑わない? と前置きされる。
 着メロと歌舞伎、その二つの単語で想像できるのは、それはそれは愛らしい理由しかないのだけど、俺はそんな可愛らしいことをするすずに微笑まずにはいられないと断言できる……。
「さぁどうだろうね、お姫さま」
 答えをぼかしてすずの顔を覗き込むと
「笑わないでね」
 そうさらに念を押して、もじもじと語り出した。
「ドライブの帰りに依織くんの仕事の話になったでしょ?」
「あぁ、今度の公演の演目とか話したね」
「それ、有名なやつだっていうから、だったらもしかして着メロにあるんじゃないかと思って。あったら依織くん専用の着メロにしようかなー……と」
 やっぱりか。
 照れくさそうに俺の反応を窺ったすずが、笑わないでとお願いしたのにと拗ねる。
「笑ったわけじゃないよ。ただ可愛いなと思ってね」
「可愛い? なんで?」
「じゃあ何故すずは俺専用のなんて考えたの」
「それはその……。そしたら、会えない時でも依織くんからメールがきたら、近くに感じるかなー、とか」
 あぁ、本当にいとおしくて堪らない。
「松川の中にそういうのに詳しい人間がいるから、明日訊いてみるよ」
 そうしたら俺専用にして、さらに俺を近しく感じて欲しい、でも今は……。
 そっと肩を抱き寄せて、二人の距離を近付ける。
 一緒に居られる時間は直接感じて欲しいから、静かに携帯電話を取り上げる。
 その仕草で悟ったのか、瞼を伏せて待つ唇に愛しさを注ぎこんだ。

あとがき

むぎの中の幼い部分(誰にでもあるけど)を純粋と受け取れるから
松川さんは癒されるのかのぅ
猫百匹も癒されたいのぅ