あがり続ける熱の行方


 氷と氷がぶつかる音に、体温計の小さな音が割り込んで鳴った。
 浸しかけたタオルを机に置き、急いで振り向くと、いつもはさらさらと流れる黒髪が汗で額に張り付いているのが目に入って、泣きたいくらい不安になる。
 本人が大丈夫だって言い張るから様子をみていたけど、もっと早く病院に連絡すればよかったかもしれない。
「一哉くん……熱、どう?」
 そっと問いかけても、夕方からどんどん上がりはじめた熱のせいで、ひどくゆっくりと体温計を取り出している一哉くんから返事はない。
 顔をしかめている相手の手から問答無用で引き抜くと、落とした灯りの中で眼をこらした。
「やだ……どうしよう」
 直線で組み合わされた数字は、もうすぐ40度に届きそうな程。
「心配するな、じきに下がる」
 無理、言わないでよ。
 そんなに掠れた声して、いつものえらそうな態度が影を潜めて、どこからどう見ても病人なのに。
 まだ退院したばっかりなのに、それだってきっと一哉くんの事だから、お医者様に無茶いってムリヤリ退院してきた筈なのに、毎日まいにち仕事してるんだから。
 一番、大事な人が……大好きな人が、こんなに苦しんでるのに“心配するな”なんて。
「……一哉くんの、バカ」
 焼け石に水とわかっていても、額の髪を掬い上げて、かわりに氷水で絞ったタオルを乗せた。
「病人に向かって、馬鹿とは言ってくれるじゃないか」
「自覚してるなら、もっと大人しくしててよ」
「さっき解熱剤を飲んだばかりだからな、効いてくればなんて事ないぜ」
「熱がさがっても、今日はベッドから出さないからね。しばらく仕事もダメ」
「はいはい」
 熱があっても正確な状況判断ができるのか、それとも熱があるからこそなのか、やっと素直に聞いてくれたことに安堵して立ち上がった。
「お水、替えてくるから。ちゃんと寝ててね」
「あぁ……。いや、ここにいろ」
「でももう氷が溶けそうなの。すぐに戻るから」
「ダメだ」
 ……少しは素直になったと思ったのに、口だけは相変わらず絶好調なんだから。
「もう、我がまま言わないでよ! どんなにあたしが心配してるかわかんないの!? あたしがしてあげられる事なんて、冷たいタオルを用意してあげることくらいしかないじゃない……早く良くなって欲しいから、してるのに」
「タオルはもういい、だからここにいろ」
 んもう、わけわかんない。
 いつもはこんな理不尽な命令する人じゃないのに。
 やっぱり、熱でどうにかなってるんだ。
 早く、なんとかしないと……。
「あ、そうだ!」
 偶然みつけて、いつか参考にしようと持っておいたテキストがあった。
「えっと……この辺に置いておいたと……あ、これこれ」
 看護入門と書かれた表紙をみつけて、欲しい情報がないか慌しく捲る。
「なんだ、騒々しい」
「ちょっと黙ってて。はやく熱をさげる方法がないか、いま調べている所なんだから」
 包帯の巻き方、違う……止血、じゃない……あぁもう専門用語ばっかりで難しいったら。
「あ」
 これだ!
 発熱時の体温調節、効果的に解熱するポイント!
 目的にぴったりあったページを探し当て、貪るように読み進める。
「ええっと、動脈が体の表面ちかくを……もうっ、その場所が知りたいのに」
 動脈って、心臓から送り出す血管の方だったよね?
 専門用語と、数少ない保健体育の知識を照らし合わせながら、ずっと氷水に触れていたせいでうまく動かない指先でページをめくり続ける。
「おい」
「だから、少し黙っててってば! ようやく判りそうなのに」
「……ほう」
 イラストの一つでも載せててくれればいいのに……あたしみたいなド素人が読む場合だってあるんだから。
 一哉くんより理不尽な言い分をぶつけているとわかっても、焦る気持ちは止められなかった。
 はやく良くなって欲しい、いつもの悔しいくらい完璧な一哉くんに戻って欲しい、ただその気持ちだけが指を動かし続ける。
「……あったぁ」
 それらしき一文を見つけて、詰めていた息を吐き出す。
「良かったぁ、これで少しは楽になるかも! ね、一哉くん」
 本から眼を上げずに、黙って待っていてくれた一哉くんに知らせると、ふっとため息のような笑いが返ってきた。
「なになに、首すじ……わきの下……足の」
「どうした?」
「う、うん……その」
 判ったんだけど……。
「体表付近を動脈が流れる場所がわかったんだろう? この俺に黙っていろと命令までしたんだ、はやく実践してもらおうか」
「きゃ、ちょ、ちょっと脱がないでよ」
 ついさっきまでぐったりしてたのに、いつの間にか半身を起こしてボタンに手をかけている。
「脱がないでどうやって冷やすんだ、うん?」
「ま、待って!」
「首筋と、脇の下と、あぁ……足の付け根、もだったな」
「ひっ」
 パジャマのズボンに伸びそうな腕を、慌てて掴んで押し留めた。
「馬ー鹿」
 笑いを含んだ眼と声で、ようやくからかわれていた事に気がつく。
「知ってて黙ってたのね……イジワル」
「おまえが黙っていろと言ったんだろう? その通りにしてやったのに、注文の多い家政婦だな」
「だって、あたし、知らなかったんだもん!」
 効果的な解熱方法が必要なのは、いまのあたしの方かも。
 首筋やわきの下はいいとして、まさか、足の……だなんて……。
 熱くなっている顔が、ますます火照ってくる。
「だからタオルはもういい。おまえは大人しく俺のそばにいろ」
「……はぁい」
 額から落ちたタオルをまた浸して、横たわった一哉くんに戻す。
「手」
「え?」
「冷たくて気持ちがいい」
 満足げに眼を閉じ、何も言わなくなった一哉くんに手を掴まれて、立ち上がり離れようとした体を引き留められる。
 いまのあたしに出来ることは、それくらいしかないんだって自分に言い聞かせて、速いままの鼓動が伝わらないよう願いながら、掴まれた手の平の中で……少しだけ指に力をこめた。

(拍手公開時の)プチあとがき・・・熱があってもセクハラ健在

追加あとがき

拍手を設置して、はじめてアップしたのがこの話
なのにセクハラ(笑)
それがデフォルト!
ラブアロマの半裸&風呂を覗かれてるのに両手で髪をかき上げスチル(=隠れてないよ?大事な部分)
で、確信しちゃいましたから
御堂様は露しゅ……うおっほん、脱ぐのがお好きだと