囚われるなら、風習より貴方の腕


 静けさは、一人なら不安を感じてしまうかもしれないけど、二人だと何故か安心感を与えてくれる。
 きっと人数よりは、相手との関係のおかげなんだろうけど。
 一哉くんと二人、心地よさに浸っている今は、なんて贅沢な静けさなんだろう。
 割り込む電話もない、邪魔する仕事もない。
 二人の間に何もない時間は、今日一哉くんが連れて行ってくれたお店のデザートより甘くて、顔が自然と緩んでしまう。
 ふと視線を落すと、和紙にくるまれ一年の眠りにつく寸前のお内裏様が、涼しげな目元をさらに細めて、笑い返してくれたような気がした。


 そろそろ社を出ると電話してきたと思ったら、いきなり“出かける準備をしていろ”なんて指示をされて首を傾げたけれど、着いたレストランで“桃の節句だから、祝ってやる”と告げられて。
 毎日ものすごい忙しさなのに、サプライズに驚くあたしを満足そうに見る目が優しくて。
 言葉はぞんざいなのに口調は柔らかくて。
 そういう事を蔑ろにしない、一哉くんが大好きだから。


 それ以来、ずっと緩みっぱなしだった。
 彼と付き合うようになってから、ああいう──いわゆる高級店に脚を運ぶ機会は増えたけれど、未だに手の込んだ料理の合計が一体いくらなのかと緊張してしまう。
 だけど、個室に二人きりになれば落ち着く。
 嬉しいんだもん。
 一哉くんの気持ちが、一哉くんの傍が。
 ウェイトレスが料理を運ぶたびに体を強張らせ、再び二人きりになれば落ち着いて、シーソーみたいに感情がいったりきたりするあたしを面白がって、さんざんからかわれた時とっさに頬が膨らんだだけで、それ以外は何度引き締めても勝手に緩んでしまう。
 それどころか、空気の抜けた笑い声まで出てしまう始末で、その度に呆れ混じりの視線が向けられた。
 美味しい料理に舌鼓を打って、他愛ない話に花を咲かせて、おなかも心も満足してから当たり前のように同じ家に帰る。
 それだけで、あたしは凄く幸せ。
「また顔が崩れてるぜ」
 ふいに掛けられた言葉におもわず顔をあげると、いつからそうしていたのか、まっすぐにあたしを見つめる視線とぶつかった。
 すべてを圧倒する黒を和らげるかのように、ほんの少しだけ青を……すべてを包み込むやさしい夜の闇を溶かした瞳で見つめられて、あっという間に自分の顔が赤く染まるのがわかる。
「にやにや笑っていたと思ったら、次は赤くなって……。忙しいやつだな」
 からかうセリフにむくむくと反抗心が湧いて、ふいと顔をそらした。
 ほんとは、これ以上赤い頬を見られたくないから、だけど。
「そういう一哉くんは、よっぽど暇なんだね」
「ほぅ」
「だって、ずっと見てたってことでしょ?」
 恥ずかしさを誤魔化すためにわざと拗ねた口調で指摘すると、くつくつと低い笑い声が部屋に響いた。
「おまえってやつは……。まったく」
 途切れた言葉がなんなのか、疑問に思う間もなく膝の上に誘い込まれる。
「あっ、ダメ……これ片付けなきゃ」
「あとにしろ」
「でも! やっぱり駄目。今日中にしまわないと大変なんだから」
「……あぁ、婚期を逃すというあれのことか。そういう迷信を信じているあたりが、おまえらしいな」
「笑わないでよ。女の子にとっては一大事なんだから」
 ……そう、結婚という現実はまだ不確かだけど、子供の頃からまことしやかに語ってくれたお母さんの笑顔は、記憶の深いところからあたしに早く片付けろと確かに囁いている。
 だから帰った直後からすぐ、今日までリビングを華やかに彩ってくれていた雛飾りを、一つ一つ丁寧に箱へ戻していたところなのに。
「まだ半分も終わってないんだよ。今日が終わるまであと二時間もないんだからね」
「諦めろよ」
「嫌っ! 離してってば」
「嫌だ」
 ころんと膝から転がり落ちた桃の木を、拾い上げようと身を捩れば捩るほど、腰に回された腕の力は強くなる一方で。
「もう……仕方ないなぁ」
 結局、あたしはこうするって分かっていたのを認めてしまうと、諦めと、少しの期待をこめて胸に身を預けた。


「あたしの結婚……遅くなったら一哉くんのせいだからね。ちゃんと責任とってよ?」
「バーカ」
「なによ」
「遅くなるわけがないからな。……本当は、今すぐにでも……」
 心地いい、贅沢な沈黙が、一哉くんの胸の中で増幅されてあたしを包む。
 安心感が触れ合う先から染み込んできて、あたしを癒す。
 迷信を笑い飛ばして約束をくれる唇が、あたしを酔わせる。
「おまえが証人になればいい」
「んっ……な、に?」
 首すじをくすぐる唇が、唐突に囁いた内容に、一呼吸分遅れて頭が反応を返す。
「雛人形を片付けるのが遅くなっても、相応しい相手に出会っていれば大丈夫だってな」
「一哉、くんのこと?」
「俺以外に誰がいるんだよ」
 憮然とした声音が、耳を詰って注ぎ込まれる。
「違っ、そういう意味、じゃなくて」
「うん?」
「証人って……あたし、誰に証明するの?」
 よぎった疑問を素直に口に出すと、顔をあげた一哉くんが不敵な笑みを浮かべた。
 あたしが大好きな、偉そうで自信たっぷりのいつもの笑顔が、ゆっくりと戻ってくる。
「バーカ、決まってるだろ? 娘か、息子か……。どっちにしろ、おまえが教えてやれ」
「……それって」


 気が早すぎない?


 そう続けたかったのに……。
 未来を約束してる一哉くんが、あまりにも優しいから。
 幸せな気持ちだけを残して、頭は考えるのをやめてしまう。
 そっと目を閉じる寸前、一人取り残されてしまったお雛様が、それでも嬉しそうに笑ったような気がした。

(拍手公開時の)プチあとがき…はいはい、ごちそうさま

追加あとがき

書きたかったのは……
御 堂 さ ま 子 作 り 宣 言!
ひなまつり関係ねー(笑)

有言実行、な彼のことだから、
そりゃもう毎晩……(以下略)