月は必ず満ちるというのに


 今月に入ってから、もう何食目かわからないカレーに少しうんざりしながら面子を伺うと、自分だけじゃない様子に少しほっとした。
 この家で一番、権力がある家主の一哉が僕の視線に気がつくと、一つ長いため息をついたあと意を決したような顔で、忙しく動き回ってサラダを配っている姿へ声をかける。
「……鈴原」
「なに、一哉くん」
「明日は和食がいい」
「へ? あ、うん。じゃあ明日は和食ね。にしても、一哉くんがメニューに注文つけるのって珍しいね」
「俺はもともと和食が好みだと言ってあっただろうが」
 苦虫を噛み潰した顔で眉をよせる一哉の胸のうちが、ありありと想像できる。
 いくらむぎちゃんの料理は美味しいといっても、こう頻繁じゃ飽きもくるってね。
 我関せずという顔で、ふふと微笑を浮かべた松川さんだって、心の中じゃ同じ事を考えてるはず。
「ふぅん、俺は毎日カレーでも文句ねぇけどよ」
 このメンバーの中で満足してるのは、ガツガツとカレーを流し込んでる羽倉と、その様子を頬を染めてこっそり見ているむぎちゃんだけだ。
 ムカつく。
 むぎちゃんが何でカレーばっかり作りたがるのか、その理由もわかってないこいつが、すごくムカつく。
 バカがつくくらい単純なくせに、何でわかんないんだよ。
「あ、の……麻生くん、美味しい?」
 ほら。
 羽倉にだけ、感想を求めてる。
 それも不安げに言葉を詰まらせながら。
 イライラするなぁ。
「ん、うまい」
 まだ出されたばかりだというのに、ほぼ空になった皿を持って立ち上がる羽倉を蹴飛ばしてやりたい。
「だから言ったろ? カレーは二日目の方がうまいって」
「それくらい知ってるけどさ。ここまで味が変わるなんて思わなかったんだもん」
「変わるっつーか、馴染んだんだよ。昨日の作りたてもいいけど、やっぱカレーは二日目だよな」
「あたしもさっき味見して驚いたよ。麻生くんが入れたスパイスがいい感じでさ」
 同じことを繰り返す羽倉を心底バカだと思いながらしぶしぶ手に取ったスプーンが、会話の裏に潜む事実に気がついて滑り落ちた。
「瀬伊くん? どうしたの」
「んだよ、うっせぇな」
「うるさいのは羽倉だろ。何でもないよ、むぎちゃん。今日はいっぱい練習したから、意外と疲れてたみたい。……それより」
 さりげなく、深読みをされないほどの口調で、でもハッキリと。
 妖精、天使といわれる笑顔を浮かべて、視線をただ一人に見据えた。
「ねぇ、むぎちゃん。これって、もしかして二人で作ったの? 羽倉さっき帰ってきたんだから、てことは昨日の晩?」
「え……」
「あ」
 ぎこちなく顔を見合わせて、同時に口ごもる姿に、言葉じゃ言い表せない気持ちが膨れ上がっていく。
「うん昨日、ね。麻生くんがカレー食べたいっていうから、急遽つくることになって」
「言い出したのに、手伝わねぇのも何か悪ぃなって。別に、そんだけだっつーの」
「ふぅん」
「なんだよ、その顔。急に食いたくなったんだからしょうがねぇだろ? 深い意味なんかないって」
「なに慌ててんのさ。ただ訊いただけじゃん、変な羽倉。もしかしてカレーっていうのは口実で、夜中にむぎちゃんと」
「そんなんじゃねぇって言ってんだろ!」
 ほんとバカ。
 険を帯び始める声と、唐突に言葉をさえぎる様子が、なにより代弁してるってのに。
 羽倉が誤魔化せば誤魔化すほど、嫌な事実が浮かび上がってくる。
 ここんとこカレーが多い理由、やけに嬉しそうに羽倉が夕食の席につく理由、なにもかもが一つの答えを導き出す。
「夜中に人気のないキッチンで二人きりなんて、なーんか怪しいよね」
 どこか高いところから客観的に見ているもう一人の僕が、オロオロしているムギちゃんに気がついて口を閉じろと命令してくるのに。
「てめ、しつこいぞ」
「あはは、しつこいのは羽倉じゃない? だからこの頃カレーばっかりだったんだぁ」
「はぁ?!」
 問い詰めた先にまってる結論を察しているのに、唇は操られたように動きを止めない。
 馬鹿は僕の方かもしれない。
 きっと後悔すると悟っていながら、次々溢れる言葉を止められないんだ。
「自分が好きだからって、抜け駆け?」
「……っ」
 へぇ……はっと息を呑んで顔を赤くする程度には、羽倉もわかるんだ。
 今の言葉が、何を好きか指してるんじゃなくて、誰を……って事。
「ほーんと単純」
「……くそ。なんなんだよ、おまえ。さっきから妙に絡んでくんじゃねぇか」
 空いた手で髪をかき上げる羽倉が、子供ぽくって見てらんない。
 そんな見え見えの照れ隠し、むぎちゃんには通用しても、ね。
「べつにー。羽倉、自分でも言ってたじゃん、深い意味なんてないって。僕も、深い意味なく訊いただけ」
「……の野郎」
「麻生くん……瀬伊くん」
 この程度の言い争い日常茶飯事なのに、おかしな雰囲気を察したのかうろたえた声が名を呼ぶ。
 その順番すら羽倉が先だと気がついて、苛立ちが心を蝕んでいく。
「お手伝いすれば、いつでも好きなの作ってくれるなんて知らなかったな」
 こんな、暗に彼女を責める言葉、言いたくないのに。
 とっさに、あまりにも自然に、むぎちゃんを庇うよう間に立ち塞がる羽倉の剣幕が、ムカついてしょうがないから。
「ね、むぎちゃん。こんど僕とも一緒に料理しよ?」
「え、っと」
「おい!」
「僕も手伝うから、うーん……甘ーいシフォンケーキもいいけど、さっぱりしたのもいいよね」
「瀬伊くん?」
「一宮!」
 まるで連弾でもしてるみたいに息ぴったりに、二人から同時に浴びせられる言葉を無視して、なんで僕は笑顔なんだろう。
 なんで声はこんなに楽しそうなんだろう。
 なんで……いつも通りにからかってるふりして、なんで……。


 彼女が選んだのが僕じゃなくて、馬鹿で単純で子供っぽくて、いつか絶対にこいつのせいで泣く羽目になる、羽倉なんだよ。


「いい加減にしろ」
 ぴしりと響いた声に、全員がはっと動きを止めた。
 止められなかった僕の口さえも。
 天下の御堂さまは、なんでも出来るって訳?
 もう、なにもかもがムカつく。
「羽倉、いつまでも皿を持ったまま突っ立っているな。鈴原、コーヒー」
「え? でも、まだ食事の途ちゅ」
「いいから黙って淹れてこい。ほら、羽倉もおかわりならさっさと行け」
「う、うん」
「……おぅ」
 首をかしげながらキッチンへ向かう二人が見えなくなると、細いため息が僕に向けられた。
「一宮、あいつらにかまうな」
「なんの事?」
「とぼけるな。いまのお前はあいつらよりも分かりやす過ぎて、こっちが疲れる」
「うるさいな、なにが分かるって? あぁ、一哉もそういう事。ふぅん」
「話を摩り替えるな。……ったく」
「瀬伊、彼女を困らせたり苦しめると思うなら、少し自重しなさい」
「二人揃ってお説教? ありがたいご高説どうも」
「瀬伊? 人の気持ちをどうこう出来ない事くらい、分かるだろう」
 低く紡がれる言葉の裏に垣間見えた闇が、こっちへ来てはいけないと諭しているみたいで、何故か優しくすら感じる。
 でも……ごめんね、松川さん。
 闇から抜け出すためには、一度、闇に呑まれなくちゃいけないんだ。
 二人の間に入り込む隙がないと本能が察しているのに、どうにかならないかと足掻いてもがいて、その度に闇に取り込まれながら光を見つけるしかないんだ。
 僕だけに向けられる光を。
 あの、まっすぐ羽倉に向かっている彼女みたいな光を、ね。
 いつになるか、検討もつかないけど。
「どこに行く」
「安心して、キッチンじゃないから。むぎちゃんに、残してごめんねって伝えてくれる?」
「……あぁ」





 体よりも心が叫ぶ飢餓に導かれるよう、夜の街を彷徨いだした。
「……よりによって」
 ははっと乾いた笑いが闇の中に吸い込まれていく。
 かぼそい光すらない、新月の闇の中に。

(拍手公開時の)プチあとがき・・・光があるから闇もある、って事で

追加あとがき

感情をむき出しにする瀬伊を書いてみたくなったのです
他3人のセカンド話はむぎとその人だけ登場ですが
この話だけみんな登場
カレーを美味しそうに食べる麻生を書きたかったの……