想いを言葉に託して


「あなたを想うと、私の胸は春の嵐のように高鳴るのです。……それはまるで神々が歓喜の交歓をしているかのような原始的な共鳴で……」
 歓喜の交歓、かぁ。
 よくこんな難しい言葉を思いつくものだね。
 第一、どうしてラブレターに嵐とか神とか、仰々しい言葉が必要なんだろう。
 僕ならこんな回りくどい言い方しないけど。
「その天上の祝宴に流れている音こそが、いま私が最も表現したい音楽であり」
 あぁ、この気持ちならわかるかも。
 恋をしていても音楽に結び付けて考えちゃうのって、音楽やってる人共通なのかな。
 やっと理解できそうな件まで辿り着いて、もどかしい気持ちを抑えながらページをめくると、ようやく肝心な部分があらわれた。
「あなたに捧げた心そのものなのです」
 ……そう、音楽は心そのもの。
 装飾過多な冒頭はどうかと思うけど、この一文はすんなりと気持ちに染み込んでくる。
 自然と頭に浮かんだメロディーを口ずさみながら、もっともらしい解説を流し読みした。
 文章の背景や相手の解説なんて、真剣に読まなくても僕には十分だから。
 この書簡をしたためたと思われる時期の曲は、どれも恋の喜びに満ち溢れていて、偉大な作曲家がどれだけ恋人に夢中になっていたのか良くわかる。
 いくつかのページをめくり、次のラブレターを見つけて深く息を吸い込んだ。
「嗚呼つれない女神よ、どうして会いに来てくださらないのでしょう」
 ふぅん遠距離恋愛か、大変だったんだね。
 僕がすずと、もし……遠く離れなくちゃいけないかもなんて、想像するだけで胸が痛む。
 恋人がすぐ隣にいてくれることが、こんなに幸せだって知っているから。
「この遠く離れた地から、貴方への気持ちを鍵盤にのせて歌うことしかできない苦痛よ。せめて風とともに届くことを祈り」
「瀬伊くんっ!」
 唐突にさえぎられた恋文から目をあげると、僕のつれない女神は手にスポンジを握り締めてわなわなと震えていた。
「うん、なぁに?」
「なんで声に出して読むのよっ」
「なんでって……うーん、なんでだと思う?」
「あたしの仕事の邪魔をしたいからにしか思えませんっ」
「当たらずとも遠からず、かな」
 勘の鋭さに微笑むと、対照的にすずの頬はかぁっと赤くなった。
「……瀬伊くーん」
 感情を抑えている低音のトリルから、次にどう展開するのか一瞬で楽譜に書きおこせそうなくらい、すずは分かりやすい。
「もうすぐ終わるから、邪魔しないで!」
 ほらね。
 あっという間に高音へと変化した声にしぶしぶ本を閉じると、すずが磨き上げたばかりのカウンターに置いて手をあげた。
「はいはい、これでいい?」
「な、なんであたしが怒ってるのに、瀬伊くんの方が不満そうなのよ」
「だって、つまんない」
「つ……」
 絶句したすずの手から、泡が垂れて床におちる。
 あーあ、これでまた一つ仕事が増えちゃったじゃないか。
「あとはお皿を洗えば終わりなんだから、もう少し待ってて? つまんないなんて言わないで」
 もう少しって……、いままで十分なくらいほっとかれてるのに。
 ため息をついてぐるりとキッチンを見渡すと、どこもかしこも綺麗なのにとまたため息が零れた。
 すぐ目の前にいるのに、つれない女神は僕へ振り向いてくれないで、これ以上どこを掃除すればいいのか区別がつかないほどのキッチンをずっと磨き上げていた。
 一人でいてもつまらないから、適当に選んだ本を持ってわざわざここまで来たのに、一人でいるときよりもっとつまらない。
 本の中身が、音楽家の書簡をまとめたものだと気がついてからずっと、ラブレターばかり選んで読み上げていたのは、少しでもすずが気にしてくれればと願ってだったのに。
 邪魔するなだなんて、ひどいな。
「ほんとに、もうっ。どうして瀬伊くんはそういう悪戯ばっかり……」
 女神はあっさりと家政婦に戻ると、泡でいっぱいのシンクに腕を突っ込んで嘆きはじめる。
 またおあずけをくらって、暇つぶしもダメだと言われて、本当にやることがなくなったけどここから動こうとは思わない。
 華奢な後姿を眺めることしかできなくても、すずの傍にいるのが僕の幸せだから。
「読むなら、もっと……普通のにすればいいのに」
 嘆くたびに食器が荒々しい音をたてて積み上げられていく。
「女神とか、聞かされる身になってよ」
 あと少し力が入ったら、割れてしまうんじゃないかってくらいの勢いでまた一つ皿が積まれた。
「ねぇ、そんなに乱暴にして大丈夫?」
「あたしを誰だと思ってるの!? これくらいで割ったりしません」
 優秀な家政婦さんは力加減も心得てるって事?
「瀬伊くんが邪魔しなきゃ、あたしもこんなに急いだりしなくて済むのに」
「ふぅん……ねぇ、すず」
「もう少し待ってって言ったでしょ」
「すーず」
「……きゃあ」
 頑なに目をあわそうとしないどころか、返事もしなくなったすずの意識を僕に向けさせる方法。
 無防備な背中に抱きつくと、驚いて身じろぎする体をやんわりと押さえ込んだ。
「ね、もしかして照れてたの?」
 見る見る間に赤くなる耳へ唇を寄せると、腕の中で体が震える。
 あったかくて柔らかい女神の、そんな仕草が僕の胸に幸せな嵐を巻き起こす。
「それに、急いで片付けようとしてくれたのは、すずも僕との時間を楽しみにしてるってこと?」
「……あたりまえでしょ。なのに邪魔するんだもん」
「邪魔じゃないってば」
 人の言葉を借りて、すずへの気持ちを伝えようとしてただけ。
 どれだけ想ってるかを、ね。
「ねぇ、好きだよ。すごく」
 他人の言葉じゃ伝わらないのなら、頭に浮かぶ素直な言葉を贈るよ。
 それと……キスを。
「もう……瀬伊くんは悪戯ばっかり……」
 やっと振り向いた女神の言葉はつれなくても、向けられた顔は嬉しそうに微笑んでいた。

(拍手公開時の)プチあとがき…瀬伊が本気で邪魔するなら『降霊術の本』を朗読すると思う

追加あとがき

大好きなむぎには音楽家の恋文書簡集でも
麻生の邪魔をするときは、きっと『降霊術の本』のはずだ(笑)
それもヒュードロドロ系の音楽をかけながら
お茶目な瀬伊はいいなぁ