甘いのは誰のせい


「……なんか、手伝うことあるか?」
 ためらいがちに掛けられた声にクスリと笑みを漏らしてから振り向けば、照れくさそうに視線をそらす麻生くんが、キッチンの入り口で居心地悪そうにしていた。
「さっきも言ったけど、麻生くんにお手伝いして欲しいことはないよ。もう少しだから待ってて」
 首を振りながら、きょう何度目かのセリフを繰り返す。
「でもよ、落ち着かねぇんだって」
「なんて言ってもダメー」
「う……」
 キッパリした返事に喉を詰まらせながらも、出て行ってと言われたわけじゃないと判断したのか、意を決した顔でキッチンに一歩踏み込まれる。
 ダメだと言いつつも、その様子に胸がほうっとする。
 単純にいえば、構ってもらえるのが嬉しくてニヤけそうになってた。
 あたしは結構このやり取りを楽しんでいる。
「ここまできたら、もうちょっとくらい我慢してよ」
「いーや、もう無理。あっちに居ても気になるんだから仕方ねぇだろ。家中に匂いしてるし、音が聞こえんだから」
「あとは盛り付けるだけなんだってば」
「でもよ」
「待っ、て、て」
 わざと強く区切って答えると、対照的に麻生くんの頬は拗ねて引き結ばれる。
 きっと、あたししか知らないそんな表情をされると、眼光の鋭さがゆるんで一つ年上の、そして男の人だということも忘れてカワイイと思ってしまう。
「受け取ってほしい人に手伝わせるなんて、できないよ。バレンタインのチョコなんだから。ね?」
 だからか、子供をあやすような口調になったのを愛想笑いで誤魔化しながら覗き込むと、限りなくしぶしぶといった風情で頷いてくれた。
「じゃあ、ここで見てるのはいいだろ?」
 どれだけダメと言っても無理、と。
 瞳の奥で告げられて、ダメ押しとばかりに頬に手を添えられて、頑なな心はあっさり溶かされる。
「ほんとに見てるだけだからね」
 わずかに残った決心で一応の念押しをして頷くと、麻生くんの瞳がもっと甘くなった。
 砂糖を抑えめにしたチョコケーキよりも、今の麻生くんの方が絶対に甘い。
 ワイルドプリンスと呼ばれるこの人の、こんな表情を知るのはあたしだけ。
 一度味わった独占欲は他のどんな感情よりも強く、甘く、あたしを虜にして、もっと欲しいとねだってくる。
 麻生くんの瞳の中にいたあたしがふっと消えて、次の瞬間、唇にふわりと柔らかい感触が訪れた。
 あぁ、好きだな。
 こういう瞬間が、すごく好き。
 言葉にできない代わりに気持ちを込めてキスを返すと、もっと甘いキスをくれる。
 呼吸を忘れていた肺が呼気を求めて大きく喘ぐ。
 陶酔しきっていた意識に、キッチンを満たしていた甘い空気が入り込んで、一瞬で再び現実へと引き戻された。
「……ケーキ、仕上げなきゃ」
「あぁ、楽しみにしてる」
「……うん」
 何日も前からどんなチョコがいいのか悩んで悩んで、やっと甘いものの苦手な麻生くんにも喜んでもらえそうなビターなブラウニーに決めたんだもん。
 一晩置いた方がおいしくなるけど、作るところが見たいという麻生くんに負けて当日ギリギリになっちゃったから。
 せめて仕上げのデコレーションは、どんなお店のものにも負けないくらいにしたい。
 見るだけっていいながら、何度も手伝いを申し出てくる麻生くんとの一進一退の攻防を楽しみながら、刻んで混ぜて焼いて……。
 キッチンの端でグラス片手に落ち着いた麻生くんに笑みを送ってから、ケーキクーラーの上で粗熱をとっていたブラウニーへ手をかざして十分冷めたか確認する。
 温かいままでもおいしいけど、それだとホイップクリームがすぐ溶けちゃうもの。
 大丈夫だと判断して、冷蔵庫から取り出した生クリームをボウルに開ける。
 そのままいつもの癖で泡だて器を持とうとした手が、はたと止まった。
 冷やしてるから、ホイップにそう時間はかからないだろうけど……あんまり麻生くんを待たせたくないな。
 もうかなり待たせてるんだし……。
「ん? どうした」
「あ、あのね……っと、ここに電動の泡だて器をしまっておいたと……」
 頭上の棚に背伸びしながら答えると、これか? という声と同時にすっと影が落ちた。
「お、これじゃね?」
 簡単に目当ての物を探し出して、役に立っただろと麻生くんは誇らしげに笑う。
「これくらいならいいだろ?」
「うん、ありがと」
 まぁ、これくらいなら手伝ってもらったうちに入らない……よね。
 それに麻生くんが嬉しそうなんだし。
 自分勝手にルール変更して、箱から取り出した電動の泡だて器をてきぱきとセットした麻生くんから受け取ると、乳白色のクリームが波をたてる様に見入った。
 ボウルへうつむいていないと、今のわずかな時間でドキドキしちゃったのがバレそうで……。
 麻生くんは自分があたしに与える影響をわかってないからなぁ。
 人前じゃ……というより学園内限定じゃ、普通に話すのすら戸惑ってるのに。
 二人っきりになるとなにげない仕草が、視線すら、意味があるようでドキドキする。
 今だって、すっごく距離が近くて、麻生くんの大きい体にすっぽりと包まれてるようで、本当にドキドキした。
 麻生くんは、気にもしてないみたい……だけど。
 こっそり伺おうとした瞬間、まるで見透かしたように同じタイミングで“あのさ”と声がして、驚いた拍子にぶれた手元でまだ柔らかい生クリームが撥ねた。
「きゃっ」
「お、おいっ大丈夫か!?」
 とっさに眼を閉じた自分の反射能力に悦に入るわけもなく、ドジな自分への羞恥心で眼を開けられなくなる。
 カタンという音で、麻生くんが慌てて近づいてきたのがわかるけど、なにがどうなっているのか、奪われた視界でパニックになりかける。
「か、顔に……! まえ、みえなっ」
「ちょっと待ってろ! まずこれ止めるから」
 手から動き続けていた電動の泡だて器を抜かれ、振動が収まる。
「あっ! クリーム、ねぇクリームこぼれてない!? ケーキ落ちてない!?」
 わけがわからなくて、暴れた気がするし。
 見えない中で、最悪の惨状ばかりが脳裏に浮かぶ。
 麻生くんに喜んで欲しくて朝から頑張ったのに、もし……ダメになっちゃったらどうしよう!?
「ね、ねぇ。なにも言わないってことは、そ、そんなに酷い、の?」
 眼を開けようにも、額に跳んだクリームが垂れてきて……。
「いや、ケーキもクリームも無事だけど。タオル探してたんだよ。おまえ、そっちよりまず自分の心配しろって」
「ケーキが無事ならいいんだ」
 ほうと安堵のため息をつくと、落ち着いてきた耳に、扉を開けたり閉めたりする音や歩きまわる音が入ってきた。
「麻生くん?」
「タオル……ってどこ」
「そのへんにあったはず」
「だから、そのへんって……あぁそっか見えねぇのか」
「うん、手でぬぐうからいいよ。そのあとで顔を洗えば……」
「そういうわけにもいかねぇだろ。もし眼に入ったら痛いだろ」
 でも、自分のドジで麻生くんを動かせるのも……。
 黙って手でぬぐおうとしたのに、ふっと見えない目の前が陰って、上げかけた手を掴まれた。
「ちょっとジッとしてろよ」
「え?」
「タオルみつからねぇから、我慢しろよ」
「な……」
 に? と、たった二文字の言葉すら最後まで言えなかったのは、眼尻に柔らかい感触がしたから。
 これ、って。
 さっき唇に感じたのと同じ、ってことは麻生くんの……。
 気がついたら最後、頭の中は“きゃー”や“うわー”という悲鳴で埋め尽くされる。
「俺の手じゃ、もっと傷つけちまいそうだから……って、黙んなよ、恥ずかしいのは俺もなんだし」
 しゃべれと言われても口を開いたら何を口走るかわからないもの!
 結局、顔に唇の感触がしなくなるまで、音のしなくなったキッチンで、がちがちに固まったまま立ち尽くした。
 体が離れた気配がしても、まだ眼を開けられない。
 しんと静まり返った空気だけが気まずいのは、あたしだけじゃなかったみたいで
「すげ……口のなか甘い」
 うんざりした声が頭の上から落ちてくる。
 でも、言葉とは裏腹にその顔はきっと、これ以上ないってくらい照れて真っ赤になってる。
 はじめての告白、はじめて手をつないだとき、はじめてのキス、はじめて一緒に朝を迎えた日。
 そのときと同じ顔をしてるはず。
 それは、あたししか知らない麻生くんの顔、で。
 バレンタインのチョコケーキを仕上げることは忘れて、瞳の裏の麻生くんにまでドキドキされっぱなしだった。

あとがき

そこからクリームプレイとはいかないのが麻生
……だと思う
そういうのは妖精さんの役目

真昼間に真顔でプレイとか打ち込んでる自分に、いまちょっと嫌気さした
でも妄想は辞めない!