溶けて解けて
何となくキッチンに向かいはじめてから、喉が渇いているせいだと自分に言い訳をした。本当はすずがいる可能性が一番高いのがキッチンだからで、居なければ居ないで渇きは我慢できる。 女嫌いを公言していた名残で、いまいち素直になれない。 今も苦手なことには変わりがなくて、すずと付き合っていることを御堂とか一宮とか一宮とか一宮にネタにされるのが堪らない。 そういう部分を丸ごと包んで受け入れてくれる女で助かった。と思う反面、手の上であしらわれているようで面白くないのも事実だ。 ……無茶苦茶いってんな俺。 自分勝手な理屈に苦笑して、反省がてら素直な感情を少し解放してみた。心の中で思うだけなら、誰に聞かれる心配もねぇし。 素直に言っちまえば、好きだ。だから一緒に居たいし、見える範囲に置いときたい。食事の準備だ後片付けだ、掃除に洗濯だと忙しくても、それが自分の仕事だからと過度に手を差しのべられるのを負担に感じるところも、分かってる。結局そんなすずに惚れた立場としては、一緒に過ごす為には頃合いを見計らって、何かついでにというふりで現れるしかない。 いま喉が渇いているふりをするように。 あいつらみたいに手管に長けているのからしたら、さぞ幼稚だと見えるだろうが、肝心のすずが何の疑問も抱かずに「手伝ってくれてありがとう」と笑ってくれるなら、いい。 今の時間ならキッチンにいたとしても、仕事はほとんどないはずだ。手伝って早く終わらせれば、何に邪魔されることなく二人きりで過ごせるかもしれない。 そんなことを考えながらキッチンに足を踏み入れた途端、カウンターに所狭しと置かれたボウルにスケール、小麦粉や卵という材料に面食らった。 「あ、麻生くん。ごちゃごちゃしててゴメンね。何か用だった?」 「や、俺は飲みもん取りに来ただけだから……って、これどうした?」 晩飯の準備にしては時間が早すぎる、と頭の中で時間を思い返しているとすずが照れ臭そうに笑った。 「ちょっとね」 言いながら買い物袋から更に出した材料はチョコレートの固まりで、さすがにそれで分からないほど鈍くはない。 「……そっか」 すずの照れ笑いがうつったのか、頬が僅かに熱をもった気がする。 明日はバレンタインデーで、すずは彼女で、これで期待するなという方が無理だろ。 どんな物を、と自分から訊ねるほど厚かましくはなれないけど、グラスを取り出す間も冷蔵庫から水を出す間も、ちらちらと視線を向けてしまう。 「あ、そこのバター取って貰えるかな。無塩の」 冷蔵庫を開いたのを見て、両手に材料を抱えたすすが申し訳なさそうに視線で示す。 「これか?」 整然と整理された棚からバターを出して、手の塞がっているすずの代わりにカウンターに並べる。 「ありがとう!」 バターを取り上げたすずは手早くカットしてレンジに放り込んだ。 いつだったか、一宮のわがままに付き合って夜中にケーキを作っていたすずが、室温に戻す時間を省くのには、軽くレンジにかけるといいと言っていたのを思い出す。あれはまだ付き合う前だった。 言い訳の水を何口か含んで、残りはシンクに流し捨てる。 「バターの端の方、崩れてきてるぜ。これ完璧に溶かすのか?」 「あっ! 麻生くんナイスタイミング、そこで止めててもらえる?」 「おう」 粉を量っているすずは、目盛りを真剣に見つめていたと思ったら次に休む間もなく泡立て器とヘラを出したり、見ていると目が回りそうだ。 「なんか手伝う……か?」 「えっ」 つい口をついて出た自分のセリフに、でも手伝っていいものなのかと疑問に思って語尾に変な間が空いたのと……。 「いいの!? じゃあチョコ刻むの、お願いしていい?」 けろりと頼まれたのは同時だった。 「はっ?」 チョコ刻むの、って。そりゃ手伝いを言い出したのは俺だけど。バレンタインの用意だろ? チョコって……つうか、それアリなのか? 微妙にむなしいんだけど。 脳裏を過る感情は様々で、何とか絞り出したのは問い返す一言。 そのままぽかんと見つめていると、すずは焦った素振りでぶんぶんと手を振った。 「あっ、ごめん。男の人の方が力があるからって、つい。図々しくてごめんね、やっぱりあたし自分でやるから大丈夫」 いろいろツッコミたい気もするけど、曖昧な顔しか返すことが出来ない。 気まずい空気が流れ出したのを俺よりすずが感じたのか、 「なんか……いつも麻生くんに甘えちゃってごめんね」 自虐的な笑みを浮かべる様子に我に返った。 甘えられるのに嫌な気分になるわけじゃない。甘える対象が俺なのは嬉しいし。気軽に気を許せるくらい傍にいる証拠なら、何よりで……。 ためらったのはそれがチョコ……だったからで。 すずが言うなら。 「いいよ。これをどうすりゃいいんだ?」 この際、腹くくるか。勝手に期待していたのは俺だし。 言いながらやけにデカいチョコの固まりを持ち上げる。 「これ全部か? 女の力なら刻むだけでもかなりかかりそうだったな。おまえ独りでやるつもりだったのかよ」 「うーん、手間自体はそんなに難しくないレシピだから、大丈夫だと思ったんだよね。十人分でも」 「はぁっ?」 さぁ刻むかとしていたところに意外な爆弾を投げられて、さっきより大きく口が開いた。 「……十人分って」 「夏実でしょ、あと遊洛院さんとかクラスの子と、一哉くんたちにも。お世話になってるし」 「じゃあこれ全部義理チョコかよ?!」 「ふっるいなー麻生くん。今は女の子同士で交換するのは友チョコって言うんだよ。だから半分友チョコで、半分義理チョコ」 「へぇー、ってそうじゃなくてさ」 「なに?」 「……やっぱいい」 瞬間的にもやもやとした感情が胸を覆う。 貰えるだけで嬉しい、それは嘘偽りない。けど、義理……とダチのものと同じってのは、なんかすっきりしない。 やっぱ女は苦手だ。 昔は騒ぎに巻き込まれてくだらねぇと思っていたイベントが、今は、特別扱いされないのが面白くねぇとか、ガキっぽい自分をまざまざと見せつけられる。 晴れない気持ちでナイフの刃を下ろすと、乾いた土が崩れるように端から零れていく。固まりのほとんどを刻む頃には、刃の背に押し付けている手の平に赤く筋がついていた。 「ほんとありがとう。さすが麻生くん、力が違うね」 「……別に」 答えてから、さすがにぶっきらぼう過ぎたかと、話題を探す。 「にしてもチョコって案外硬いもんなんだな」 「うん。あ、後はあたしがやるね」 話題はあっという間に打ち切りか。 刻んでいる間に準備が出来たのか、溜まった欠片を湯を張った中に浮かべたボウルにあけ、かき混ぜている背中に気付かれないようため息を漏らす。 これ以上むなしくなんのは御免だという気持ちと、立ち去りがたい気持ちの間で揺れていると、ふいに振り返ったすずが晴れやかに笑った。 「麻生くんが手伝ってくれたお陰で、晩御飯にひびかなくてすんだよ。麻生くんのチョコの用意するのも、じっくり出来そう」 「俺の?」 ……は、いま溶かしているそれの何割かじゃ……と、首を傾げたのにすずが気付かなかったのは、伏せ目がちに頬を染めていたからかもしれない。 「夏実たちと交換するのは、日持ちのするようにってブラウニーにしたから先に焼くことにしたんだけど、そうするとどうしても本命チョコに取り掛かれるのは晩御飯の後になるとこだったんだ」 「んじゃ、これの他にも作る気でいたのかよ」 責めるような口調になったのは、いくらすずが家事が得意だといっても、今までと今手伝った経験で一日に二度も菓子を作るのは面倒だと簡単に想像がつくからよりも、他と一緒くたにされていなかったと安堵した女々しさを誤魔化そうとしたせいだった。 「あたりまえじゃん。だって、その……彼氏にあげるのだし」 疑われたのが心外だという顔でふいと横を向いたすずに、盛大にため息をついた顔を見られなくて良かった。 「どうせ麻生くんはこういうの苦手だろうけど。甘いのもさ……っきゃ」 女嫌いで通していた頃を知っているすずがぶつぶついう姿を、思いっきり抱きしめる。 「すっげ嬉しい。楽しみ」 「ほんとに?」 「あぁマジで」 やっぱ手の上であしらわれてるよな。 不思議と納得して、抱きしめる腕に力を込めると、本気で喜んでいるのが伝わったのか見上げたすずも笑う。 「あ、麻生くん、ちょっと動かないでね」 「ん?」 「ほっぺたにね、チョコの欠片が……」 腕の中で身を捩ったすずは、ふと動きを止めてはにかんだ。 そっと爪先立ちになる仕草に、こうやって甘いもんに慣らされていくんだろうなと思いながら背をかがめた。 |
あとがき
今さらながらの御堂家同居中設定。
時空が捻じ曲がってますが、気にしない。
浮かんだ妄想にあう設定を選べるのがフルキスのいいとこさ!
クリスマスぶりにフルキス創作したら、甘さの加減がわからなくなって……
もういっそ頬のチョコを舐め取りたいのは猫百匹自身なんですけどね!