これからも全てを共に
全身の感覚がおかしい。何がおかしいのか、何処がおかしいのか、おかしいところだらけで分からない。 肺から無理やり押しだした荒い息が、自分の耳のすぐ傍で聞こえる。 耳の奥には心臓が移動したのかもしれない、それほど鼓動が大きく感じる。 その心臓が必死に血を送っているのに、体が言うことを聞いてくれない。 圧し掛かられているような重みに膝が落ちそうになる。 早く、走れ、脚。 もうどれだけの距離を走り続けているのか、全力で走っている筈なのに、見える景色は変わらない。 瞬きの度に痛みで涙を浮かべるほど目を見開いているのに、いつの間にか見えていた景色も消え、目の前にはひたすらの闇。 後ろからも迫る闇。 「い、…………いやあぁぁぁぁぁぁぁ」 恐怖を滲ませた悲鳴が、自分の喉から迸っているのだと── 「すずっ!? どうした、おいっ、大丈夫か!? すず、すずっ?」 気付いたのと同時に、意識は再び途切れた。 ◇ 「で? それで俺にわざわざ連絡してきたのか」 最新の通信機器は、海を隔てていても呆れ交じりのため息をしっかりと拾う。 ため息一つで怯ませる空気はあえて無視。 「俺がどれだけ多忙か、羽倉に改めて説明する必要があるとは思ってもみなかったぜ」 「そう言うなって」 軽い厭味は御堂の挨拶のようなものだ。 第一、 御堂が本気で連絡するつもりがなかったら、相談したいことがあるとメールを送ってから約半日で折り返してくれるわけがない。 クリスマス休暇の分、日本より早く仕事のケリをつけなきゃいけないアメリカで、この忙しい時期に電話一本かけるのに相当無理したことくらい分かってる。 だからこそ、さっそく昨夜の出来事を話し終えたところだったが、まさかこんなにあっさりとした反応を返されるとは予想外だった。 説明が悪くて伝わってねぇのかもしれない。 真剣に捉えて欲しくて、すずの様子をさらに細かに付け加える。 「ただ悪い夢見てうなされたってレベルじゃなかったんだよ。汗も、なんつうか脂汗っつうのか、すげぇ全身冷えててさ。一回、目ぇ覚ましたんだけど、すぐ寝て」 「気絶したではなく?」 「いや、寝てた。寝息も落ち着いてたし」 「ほぅ?」 思案している雰囲気に乗せられ、続けて翌朝、つまり今朝の様子を説明にかかる。 「夢なら大抵は起きたら忘れてんだろ? あんなキツそうな夢なら覚えてねぇ方が幸せだろうし。ただまぁ気になったから少し探り入れてみたら、どうも何の夢を見たのか覚えてるっぽいんだよな」 「でも口を割らない、と」 「そうなんだよ。話せば楽になるかもしれねぇじゃん? とにかく尋常じゃなかったんだって。……一緒に暮らしてて、あんな様子見たのもはじめてだし」 「鈴原とは長い付き合いのおまえが言うんだから、よほど異常だったようだな」 御堂ん家で同居生活をしていた間も一緒に暮らしていたと言えるのかもしれないが、いま話題にしているのは恋人として生活を共にするようになってからの方だと正確に伝わったらしい。 これで、何ですずが寝ている間に夢でうなされているのを俺が知っているのか説明しろなんて言われたら、せっかく多忙な社長に繋がっているのを咄嗟に切ってしまいかねない。 「とにかくさ、どうすりゃいいのか何かわかんねぇかと思って」 「女嫌いのワイルドプリンスの面影はどこいった、ん?」 「うるせぇよディアデーム」 メールを送ってから何度も取り消したくなるほど照れくさかったのを、堪えに堪えているのに笑い声でからかわれ言い返す。 恥ずかしいのと心配なのと、天秤にかけた答えはあっさりと出たからこそ、穏やかな寝息を立てるすずの隣で夜の内にメール入れていた。 俺とすずの付き合いや互いの特殊な家庭環境、全てを把握した上で話を聞いてくれそうな相手となると、思いついたのは御堂しかいない。 松川さんや一宮を頼りにしていない、というのとは違う。 あの二人にはまだ何となく、恋愛ごとで相談するってのがハードル高すぎる。一宮はここぞとばかりに冷やかしに来るだろうし、松川さんは俺が実践できそうにないアドバイスをくれそうだ。 御堂もたまにぶっ飛んだ考えをしてるけど、まだ常識的な範囲での意見を期待できる。 「まぁ、ほんの数年前の俺だったら、こんな事を誰かに相談するなんて信じられねぇし」 「確かにな」 「御堂なら話が漏れることもないだろ」 ほんの数年前なら……、情けない、カッコ悪いと自分で認めることすらできなかった気持ちを素直に吐く。 ふっ、と耳にため息がかかった。 はじめの物と違って温かさを感じるその後を待っていると、聞こえてきたのは 「俺に訊かれてもわかるわけがないだろうが」 御堂らしくもない投げやりな言葉だった。 「おまえがわかんねぇって……」 頼りにしていた綱を、反対からぶつりと切られた感覚。 まさか何のアドバイスもないとは信じられず、焦りが胸を焦がす。 「答えをくれってんじゃねぇんだよ、なんか糸口でもって」 「俺に訊く方が間違っている。そもそも鈴原にどんな聞き出し方をしたのか知らないが、出だしを間違っているんじゃないのか」 「出だし?」 「おまえが何故知りたいか、何故気になるのか、それは鈴原に話したのか?」 あ……と、小さく声がこぼれた。 「気付いたようだな。なら、俺は忙しいから切るぞ」 「あ……おい」 途切れた通話のタイミング的に、御堂には「あ」しか届いてないだろう。 その後に、何と言うつもりだったのかを自分でも意識したのは、通話時間の表示も消えた頃になってようやくだ。 ま、御堂のことだから、その辺は分かってるだろう。 「あんがとな」 届かない礼を呟きながら、すずのアドレスを呼び出した。 ◇ 「ただいま」 “買い物中だから、もうすぐ帰る”とメールの返事があってから小一時間後、帰ってきたすずの声音はいつもと変わらなかった。 家に帰ったら挨拶はただいまだ。 当たり前のことを改めて感じたのは、いつの間にかそのありがたさを見失っていたからかもしれない。 「おかえり」 と返せる仲でいられるのは、いくつもの問題を二人で乗り越えてきたからだってのに。 重そうな方の買い物袋を受け取って、ペットボトルを定位置にしまう。 「明日はごちそうの予定だから、今日はキーマカレーにしようかと思うんだけど、良かった?」 同時にてきぱきと食材を冷蔵庫にしまいながら訊ねるすずに曖昧な返事をして、落ち着くのを待つ。 「他のがいい?」 不安そうに覗きこんできたすずを、まじまじと覗き返す。 変わりないように見えて、目元にはやはりうっすらとクマが浮かんでいる。 咄嗟に抱きしめて肩口に額を乗せた。 「麻生くん?」 「今日はもっとさっぱりしたもんの方がいいんじゃねぇの? おまえ寝不足じゃん。うどんとかでいいなら、俺が作るから」 「夢の話? まだ気にしてたなら、ごめんね。そんなに心配すると思わなかったから」 戸惑いで身じろいでいたのもすぐ治まり、子供をあやすみたいに頭を撫でられる。 「そう、心配。俺がおまえのこと心配しねぇとでも思ってんのかよ。心配だし出来る事あんなら何でもしたいって思うのおかしくないだろ」 そこから話さなければいけなかったのだと、御堂に気付かされた。 何で、って。 「おまえのこと、大事だから」 「麻生くん……」 ためらいがちに伏せたすずのまつ毛が少し揺れた。 「心配かけたくなくて、もっと心配させちゃった」 「もう言いたくないなら無理に訊かない。けど、無理なときに平気なふりすんのだけはやめてくれ」 「うん、あのね」 腰にまわった腕の、しがみつくような強さが増す。今度は俺が子供をあやすよう髪を撫でる。 「昨日、何となくテレビつけたら警察密着モノやってて。年末になると多いじゃない、そういうの。普段は平気なんだけど……」 「思いだしたか」 「うん、海から車が引き上げられるシーンがあって……お父さん達のこと」 だから、と声が湿る。そこから続かなくなった唇を、無理させたくなくて薄い肩ごと胸に閉じ込める。 「俺に言っても過去をどうもしてやれないけど、それ分かってっから我慢したんだろうけど、こうしてやることはできるから」 「うん」 「……なんて偉そうに言ってるけど、どうしたらいいのか分かんなくて御堂に訊いたんだ。だから悪い、あいつも知ってる。理由は抜きで」 白状したのが良かったのか、胸の中でくすりと唇が震えた。 「からかわれたりしなかった? 麻生くん嫌がるじゃないそういうの」 「まぁ、そこそこは。けど、おまえのことだから嫌とか感じてらんなかった」 「凄い。一足先にクリスマスプレゼントもらっちゃった気分」 「なんだよそれ」 軽口に安心して同時にふき出す。そして、今までトラブルを乗り越えた後、気持ちを確かめあうよう繰り返してきたキスをどちらからともなく求めあった。 |
あとがき
クリスマスこじつけ御堂も出るよ、的な。
体面より誰かを思う気持ちを優先するために頼るのは
弱さでは無く強さだと思うのです。
以前の麻生ならしそうになかったことをさせるの好きです。
つくづく麻生の成長が楽しみなんだな、あたし。