ハッピーバースデートゥーユー?


 最後の一口を飲み込むと、箸を置いてパンッと手を合わせた。
「ごちそうさま。どれもすっげ美味かった。マジで最高だった」
 心の底……いや、腹の底から満足の声を出して、空になった皿の数々を見渡す。
 すずが心を込めて作ってくれた多くの料理は、跡形もなくその皿から消えて全て二人の胃に納まっている。
「はい、おそまつさまでした」
 ごちそうさまに対するお決まりの台詞だけど、いくら作った本人とはいえ粗末なんて言葉を口にするのが許せなくて、かといって否定するのもできなくて、もう一度、感謝と満足のため息をつく。
 その様子を見て嬉しそうに笑うから、俺も嬉しくなる。
 目にした瞬間は単純に驚いた。
 御堂と松川さんの卒業を機に、五人での同居を解消してから通うことも多くなり、この頃はどこよりくつろげる場所になっていたこの家で、久しぶりに驚かされた。
 それほど多種多様の料理が迎えてくれたおかげで。
 口に運べばさらに驚く羽目になった。
 すずの腕前は知っていたのに、だ。
 腹をすかせて来てくれと言われたとおり、昼もそこそこにしていたからか、こんなに料理上手の彼女がいてラッキーだとしみじみ実感するほど、どれも美味かった。
 定番のカレーはもちろん、今まで御堂んとこで一緒に過ごした間、俺がうまいと言った料理の全てが用意されたんじゃないかと思うほど、机の上には皿が並んでいたのにどれも手が込んでいた。
 普通、これだけの皿の数を食べればしばらく健美棟に篭るはめになりそうなもんなのに、量も計算されて作られていたのか、感じるのは程よい満腹感と全身を包む幸福だけだ。
 もとから、すずが作ってくれたものを残すなんて考えはなくて、はじめから全部食べるつもりではいたけど。
 食べながらさりげなく振られる俺好みの話題、バイクやビリヤードの話ばかりになってしまうのに、嫌がる素振りもみせず熱心に相槌を打ってくれるすずとどこの店にも負けない料理。
 俺の生まれた日を祝ってすずが用意してくれたこの時間は、終わらせるのが惜しいと感じるほどで、どこの誰より幸せな誕生日だと誰彼問わず自慢したいくらいになる。
 したいと思うだけで、実際にはできねぇな……。
 とっさに浮かんだ面々に、ほんの少し苦い気持ちが込み上げた。
 冷やかされる恥ずかしさより、嫌な想像が脳裏を過ぎる。
 離れて暮らす今でも事あるごとに、御堂たち……特に一宮が、また手料理を食べたいと騒ぐほどだ。
 こんだけ祝ってもらったなんて自慢したら、どんな厄災がふりかかるか。
 ま、たまには俺だけの特典だとこっそり優越感に浸らせてもらうくらいなら、余計な手出しはされないだろう。
 そういえば、と。
「ありがとな。これだけ作んの手間かかったろ」
食べている間、ほとんど美味いしか口にしていないのを思い出して、ろくな礼もしていないと今さらながら向き直ると、皿を重ねはじめていたすずも手を休めてふと真顔になった。
「すげぇ嬉しかった。わざわざ俺のために」
 その言葉に、腹が膨れて上機嫌になった猫でも見るような、柔らかい瞳で口が開く。
「麻生くんのためだから」
 それ以上何の説明が必要かと言いたげな笑顔で断言されると、それだけで自然と頬が緩んでしまう。
 きっともの凄く締まりのない顔をしている──と、頭の片隅で思うそばからニヤけてしまうから、照れ隠しで視界を誤魔化すようすずの髪を混ぜると、すずまで嬉しそうな笑い声をあげた。
「もうっ、ぐちゃぐちゃになっちゃったじゃん」
 結いなおそうとしたのか、一度ほつれた髪をほどいた手は思いなおしたらしく、そのまま梳くだけで皿に戻った。
「あと一品あるから、少し待っててね」
「じゃあ手伝うぜ」
「ううん、とりあえず水につけておくから大丈夫だよ。麻生くんは座ってて。誕生日なんだから」
「でも……あっ、おい……って」
 続けようとした言葉が、髪を舞い上がらせながら反転したすずの背中で跳ね返される。
 意外と頑固なすずが言い出したら、余程のことがなくちゃ受け付けないのを分かっているから、浮かせた腰を椅子に戻して苦笑した。
 それに先月のすずの誕生日、同じ理由で遊びに連れ出した俺が、これ以上なにを言っても説得力がない。
 忙しく動き回っているんだろう、カチャカチャという音を聴きながら待っていると、やがて、おまたせーと陽気な声がした。
 つられて顔をあげて、ゲッと声が出そうになったのを辛うじて堪える。
「誕生日にはこれがないとね」
 そういうすずの手には、小振りなホールケーキが乗っていた。
 甘いもんの苦手な俺のために、きっとあえて小さく作ってくれた……のはいいとして。
 問題はその上に刺さった、たぶん……歳の数だけのロウソク……だ。
「マジ……で? それ、俺に吹き消せ、とか」
「うん」
 こわごわ尋ねると、簡潔にして明瞭な返事が恐れる事態をあっさり肯定してしまう。
「あたりまえじゃん。誕生日だよ? ロウソクの火を消すのはお約束だよ」
「そりゃ……、俺が五つか六つのガキなら喜ぶぜ? でもよ」
 いくら世間的には脛齧りの身といえ、十八になった大の男が、所狭しと突き刺さったロウソクを前に嬉々とするかどうかは……。
「……勘弁してくれよ」
 小声でぼやいたつもりだった。
 けれどその瞬間、声を拾ってしまったのか、すずがさっと表情を曇らせる。
「ごめん、嫌だった?」
「嫌……っつうか、な」
 この感情をどう説明すればいいのか、不思議そうに首をかしげるすずに引きつった笑いを返すのもやっとだ。
 優越感どころじゃない。
 こんなんあいつらに知られたら、永遠にネタにされつづけてしまう。
 さっきとは別の方向で隠しておくことにして、落ち込むすずをどうフォローすればいいのか、目まぐるしく考えた。
「気持ちは嬉しいぜ? あー……、ほら、一宮にケーキ作んの見てたから、これ作るのにも手間かかったの分かるし、ありがたいと思う。それは本当マジで」
 どうしたらすずのしてくれた事が迷惑とか、そういうんじゃなくて、ただ単純に気恥ずかしいだけだと伝わるのか必死に考えるのに、微妙な空気を感じ取ったすずはみるみる落ち込んでしまう。
「誕生日のケーキを囲んで、歌って、おめでとうまでが決まり事だと思ってたんだけど」
「でも、もうそういう歳じゃねぇつうか」
「あたしなら嬉しいかなって思ったんだけど……」
「お、女はそうだよな!」
 そう、男女差だ。
 これならきっと納得してもらえる。
「男はな、あんまりしないもんだろ。ダチ同士でロウソク消すの想像しても、ちょっとな」
「友達じゃないじゃん」
 またもあっさりと言い切られて言葉に詰まった。
「ただの男の子の友達に、じゃないもん」
 それはそうだと認めるしかできない。
 俺だって、すずが他の野郎にこんな手のこんだ誕生日祝いをしたらムカつく。
 そういう事をする女じゃないと知っていてもこんなに腹が立つんだから、なにか意図があってなら自分がどうなるか自信がない。
 どうしたもんかと髪をかきあげて凹み続けるすずを見れば、背後にどんよりとした影が漂っているのが見える気がして、罪悪感をちくちくと刺激される。
 俺はこいつのこういう顔には、弱いんだ。
「……うん、そっか、そうだよね。誕生日なのに嫌なことさせたら意味ないもんね。なら、切り分けてくるよ」
 無理やり出したであろう明るい声にトドメをさされて、ケーキを片付けようとする手を思わず掴んでいた。
 こいつが滅多に愚痴をこぼしたり弱ったところを見せないから、空元気がバレバレの笑顔にはもっと弱い。
 俺のせいで顔を曇らせたくないし、いつも笑っていて欲しい。
 この場でそのためには……。
「やる」
「え?」
「だから! やるって言ったんだよ」
「でも……」
「いいから! 早くすませて早く食べようぜ、なっ」
「う、うんっ、じゃあマッチ持ってくるね」
 やっと笑顔を取り戻して軽やかな足取りでキッチンに戻っていく背中を見ながら、俺の背はソファーから滑り落ちた。
 キッチンからは上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。
 そのメロディーがすず曰くお約束のハッピーバースデートゥーユーで、こんなに喜んでくれるなら良かったんだと自分に言い聞かせた。
 今は家族が消えたこの家で、それぞれの誕生日ごとにそうしていただろうすずの姿が目に浮かぶ。
 普通の家なら、それが当たり前の誕生日、なのかもな。
 俺の家は母親がいなくなってからんなことしたこともないし、考えすらしなかった。
 どこか歪で、でもそれぞれが少しずつすれ違っていただけの父親と姉貴と俺。
 ちったぁマトモになった今でも、ケーキを囲んでロウソクに息を吹きかけるなんて、想像もできない。
 足りなかったものを埋めてくれるのは、いつだってすずだ。
「おまたせー」
「おぅ」
「いったん灯り消すね」
 きっと俺は、来年も再来年も、いや、この先ずっと。こいつの誕生日には歳の数だけのロウソクを準備してしまうだろう。
 ロウソクの灯りが満面の笑みを浮かべる横顔を照らしだして、一瞬見惚れてからそんなことを思った。

あとがき

そりゃ8/6には間に合わなかったけど
7日には書き終わってたんだよ?
ネット環境あれこれでアップすんのが遅くなっただけでさ
(アップしたの8/20)
麻生を祝う気持ちには変わりがないのさ

鈴原さん限定でヘタレな麻生”も”好き