愛を信じるから永遠の幸福へ
小さい頃、お姉ちゃんと一緒に来て以来、かな? 家の近くにある昔ながらの商店街の外れ、ひっそりと佇む花屋さんの前で脚を止め、懐かしい記憶に少し浸った。 あの時は、お花の値段が予想していたよりもずっと高価だったことに、驚いたんだよね。 でっかい花束を買ってお母さんをビックリさせようね! ……なーんて相談しあったのに、まずビックリさせられたのは自分達だったなんて。 どれだけ世間知らずの子供だったかを思い出して、ふっと笑いが零れてしまう。 お姉ちゃんと出し合ったお小遣いを、わらをも縋る気持ちで握り締めながら、どうしようか店先でこそこそと話し合ったんだ、確か。 意を決して店に踏み込んで、そして……二人で恐る恐る差し出した金額を見て、店員さんがちょっと困った顔になったっけ。 束になって売っているカーネーションを横目に、あからさまに足りない金額を出されれば、そりゃあ苦笑するしかないもんね。 何度か花とあたし達の間で視線を往復させてから、どこからか出してきてくれたカーネーション。 まだ膨らんでもいない蕾の数もバラバラで、葉も不ぞろいだったけど、束にすれば店先の物と大差ないブーケが出来上がって……。 優しい笑顔で渡してくれた花束に、何度も何度もお礼を言って店を出てから、走ってお母さんの待つ家に帰ったんだ。 お姉ちゃんと一緒に、目が合えば自然と笑い声をあげて。 母の日に赤いカーネーションを贈る意味なんて知らなかった、ただセケンってのはそういう物だとしか理解してなかった。 あたし達にとっては、お母さんが喜んでくれることだけが、大事だったから。 はいっ、と……声をハモらせて差し出したカーネーションに、お母さんは一瞬だけ驚いてから大げさに喜んでくれて、あたし達はそれで満足だった。 懐かしいと思う今が、ちょっと悲しい。 やだな……今日はこんな気持ちに浸りたいわけじゃないのに。 沈みそうな心を奮い立たせて、脚を一歩前に出す。 ドアをあけた瞬間、強い香りが全身を包んだ。 店中を埋め尽くす花の洪水は、くらりとするほどの甘い刺激になって、余計に記憶を呼び覚ます。 あの時もそう、むせかえるほどの香りに恐れをなして、お金が足りていないのにお店に入ってしまったのを後ろめたく感じたくらいで。 今日は大丈夫。 ちゃんと、こないだ銀行に行って用意してきたから。 頭の中で財布を確認して、自分を安心させながら店中を見渡す。 巨大なショーケースに体半分つっこんでいた人が、音で気がついたのか、声をかける前に振り返って笑顔になった。 「いらっしゃいませ」 「あの、カーネーションの花束が欲しいんですけど」 「赤でよろしいですか?」 あの時とは違う人だけど、笑顔の優しさは同じ店員さんが、ごくごく自然に色を口にする。 五月の第二日曜に、赤以外のカーネーションを必要とする人なんて、この世には存在しないってくらい自然に。 ……やっぱり白じゃなくて、赤にしようか。 亡くなった人に捧げるのは、白いカーネーション。 だから、家を出る前から白の方がいいかなって思ってたのに、世間の波に呑まれてあっさり揺らいでしまう。 「他のお色もありますけど。ご希望はありますか?」 希望は……。 思い出の中のお母さんが、花束を抱きしめて、あたしの迷いを吹き飛ばす笑顔になった。 「いえ、赤でお願いします。あ、それと……」 ほんの数分前まで立っていたのに、店を出たとたん明るい日差しに負けて目を細めた。 初夏って言葉がぴったりな陽気に、薄手のシャツすら重く感じてしまう。 けど……うん! いいお天気でよかった。 さすがに、この荷物と花束に、傘まで加わったら大変だったもの。 それに、雨ってなんだか気分が沈んでしまうから……。 腕にかけたバッグがずり落ちてくるのを、元に戻そうとして肩をあげれば、腕の中のセロファンがカサカサと音をたてる。 束が潰れないよう抱えなおして、陽が照らす街並みに踏み出した。 通り過ぎてく風が、優しい花の匂いを全て連れていってしまわないうちに、お母さんに届けなきゃ。 今日はお姉ちゃんがいなくて、あたしも走り出す年じゃなくなったけど、お母さんを喜ばすために……その思いだけは……今もこれからも永遠に変わりがないから。 「……あっつい」 墓地に向かう道の途中、袖をまくった腕はじっとりと汗をかいて、とっくにセロファンの痕がついてしまっていた。 ぐんぐん上がって初夏どころか、もう夏だと言われてもおかしいと思わない気温に、ぼやきが漏れてしまう。 こんなことなら、素直に麻生くんに頼めばよかったかな。 今日この日に何か予定あるのかって訊かれて、はっきりと答えられなかったあたしを不審がってたけど、足が必要なら送るぜって優しい言葉をかけてくれたのにね。 それも断っちゃって、ますます不思議そうな顔してた。 あたしが麻生くんに対して、言葉を濁すとか隠し事するなんて、まず無いから。 けど……言えなかった。 麻生くんも同じだから。 ううん、麻生くんの方がもっと辛いはず。 お母さんと過ごした時間は、あたしよりずっと短いもの。 幼い頃の悲しい出来事に、まだ心を痛めているのを知ってるから、言えなかった。 一緒になんとなく見ていたテレビから母の日関係の話題が流れるたび、さりげなくチャンネルを変えていた麻生くんに言えなかった。 母の日にお墓参りしようと考えてるって言ったら、麻生くんに辛い思い出を蘇らせちゃうかもしれない。 悲しさや苦しさを誰よりも分かるからこそ、これはあたしだけの秘密にしよう……って決めたんだ。 あたしの気持ちを押し付けちゃいけない、って。 麻生くんのお母さんの思い出は、麻生くんだけのものなんだから。 付き合っていても、絶対不可侵の領域に軽々しく踏み込んじゃいけない事を、喧嘩したりすれ違ったりしながら学んできた。 母の日をどう過ごすかは、麻生くん本人が決めればいい。 あたしが今日、お墓参りするのを一人で決めたように。 いつかはお互いに、自然と口にできればいいね。 いくら時間がかかっても、その時その隣にあたしがいられれば、それだけで幸せ……それだけでいい。 ふと視線をあげると、霊園の入り口はもう目の前だった。 考え事をしながら歩いたお陰で、途中から暑さを感じずにすんだことにほっとする。 暑いと再び感じたせいか途端にどっと汗が吹き出て、手の甲で無造作にぬぐうと、花束が存在を思い出させるようガサッと鳴った。 「うわっ、大変」 あわてて中を覗き込み、つぶれた花がないか確認して長いため息をつく。 もうすぐお母さんに渡せるのに、ここでダメにしちゃったら意味ないじゃない。 ひしゃげたセロファンをつまんでピンと立たせると、大きく花の香りを吸い込んだ。 大丈夫、お店を出たときと変わらない、みずみずしい香りがしてる。 ようやく安心して、また足を進めた。 こんなに暖かいのに、そこだけ空間が違うかのように、涼しげな空気を漂わせている門に数歩で辿り着く。 「はぁ、着いたぁ。……えっと」 新興の住宅地みたいに、似た佇まいが延々と繰り返される霊園の景色の中で、両親の眠る場所までの道を思い出そうとするよりも先に、体が勝手に動き出す。 お花を活ける水を用意してから行った方がいいのか、一旦荷物を置いてからの方が楽か……。 染み付いた家政婦の癖か、当たり前のように効率のいい方法を探している自分に気がついて、くすくすと笑いが出てしまう。 静かに世界を分けている門をそっと通り抜けながら、何気なく向かわせた視線の先にあるはずのない物を見て、歩き出した足がすぐに止まってしまった。 笑っていた唇も固まる。 何度も来た霊園にある、見慣れたもの。 どちらもあたしには馴染んだ光景なのに、組み合わせが思考を戸惑わせる。 風に乗ってきた車のクラクションにハッと体を震え、花束が擦れあい、まるで密やかな会話をしているような音がした。 「な、んで……だって……」 驚いて飛び立った鳥の声にかき消されて、呟きが口の中で消えていく。 見間違いかと頭を振っても、見慣れたそれは消えることなく鈍い光を放っている。 「どう、して」 呆然と立ち尽くす体から、一瞬で汗がひいていった。 ぎゅっと花束を抱きしめた指の先が、白く冷たくなって震えだす。 かわりに胸の奥が、確かな現実と幸せな予感に熱くなっていく。 目をつぶって深呼吸を繰り返すと、花の香りに刺激されていろんな景色が頭に浮かんだ。 お母さんの笑顔、お姉ちゃんの笑い声、悲しくて辛いあの頃、そして出会ったたくさんの笑顔……。 あたしを救ってくれた人達。 その中で一番大好きな、彼の……麻生くんの笑顔がいっぱい浮かんでは消える。 今日は、きっとどこかに出かけてるかな? だからそんなはずない。 だってあたし、言わなかったもの。 でも、あたしが見間違うわけない。 ……麻生くんのバイクを。 やっぱり……麻生くんだ。 逸る気持ちとは裏腹に、やけにゆっくりとしか動かない脚が、両親のお墓の前で佇む後姿に止まる。 確信していたのに、姿を目にしたとたん安堵した。 どこかで、そんな筈ないって思っていたからかもしれない。 何度か一緒にここに来たことあるけど、まさか麻生くん一人で来るなんて想像もしていなかったから。 無造作に片手をポケットへ突っ込んでいるところも、何かに流されまいとしっかり立っているところも、彼自身みたいに見かけより柔らかいあの髪も、全部いつもの麻生くんなのに、こちらに向いている背中だけが、声をかけられない雰囲気を漂わせていて、駆け寄っていけない。 高さを増した陽が照らしていて、すごくあたたかそうなのに……。 無言の背中が、あたしを足踏みさせる。 あたしの存在が邪魔だと感じるほど、その光景はなじみないのに自然で、今は誰も入り込んじゃいけないんだって心が悟る。 喧騒から切り離された静かな場所の中で、ただ立っている麻生くんは、きっと……たぶん、いっぱい話をしてるんだ。 あたしのお母さん、そしてお父さんに。 なにを言ってるの? あたしと同じだって思って、いいの? あたしがお母さんに言うつもりだった事……、周りの人に支えられて、その中で大事な人を見つけたよって……、今はすごく幸せで、それは一生続くかもしれないんだ、って……。 聞いちゃいけない、麻生くんだけの秘密なのに、気持ちの奥深いところがあったかくなる理由はそうとしか思えなくて、いつの間に流れていたのか頬が風をうけてひんやりとする。 彼が飾ってくれたのか、あたしの他には誰もくるはずない両親の墓は、赤い花……大輪の真っ赤なカーネーションでいっぱいだった。 体の影になっている片手に持っているのも、赤いカーネーションなんだろう。 それは、麻生くんのお母さんへの……。 同じだ。 麻生くんも同じ気持ちだったんだ。 腕の中の二つの花束に目をむけると、セロファンが擦れあって、そうだと返事をしてくれるみたいに鳴った。 「……すず?」 「えっ? あっ……」 慌てて頬をぬぐって顔をあげると、驚きと気まずさを同居させた顔で見つめる麻生くんと目が合ってしまう。 「おまえ……てっきり今日は丘崎たちと出かけるもんだと」 「麻生くんだって、ジョージさんとビリヤードしてるのかと」 お互いに近づきながら、同じ勘違いをしていた事実に、同じタイミングで吹き出した。 「そっか」 「うん」 短い会話で気持ち全部を確認しあって、あたりまえって顔で差し出す手にバッグを預ける。 何気ない仕草が、そのままあたし達の過ごした時間を表しているみたいで、嬉しくなる。 空いた手で花束を持ち直すと、ゆっくりお母さんの前まで進んだ。 「……久しぶり」 もういっぱいになってる花器の中に、そっとカーネーションの束を一つ挿して、静かに手を合わせた。 お母さんに話したいことがありすぎて、どれから話せばいいかわからないけど、今あたしが凄く幸せってことは伝わるよね。 なにも言わないけど、こうやってお花を飾ってくれたみたいに、優しくてあったかくて、あたしの事を大事にしてくれる人と一緒だよ。 お父さんがお母さんを大事にしていたように、ね。 お姉ちゃんもロンドンで幸せにしてる。 あたし達は大丈夫。 悲しいことも辛いこともあったし、これからも想像できない事態が待ち受けてるかもしれないけど、あたしは麻生くんと一緒なら何があっても大丈夫。 気持ちを理解してくれるから、理解したいって思うから、この人の傍にいれば……絶対に幸せしか残らないって断言できるよ。 できるなら、叶うなら……たった一目でもいいから直接会って欲しかった、けど。 どんなに素敵な人か、お母さんとお父さんにいっぱい話したかった。 子供ののろけ話なんて、お父さんは渋い顔するかもしれないけど、お母さんなら笑っておめでとうって……。 絶対に、笑っておめでとう……って。 桜木の事件がなければ可能なことだったろうけど、そしたら麻生くんと出会うのは不可能で、どっちが良かったなんて選べないのに。 考えたってどうすることも出来ないのに、小さい頃のあたし……お母さんへの花束を持って走ったころのあたしが、はるか遠くに思えて、震える唇をかみ締める。 こんなあたしを見せたかったわけじゃない。 あたしはちゃんと笑ってるって、お母さんに見せなきゃ。 乱暴に頬をぬぐうと、後ろから無言で差し出されたバッグを受け取って、ハンカチを引っ張り出した。 目にあてるのと同時にぽんぽんと頭を撫でられて、それが子供のころのあたしを慰めてくれたお母さんの手みたいで、気がつけばバッグが足元に転がっていた。 「……ありがと」 「なにが」 ぶっきらぼうなセリフなのに、響きはすごく優しい。 あやすように抱きしめてくれる腕も、あったかくて優しい。 知らない人が見たら、お墓の前で抱き合うなんて不謹慎なって思うかもしれないけど、あたしと麻生くんには今こうしてるのが何よりも自然で必要だって、言葉にしなくても通じてるから。 風に負けずに包み込む花の香りの中で、大事なぬくもりに縋りついた。 風に揺れる花たちの声が、祝福してくれる笑い声に……聴こえた。 「そっちは? 飾ってこなくて良かったのか」 「うん。これは麻生くんのお母さんに持っていこうって、用意してたの」 あたしが落ち着いてから、ようやく気がついたという声で尋ねられて、もう一つの花束に目をむけた。 麻生くんに秘密にしてた、もう一つのこと。 お母さんに挨拶したら、麻生くんが前に連れていってくれたお墓まで行こうとも、内緒で考えてたんだ。 「結局、俺ら二人とも同じこと考えてたのか」 「みたいだね」 麻生くんの手にもある花束を見て、嬉しい偶然に笑顔になる。 そう、なにも相談しあったわけじゃないのに、同じことを考えてたんだよね。 「……お袋も喜ぶぜ」 「あたしのお母さんも喜んでたと思うよ」 「ならいいけど」 照れくさそうに笑って、空いた手を差し出される。 そっと繋いで、一緒に歩き出す。 「メット一つしかねぇし、花持ってタンデムじゃ危ねぇから、バイクは置いていくわ」 「うん」 「こっからだと、少し時間かかるぜ」 「でも、麻生くんと一緒だから嬉しいよ」 「あぁ。来年は、はじめっから一緒に来ような」 「うんっ」 いつかは自然に口にできれば、と。 願っていた未来は、こんなにも身近にあった。 繋いだこの手に、もう掴んでた。 「そうだ」 「どうしたの? 麻生くん」 「あとで渡しに行こうと思ってたけど、ちょうどいいや」 カーネーションの束の影から、一本だけ別に包まれた花が出てきて、意味がわからず見上げるとはにかんだ顔で手に押し付けられた。 「めずらしいから、花屋で見てつい買っちまった」 口調がぶっきらぼうになったのは、お花を買うときによほど気まずかったのを思い出したからだろう。 それでも、あたしにも用意してくれてたんだ……。 お母さんに贈る赤いカーネーションじゃなくて、めずらしい青いカーネーション。 「すごく嬉しいっ」 「おまえ喜ぶんじゃねぇかって思って……。正解だったな」 飛びつかんばかりに喜ぶあたしを見る目は、柔らかく細められていて、晴れ渡った今日の空よりも鮮やかで眩しい。 「ありがとう麻生くん。大好きだよ」 「なっ……急にんなこと言うなって」 「えへへ」 だって麻生くんは知らないだろうけど、この青いカーネーションの花言葉はね。 まるで、この先のあたし達を暗示しているみたいなんだよ? 麻生くんのお母さんにも伝わるといいな。 永遠の幸福……青いカーネーションの意味が。 照れて急に熱くなった手の平を、しっかりと繋いで歩き出す。 指から気持ちが伝わるから言葉はいらない。 カサカサと小さく鳴る花の声が、かわりにおしゃべりしてくれていた。 |
あとがき
フルキスを、麻生を、好きになって以来
いつかは書きたいと思っていた母の日の話
モノローグ配信『WeddingEve』で、麻生の母親のお墓にむぎを連れていったという内容があるので、
アンサーストーリーな流れになりました
一生一緒に居て……の返事的な
青いカーネーションの花言葉は捏造してないから、そのまんまです
猫百匹が詳しいわけじゃなくて、ちゃんと調べたからね!
赤には『母の愛』以外にも『愛を信じる』ってあるんだって
黄色だと『軽蔑』になっちゃうので、ご注意を(笑)