願いが、昇る
人の波がぞろぞろと同じ方向に向かうのを、ガードレールに腰掛けてなんとなく眺めていた。 暇つぶしでもしてねぇと、寒さで体が固まっちまいそうだった。 次々と通り過ぎてくのは、家族連れやダチ同士って雰囲気よりも、圧倒的に男と女、つまり恋人同士が多い。 携帯電話を開いて確認すると、待ち合わせの時間まで……あと五分。 ……五分したら、俺もあん中に入って、“恋人同士”の比率をあげる。 照れくささと嬉しさが同時にこみ上げて、慌てて咳払いを一つすると緩みそうになる口元を誤魔化した。 早く来すぎたのは俺だとわかっていても、人ごみの中にあいつの姿が無いか、つい何度もあたりを見渡してしまう。 増え続ける人の中に、あいつのふわふわ揺れる髪と、いつも元気そのものという笑顔がないか、もう数えるのも億劫なくらい探していた。 だから家まで迎えに行くっつったのに。 “絶対に待ち合わせがいい”っていつになく言い張るから、仕方なく駅前に決めたけどよ。 初詣に向かう人間がこんなに多いとは思わなかった。 あいつ、ちゃんと見つけられんのか? 一度、電話したほうがいいのかも。 手にしたままの携帯電話を開きかけたとき、耳に待ちわびた声が飛び込んだ。 「麻生くん、おまたせ」 声の方を振り向いて探しても、肝心の姿が見当たらない。 「んもうっ、ここだってば」 「……あ」 すぐ目の前に、着物を着たすずが立っていた。 「彼女に気がつかないなんて」 頬を膨らませて文句を言うすずを、呆然と見つめ返す……ことしか出来ねぇ。 こいつと付き合うようになってから、いろんな格好したとことか、いろんな表情みてきたけど、その中のどれにも当てはまらない姿に意識をもってかれる。 少しだけ色をつけた唇。 高い位置でまとめられてる髪と、揺れる毛先。 鮮やかな赤の中に、飛びかう蝶の模様。 「麻生くん?」 「あ、あぁ……悪ぃ……まさか着物で来るとは思ってなかったから」 「えへへ、どう?」 くるりと回ると、持ち上げた袖が羽のように広がって、まるで本物の蝶みてぇだ。 「すげー……キレイ」 頭で考えるよりも先に、勝手に口が動き出した。 「おまえのそういう格好、いいな」 「ありがと」 それだけで最高に嬉しそうな笑顔になるすずが、すげぇ……かわいい。 このままじゃ日が暮れるまで見つめていそうだ。 一瞬だけ目をそらしてまばたきをすると、自然な動きになるよう意識しながら手を取った。 人が多いから、はぐれないようにする為だって。 別に、そのまま本当に飛んでいっちまいそうだなんて、思った訳じゃなくてさ。 触れた指先に伝わる、ひんわりとした感覚に驚いて視線を落とすと、考えが通じたのか照れたように笑った。 「着物に合うような手袋もってなくて」 「こんなに冷たくなってんじゃん……仕方ねーな」 繋いだ手をポケットに突っ込むと、強引な仕草を詫びるように指を絡ませる。 それが凄く自然なことだって返事するみてぇに、軽く握り返されるとお互いにふっと笑った。 「まだ、言ってなかったね……あけましておめでとう、今年もよろしくお願いします」 少し遅れた新年の挨拶とあらたまった様子に、くすぐったい気持ちになる。 「おぅ、おめでとさん」 わざとぶっきらぼうに返すと、“麻生くんらしい”となぜか嬉しそうにすずが笑った。 「あっ」 「っと、危ねぇ……気をつけろよ」 「うん」 「前、段差あるぜ」 必死に前を見つめていた顔が、その言葉で少し緩んだ。 「転びそうになったら助けてくれるでしょ?」 確信があるという得意げな表情と同時に、絡ませた指に力が入る。 「そりゃー、な。当たり前だろ」 「……うん」 なんでこんなセリフに、そんな嬉しそうな顔すんだよ。 当たり前のことだろ? 自分の女が目の前で転びそうになったら、どんな男だって手を差し出す。 なのに、すずはまだくすくす笑ってる。 「麻生くん、顔が赤いよ?」 「うっせー……笑いの原因はそれかよ、ったく」 からかうセリフも、すずが相手だと不思議に腹がたたない。 「行くぞ」 慣れない着物に苦戦してんのか、足元がおぼつかないすずにあわせて再び歩きだした。 じれったいスピードでも、それだけこいつと一緒にいる時間が長くなるって事だから、ちっとも苦にならない。 道順を考える必要もないほど、同じ方向に進む人並みの後をついて歩きながら、冬の澄んだ空気の中に、交互に白い息が立ちのぼっていた。 「待ち合わせにこだわってたのは、それが理由だったのか」 「うん……どうしても麻生くんに見て欲しくて」 自分が着たいから、じゃねぇところがすずらしい。 俺の為に、朝も早くから着付けに髪のセットだなんだと、バタバタしてきたんだろう。 姉貴も何かあると着ていたから、どれだけ面倒な手順が必要かくらいは知っている。 「ねぇねぇ、驚いた?」 「あぁ……女って着るもの一つでこんなに印象かわんだな」 「ふふっ、おしとやかに見える?」 得意げな顔をちらっと横目で見ると、考えを読んだのか頬が膨れた。 「どうせ、そういうキャラじゃないですよーだ。せっかく褒めてもらえると思ったのに」 「さっき褒めたじゃねぇか」 思わず漏らした本音を思い出して、気恥ずかしい気持ちに居心地は悪い。 けど嘘じゃねぇ。 すずも思い出したのか、ころっと表情を変えた。 「にしても、おまえ着物もってたんだな」 「ううん、借りたの。遊洛院さんから」 「遊洛院?」 記憶を掘り起こしてようやく浮かんだのは、ド派手な金色のベンツだけだった。 すず以外の女の顔と名前は、いまいちどうでもいい。 「着付けもやってもらったんだよ。その間ずっーと、お小言いわれちゃったけど。まったく、これくらい出来なくてどうするんですの?」 頭の中の金色ベンツに、口が浮かんで話しはじめる。 「わたくしは物心がついたときは、もう一人で出来ましたのよ?」 尊大な口調が、そういえばそんなヤツもいたと思い出させた。 「淑女には程遠いですわね、って」 「淑女、なぁ。別になんなくていいんじゃねぇの? おまえはおまえらしくしてれば」 そろそろと進んでいたすずが、急に立ち止まって俺を見上げる。 「えへへ」 「な、なんだよ」 「麻生くん、大好き」 「急になに言って」 だれかに聞かれてないか、辺りをキョロキョロと見渡した。 「誰に聞かれても、あたしは平気だよ? 隠すつもりないもん」 「だからって、んな大声で言わなくてもいいだろうが」 「嬉しかったんだからしょうがないじゃん。それに、そんなに大きな声だしてないよ」 「……いまも十分でけぇって」 すれ違い様にカップルがクスクス笑う声が届く。 「ったく……行くぞ」 「はーい」 戸惑って余裕を失う俺とは対照的に、のんきな返事が返ってきた。 「うっわー……けっこう人が多いね」 破魔矢やお守りを手に戻ってくるのと同じ数だけ、境内に人が吸い込まれて、混雑とまではいかなくても、かなりの人垣が出来ていた。 「そりゃ元旦だから。去年も来たのに忘れたのか?」 「んー……去年は参拝しないで帰ったじゃない」 あ、と声を漏らしそうになった。 一度、口から出しちまった言葉を取り返したくなる。 途中で引き返した理由を忘れたわけじゃねぇ。 こいつが普段そんなそぶりをまったく見せねぇからって、今の言葉がどれだけ無神経だったか許される訳でもない。 「悪い」 「なんで謝るの?」 きょとんと音がしそうな顔で見上げられる。 「忘れてたのは事実だもん。っていうより、前にここに来た時どのくらい人がいたかとか、あんまり覚えてないんだよね」 その顔がみるみる崩れて、はにかんだような笑顔になった。 「麻生くんと一緒だったからドキドキしちゃって」 ドキドキしてんのは、今の俺だ。 見慣れない着物姿でも、見慣れた笑顔が眩しいくらい輝いて見えた。 まだ繋いだままの手の平が、ポケットの中でじわっと汗をかく。 ここで今さら謝った理由を説明する方が、よっぽど無神経に思う。 こいつにはかなわねぇ、きっと一生。 「だから今年はちゃんとお願いしたい事を考えてきたの。ね、早く行こ」 「おう」 手を引っ張られると、つられて体ごと持ってかれた。 もう慣れたのか、いつも通りすたすたと進むすずに合わせて石畳を踏みしめる。 二つの足音が重なって響くのが、妙に嬉しくて、つい笑っちまった。 賽銭箱に当たった二つの五円玉が、ピンボールのように跳ねて吸い込まれる。 お互いに無言のまま、同じタイミングで手を合わせた。 神様、なんて信じちゃいない。 祥慶でも礼拝はあっけど、ほとんど抜け出してサボってるか、気が向いた時に顔を出す程度だ。 運を天に任せて祈るより、てめぇで何とかしなきゃ道は浮かんでこない。 ビリヤードだってそうだ。 難しいショットのたびに祈るのは、神に対してじゃなくて自分の腕に対してだ。 最終的に勝敗を決めるのはどんだけ練習を重ねたかで、どれだけ信仰心があるかじゃねぇって思う。 ごく日本人的な宗教観でクリスマスも祝えば、初詣もする、そんなやつに頼まれたってゴメンだろうが、それでも手を合わせた。 神頼みなんてガラじゃねぇけど、自分じゃどうしようも出来ないこともあるしな。 ──いま隣に立ってるこいつと、これからも並んでいられるように。 そのための努力はする。 だから頼むぜ、神様。 「よしっ」 気合の入った声に思わず目を開けると、すずも俺を見上げていて視線が合った。 「えらく熱心に祈ってたじゃん」 「麻生くんもね」 内容まではバレてないのに、かあっと顔が熱くなる。 「どんなことお願いしたの?」 「な、なんだっていいだろ。そういうおまえは何を頼んだんだよ」 「ヒミツ」 「じゃあ俺にも聞くなよな、ったく」 後ろに並んでいる列からの無言の圧力に大人しく従って、来た道を戻り始めた。 「あ、そうだ! お守り買おう、ね?」 「だな」 あっちあっちと指差す方向に、ゆっくりと進む。 「何にしようかな……一つだけじゃないとダメなのかな?」 「気持ちの問題だから、何個でもいいんじゃねぇの。で、何を買う?」 「うーん……麻生くんは“交通安全”にしたら?」 俺のを聞いたわけじゃないのに、真剣に悩んで考え込みだした。 「ビリヤードに効くお守りってないかなぁ……“商売繁盛”じゃ違うよね」 「そりゃねぇだろう。無病息災とかじゃね? 怪我とか病気してたら正確なショットできねぇから」 「そっか、そうだね。うん、それがいいよ」 「俺のことより、すずは何にすんだよ」 思いつくのは……。 「恋愛成就、とか?」 「え?」 驚いたように固まるすずに、自分が何を口にしたのか気がついた。 「その、ありそうなヤツを、ふと言っただけで、別に深い意味とかなくて」 「そんなに慌てなくてもわかってるよ……あたしの恋愛はもう成就してるから却下します」 まじめくさってダメ出ししながら、腕を取られた。 その仕草で間違えるまでもなく、相手は俺だ。 ぎゅっと、しがみつく力が強くなった。 「……それとも他の人とそうなって欲しい?」 「ばっ……だからそういう意味じゃねぇって。そんな風に思ってたらわざわざ神頼みなんてするか……あ」 滑った口を恨みたい。 この距離で、聞かれてないのを期待するのがおかしい。 血が上る顔を見られたくなく逸らしたのに、なんの反応もないことに不安になって、つい目で伺ってしまう。 「う……なに見てんだよ」 「一緒だ」 「はぁ?」 「麻生くんの願い事と、あたしの願い事。たぶん一緒」 ヒミツのはずの願いをあっさりバラすと、どこまでも嬉しそうに笑いだした。 「じゃあ、必ず叶うね」 「……叶ってくんなきゃ困る」 ぼそっと呟いた本音に、腕に感じる力がまた強くなった。 ほとんど抱き合うような姿勢に、恥ずかしいとか照れは感じなくなってた。 まわりの目を気にするよりも、同じ願いに喜ぶすずに意識を奪われる。 「来年も一緒に来ようぜ」 「来年も、再来年も……ずっとね」 初日で願いを叶えてくれるなんて、神様も大盤振る舞いしてくれたもんだ。 「は、ははは」 「ふふっ」 重なる笑い声と同時に、白い息がゆっくりと空に昇っていった。 |
あとがき
元旦からは、かなり間が開いてしまって何を今さらな内容ですが
麻生とむぎの初詣の話
付き合ってから約1年後、お互いに御堂家を出て、別々に暮らしている
という設定です
1年たっても、むぎの方が優位
きっと、たぶん一生