その気持ちがプレゼント


 あと頼まれてることは……っと、麻生くんの部屋の掃除、だったよね。
 記憶の中のホワイトボードを確認しながら重いバケツを置いて、水掃除のなごりでふやけてしまった手に息を吹きかけた。
 しわしわになっちゃったけど、鏡を磨くのにはゴム手袋をつけているよりも素手の方が効率いいし、家政婦の仕事を疎かにしたくないあたしの意地が中途半端なんて許さない。
 これは勲章みたいなものよね。
 とはいえ、乾燥している季節のせいか、急激に水分を失いつつある指がひりひりと痛み出す。
 バケツの中身を捨て、一度部屋に戻ってハンドクリームを塗ろうかと廊下を進むと、玄関に差し掛かったところでタイミングよく現れた人物に驚きと喜びで脚が止まった。
「おかえり、麻生くん。どこか出かけてたの? 偶然だね」
「おう、ただいま」
 素直に飛び出したセリフを照れ笑いで薄めながら、ハッと気がついてさりげなく手を後ろに回す。
 やっぱりこういう手を見られたくないのは、家政婦よりも恋人として見て欲しいという気持ちが強いからかな。
 靴を脱いでいた麻生くんにはバレなかったみたいで、少しホッとして偶然の嬉しさに専念できた。
「買い物だったら、言ってくれればあたしが行ったのに」
「ちょっとな、急に欲しいもんがあったの思い出したから本屋に行ってきた。おまえの手をわずらわせるほどでもねぇし」
 見れば小脇に、あたしもたまに利用する近所の本屋の紙袋がある。
 そっか、徒歩で行ってきたからバイクの音が聴こえなかったんだ。
 でも、だったらなおさらタイミングよく顔を合わせられて、嬉しいかも。
 もっと嬉しいのは、掃除が終わったあとでいいから一緒に行こうって言ってくれた場合だけど。
「なぁんだ、一声かけてくれたらよかったのに。あ、でもバイクかパソコンの雑誌? だったらすぐに読みたいよね」
「……まぁな」
 麻生くんと付き合ううちに自然と覚えた、愛読紙の発売日かと問いかけたのに、麻生くんは眼を泳がせて袋を隠すよう持ち直してしまう。
「おまえはいま終わったとこ? 今日も大変だったろ、おつかれ」
 しかも微妙に話をそらされた?
 何か違和感を覚えながらも、ゴメンと言い添えてから労いの言葉に首を横へ振った。
「麻生くんの部屋の掃除で最後なんだ。すぐに終わらせるから、そんなに邪魔にはならな」
 ……いと思う、という言葉は、目を瞠って驚く麻生くんの様子に最後まで言えず、喉に戻っていった。
「はっ!?」
 え……なんでこんなに驚くの?
 最後になっちゃったのは、他に頼まれてた家事との効率を考えてで、さぼってたわけじゃないのに。
 雑誌を読むのに騒々しいかも、その間リビングとか他の場所に居てもらうのも悪いし、そう思ったからゴメンって謝ってもいるのに。
「そりゃ最後になっちゃったのは悪いけど、二十分もかからないから」
 他の三人と比べて、比較的いつもキレイにしてある麻生くんの部屋なら、こまごました掃除をしたとしても……もっと早く終わるかもしれない。
 時間を素早く計算したあたしを遮って、なぜか妙に慌てた麻生くんは後ずさりながら今度こそはっきり分かるくらい袋を背に隠した。
「今日は、やっぱいいや。つぅか、しばらく俺の部屋はいいから」
「え? あ、ちょっと!」
 理由も説明されず一方的に断られて呆然としている間に、麻生くんは地下への階段を駆け下りてしまう。
「……なんなの」
 あとには漠然とした不安に戸惑うあたしだけが、ぽつりと残されていた。


◇◇


 やっぱり、なにか隠してる。
 漠然とした予感がこの数日で確信に変わっていた。
 まず部屋に入るのを極端にイヤがられるようになった。
 自分で掃除するからいいっていうのは麻生くんらしいんだけど、畳んだ服を渡しに行った時ですら、ドアの前でさようならっていうのはいくらなんでも麻生くんらしくない。
 いつもならサンキュって喜んでくれて、お礼の言葉だけじゃなくてドキドキしちゃうキスをくれる日だってあったのに。
 ご飯が出来たと呼びに行っても、あとで行くとドアの内側から返事があるだけで、いつもみたいに今日のメニューは? とか、今日も楽しみだとか、おまけの嬉しい言葉がない。
 寝る前のほんのわずかな時間を一緒に過ごしたり、そんな優しい時間もなくなってしまった。
 部屋に関係する時以外なら、いつも通りなのに。
 一緒に買い物に行ったり、家事の合間に話をしたり、そういう時は付き合いだしてからのまんまで、だからこそ違和感が膨らんでしまう。
 なにも、恋人の全てを知っていないと気が済まないというわけじゃないんだけど。
 ただ、ここまであからさまにされると、余計に気になるという悪い癖がうずく。
 原因を考えると、いつもあの袋に行き着くんだよね。
 そこまでして……あたしには見せたくない物だったのかな……。
 麻生くんが良く読むのはビリヤードとバイクとパソコンの雑誌で、たまにファッション誌、とてもそこまで隠したがるものとは思えないんだけど。
 それ以外に……あるとしたら?
 頭の中には、ある種類の雑誌が浮かんでは消えていた。
 男の人なら、そういうのも時には必要……な種類のが。
 麻生くんが? という気持ちと、麻生くんだってという気持ちの間で行ったり来たりして、結局あたしはここまで来てしまった。
 ふうと深呼吸をしてから、控えめにノックをする。
 あえて、いつもみたいに名前を名乗らなかったからか、それともそこまで警戒されているからか、すぐに内側から誰だといぶかしげる声が返ってきた。
「あたし、むぎ。いま、いい?」
 返事にかぶせてドアを開けると、ソファーベッドに横になっていた麻生くんが、慌ててなにかを布団の中に押し込むのが目に入って、心の奥がちくりとした。
「なっ……いきなり開けんなよ、ビックリすんだろ」
 疚しい心当たりがあるからじゃないの?
 あの日までは、突然部屋にお邪魔しても喜んで迎え入れてくれてたのに……。
 ほんの数分でも、他愛のない話でも、一緒にして嬉しかったのはあたしだけじゃないと思ってたのにな。
 こないだなんて、クリスマスをどうしようかって盛り上がったばかりなのに、世間がクリスマスに向けて沸き立つにつれて肝心の彼氏がつれなくなるギャップに、余計沈んでしまう。
「ダメ、だった? でも最近あまり一緒にいる時間がないから……会いたいなって思って」
「いや、ダメじゃねぇけど」
「じゃあいい?」
 断られる前に体を滑り込ませて、気まずい空気が漂いだした部屋で次の言葉を待った。
 出て行けって言われないことを祈りながら。
「……今日は、もう終わったのか?」
「え? あ……うん! 今日はもう頼まれてたの全部おわったんだ」
「そっか、おつかれ」
「ありがと」
 ここまでは、いつも通り。
 それだけで安堵して頬が緩んでしまう。
 気まずそうに髪をかき上げながら背を起した麻生くんも、今までみたいに照れ笑いしてくれて、ほっとしたのもつかの間……。
 お互いの笑みが、布団の間から転がり落ちた物で凍りついた。
「……麻生くん? それ……」
「う、わっ!」
 慌てて拾おうとする麻生くんの手と、負けじと追いついたあたしの手が固まって、おそるおそる視線を向ければ想像していた……のとは違う、色とりどりに飾られた夜景が指の合間に浮かび上がった。
「これ……もしかして、こないだ買ってきたのって、これ?」
「あー……バレたか。くそっ、内緒にしとくつもりだったのに」
 開き直った苦笑いで差し出してくれた雑誌の表紙には、クリスマス特集という文字がでかでかと載っている。
 何度もめくったのか、角に折り目が入ったそれは手にしたとたんに癖のついたページを広げた。
「オススメ夜景スポット?」
「……おまえさ、すげー期待してるみたいだったから、そういうとこ連れてってやりたいと思って。かといって俺、どこがいいとか分かんねぇし」
 ほっとしたのと嬉しさで、へなへなとその場に座り込んでしまう。
 麻生くんは、あたしのためにわざわざ調べてくれてたんだ。
 部屋に入れてくれなかったのも、内緒にして驚かせようって、そっか……そうだったんだ。
「は、はは」
「笑うなよ」
「違うよっ、麻生くんを笑ったんじゃなくて、嬉しいから」
 見当違いの想像までして疑心暗鬼になってたあたしと違って、麻生くんは今までと何も変わりなくて、あたしのために一生懸命だったのが、嬉しい。
「ありがとう、麻生くん」
「あらためて礼言われると、余計に恥ずかしいから止めてくれ」
「でも、ありがと」
 目が合うと、居心地悪そうな笑みを一瞬浮かべてから、瞳を優しく細めてくれた。
 不器用な麻生くんの気持ちが篭った雑誌すら愛おしくて、胸に抱きしめる。
「この雑誌、あとで譲ってもらっていいかな。クリスマスプレゼントってことで」
「はぁ? おまえ、んなもんで満足すんなよ。プレゼントだって、いろいろ考えて……あ」
 飛び出したセリフを喉に戻そうとするみたいに、口を手で覆ってしまったという顔をしている麻生くんにきょとんとしてから、二人分の笑い声が部屋に響いた。
「かっこつかねぇけど、俺も男だから、さ。そういうのは、もっとマシなもん贈らせてくれよ」
「じゃあ楽しみにしてる。麻生くんも楽しみにしててね」
「おぅ」
 新人同士のクリスマスは、マニュアルのようにスマートには進まないけど、そのぶん積み上げてく期待で可能性が無限大に広がっていく。
 不器用なところさえ、あたしが大事だと想ってくれているようで嬉しいなんて、口にしたら怒られちゃうかな?
 そういうところも全部ひっくるめて麻生くんが好き。
 好きだって言葉にしても足りないくらいの気持ちを伝えたいのに、開きかけた唇へ、ふっと影が降りてくる。
 言葉なんていらない──って、言われているみたいなキスは躊躇いがちだけど優しくて、どんなプレゼントもこの瞬間に比べたら霞んでしまうかもしれない。
 そんな罰当たりな思いを隠して、そっとキスを返した。

あとがき

今さらながらの無印設定
時空がねじれてますが気にしなーい!

『オススメ夜景スポット』やら『彼女が喜ぶプレゼントBest10』なんかを
食い入るように熟読しながら、あれこれ悩みそうな麻生が好き。
本文中でエッチな本じゃないかと疑いかけちゃったけど
本気でそういう系の隠し場所をどうしてるのか気になります。
一哉たちは必要ないだろうけど、麻生は目覚めたばかりだから
ジョージがおもしろがって渡してそうだし……。
い、いいの、麻生ならエッチな本を読んでてもいいの!
あぁヤバイ……ピュアな話のあとがきがこんなんだ。