恋する乙女の反抗期
机の隅、邪魔にならない場所を探してコーヒーを置くと、上の空の感謝が返ってきた。 視線も意識も、忙しない音を立て続けている仕事に、全て向けられているのがこれ以上ないほどハッキリ分かる。 ありがとうでも助かったでもない、あぁ……と短い返事のみだから。 あぁ……後は用がないから出ていってくれ、と続きを勝手に補ってしまうくらいの反応。 コーヒーを煎れながら今日こそはと心に決めたのに、予想以上にそっけない反応に揺らぎそうになる。 今にもくるりと回れ右しそうな脚に釘を打って、深呼吸にしては軽く、けど普通よりは深く息を吸った。 「一哉くん、ちょっといいかな?」 絶え間なくキーボードを打っている様子に恐る恐る声をかけると、一瞬だけ手を止めて視線で促される。 あっそう……やっぱり、仕事を止める気はないって事ね。 わかってたけど、心の奥にちくりと棘が刺さる。 無理にでも割り込まなきゃ、ちょっと相談もできないなんて。 そりゃ、一哉くんはいつも忙しいよ? なんてったって世界に名だたる御堂グループの次期総帥だもん。 普通なら話しかけることはおろか、そもそも話をできる関係になれなかったことくらい分かってる。 奇跡が重なって、いまは恋人と呼べる関係になって、いくら忙しくてもあたしとの時間を作ってくれてるのは分かってる。 特にこの数日は、決断を下さなきゃいけないことが山積みだって、めずらしく愚痴をこぼしていたからずっと邪魔しないよう大人しくしてた。 けど、あたしが勇気を出して話しかけた時くらい、ほんのちょっとでも仕事からすっぱり意識を切り取って、向かい合ってくれてもいいじゃない。 そんなあたしの気持ちを知らずに、相変わらずキーを叩き続けている姿を恨めしげに見つめた。 肩を掴んで揺さぶってやりたい。 あたしだけを見てって、叫んでやりたい。 そしたら一哉くんはどんな顔をする? ……ま、いっか。 話を聞いてくれる気はあるみたいだし。 ムリヤリでも気持ちを切り替えて、肝心の話題を出そうとしたのに、いざとなると何て言えばいいのか……。 率直に切り出したら気を悪くするかもしれないし、かといって回りくどい言い方をすれば呆れられるのは火を見るより明らかだし。 「声を掛けておいてだんまりか? 忙しいのが見てわからないのかよ」 ためらいを不機嫌に切り返されて、開いては閉じを繰り返していた唇が自然と引きつった。 その顔すら見てくれないんでしょ。 忙しいのは、見りゃわかるわよ。 でも……もうちょっと優しい言い方してくれてもいいじゃない。 「もういい。忙しいところお邪魔しました!」 どうせ見られていないんだからと、思いっきり舌を出してから背を向けた。 相談しようと思ったのが間違いだった。 少しでも喜んでもらおうと思って、だったのに。 一哉くんがそういう態度なら、あたしが勝手に決めちゃうから。 後で文句を言ったって知らないんだから。 やるかたない気持ちを噛み締めながらドアノブに手をかけ、勢いに任せて開けようとしたのに……。 いつの間に背後に来たのだろう、さっきまで仕事に没頭していたはずの手が、自分の手をやんわりと押し留めていた。 「自分から話しかけておいて、聞こうとすればその態度か。何ふて腐れてんだよ。ここんところほっといたのが、そんなに不満か?」 背後から抱きしめられるように、ドアとの間に閉じ込められて、心臓がうるさく跳ねだす。 こんな近い距離で声を聞くのすら久しぶりで、一瞬で顔が熱くなってしまう。 「俺は超能力者じゃないんだぜ? 言いたいことがあるならちゃんと言え」 耳をなぞる声に疲れが滲んでいるのがわかって、素直になればいいのに、口をついて出たのは耳障りな声。 「だって、一哉くん心から聞く気ないじゃん。ほんの少し、仕事の手を止めてくれるだけで良かったのに」 「聞く気があるから、こうして追いかけてやってるだろ」 ……やってる、……ね。 俺様な物言いはいつものことなのに、なんで今日に限ってこうも引っ掛かるのか。 「なんなんだよ……ったく」 わずかな苛立ちを含んだため息が、首筋を通って見えない道を作る。 「おまえらしくもない」 あたしだって、わかんないよ。 なんでこんなに気持ちがささくれるのか。 あたしらしいっていうのが、どういうことなのかもわかんない。 一哉くんは、あたしのことをどう思ってるんだろう。 好きだって、言ってくれるんだから……、嘘はつかない人だからそれは間違いないんだと思う。 気持ちを疑ってるわけじゃない。 なのにいつも不安が付きまとうのは、ときどき、一哉くんの考えが読めないから。 あたしに嘘はつかなくとも、話してくれない事はいっぱいある。 一哉くんにとっては不要だと切り捨ててしまえる事でも、あたしにとっては違う、とても大事な事だってある。 もっと……話して欲しい。 何を考えているのか、どんな気持ちでいるのか。 一哉くんの心の中を、もっと知りたい。 考え込んで無口になったあたしを、沈黙を切り裂いた短く鋭いため息が、現実に戻した。 「……仕事に戻るぜ」 背中に感じていた温もりが静かに離れ、揺れた空気が余計に薄ら寒く感じる。 ぎしっと軋んだ音と、再び響き始めた硬質な音が、宣言どおり仕事に戻ったことを教えてくれる。 もう、あたしが何を言おうとしていたのかも、過去の記憶として整理されてしまったとも。 ──あたしの返事は? ねぇ、訊いてくれないの? 唇をかみ締めて、感情が溢れる前に出て行きたいのに、体はここに留まれと命じてくる。 なんで脚は踏み出してくれないんだろう? 手はドアノブを掴んでくれないんだろう? 後ろからは軽快な音が響いてるのに。 仕事がこの世で一番大事だと言いたげに……。 あぁ、そっか。 なんでこんなに、モヤモヤするのかやっと分かった。 今さらだけど、あたし……すごく一哉くんが好きで、一哉くんにとって一番でいたいんだ。 人の中でだけじゃなくて、一哉くんの意識すべての事の中で、一番に考えて欲しいんだ。 こんなに我侭な自分を認識したくなくて、一哉くんの態度に八つ当たりをぶつけてしまいそうになったのか。 理解してしまえば余りにも単純で、大声で笑いだしてしまいそう。 自分がこんなに独占欲が強かったなんて、今さら過ぎて笑うしかない。 「やっぱり、ちょっといいかな?」 振り向いて、パソコンの影になっている顔をまっすぐ見つめながら声をかけ、返事が返ってくる前に口を開いた。 「あたし、すごく一哉くんが好き」 はたと音が止んで、驚きを浮かべた視線があげられる。 「一分でいいから話を聞いてくれる?」 たった一分でも眼が眩むほどの価値を持つ人に、希望を込めて脚を進める。 腕を組んで背もたれに寄りかかる姿から、拒絶ではなく疑問を感じて勇気付けられた脚は、あっという間に目の前まで辿り着いた。 「バレンタインデーにどんなチョコが欲しいのか知りたくて。それだけ聞いたら、もう邪魔しないから」 「バレンタインデー?」 ちらりとカレンダーに向けた顔が、不思議な表情を浮かべる。 もうすぐ恋をする全ての人の為のイベントだと、はじめて気がついたのか、それとも気がついていて尚、だからどうしたと思っているのかは分からないけど、ちゃんと伝えればきっと答えてくれるって信じて頷く。 「いろいろ考えたんだけど、本人に訊くのが一番、かなって」 「なんだ、そんなことか」 だからどうした、の方だったか。 急激に落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせて、でも……と繋ぐ。 「一哉くんに喜んで欲しいから」 「受け取る側が注文をつけるなんておかしいだろ」 「おかしいかな? 一哉くん甘いもの好きじゃないから、あたしが勝手に決めて気に入ってくれなかったらイヤだもん。好きな人には、どんな事でも一番喜んでくれるものを贈りたいじゃない。あ、思いつかなかったからって、あたしの気持ちを疑わないでね」 「馬鹿」 精一杯の気持ちを、つれない一言が切り捨てた。 今度はあたしが驚きを浮かべて見つめ返す番。 「わかった」 理解したわけじゃない、ただこれ以上は無理だと思って搾り出した言葉が震えてしまう。 「一分……たったね。仕事の邪魔してゴメ……あっ」 今度こそ、引き止められることもなく部屋を出て行こうとした体が、柔く引き寄せられて動きを止める。 「なにが欲しいのか、聞かなくていいのか?」 「聞きたいけど……」 繋がれた手を通って、座っている一哉くんの顔まで視線を滑らせると、さっきまでとは違う眼で見つめ返された。 仕事に向かい合ってる時のどこか険しい眼とは違う、あたしの大好きな優しい色がまっすぐに注がれている。 「ほんとうに馬鹿だな、おまえは」 言葉は相変わらず容赦ないのに、眼も、触れあう指先も温かい。 「いい加減、理解しろよ。おまえから貰うものなら、どんなものでも、例えどれだけ甘くても嬉しいんだって事を」 「……ほん、とに?」 「おまえこそ、俺の気持ちをいちいち疑うな」 「疑ってるわけじゃないよ」 ただ、不安だったから。 「忙しさにかまけて相手しなかったから、不安になったか?」 ずばり言い当てられて息を呑むと、指に伝わる力が少し強くなった。 「おまえなら理解してくれると甘えてしまうのは、俺の悪い癖だな」 すぐにでも仕事を再開しなくちゃいけないはずなのに、苦笑する一哉くんの眼はあたしに向けられたままで。 意識の全てをあたしにくれているその笑顔で、育ちつつあった不安が枯れていく。 「一哉くんが、あたしに甘えてる?」 「あぁ」 あぁ……おまえだけだ、と聴こえてしまう短い返事に、胸の中が甘い気持ちで埋め尽くされてしまう。 おもわず漏れた照れ笑いが、同時に空気を揺らした。 「チョコのこと聞きたかっただけなのに、嬉しいこと知っちゃった」 手を引っ張られて、体が自然と落ち着く場所に収まる。 膝の上でかしこまるあたしを、小さな笑いが包んだ。 「おまえにまかせるよ。けど……一つだけ注文をつけさせてくれ」 「なに?」 繋がなくても良くなった手が髪を撫で、頭の後ろでふいに止まる。 反対の手がそっと頬に添えられて、一哉くんと付き合うようになってから染み付いた本能が、勝手に瞼を下ろす。 「渡す方法は……」 途切れた期待の変わりに、限りなく分かりやすい方法で希望を告げられて頬がアツくなる。 有能な人は、仕事以外にも手を抜かないって……。 どこかで聞いた知識を思い浮かべながら、何度も、そう一哉くんが納得するまで何度も予行練習に付き合わされた。 |
あとがき
二月は年度下半期決算前でなにかと忙しいんじゃなかろうかと思って
つれない態度の御堂社長になってしまいました
むぎにベタ惚れのくせに!
むぎを悲しませるな!
……と
自分で思いついた自分の妄想で真剣に腹を立てる猫百匹
マッチポンプです
にしても毎度捻りのないオチですが
なにはともあれスイートバレンタイン!一哉×むぎ