その過去、そして希望
「し、CMでーす」 途端に大道具小道具を持ったスタッフが一斉に動きはじめる。その顔色にはコーナー終了間際のアクシデントを気にするよりも、番組をつつがなく進行させる意気込みしか見えない。 ただ一人、ディレクターの声に安堵の色が混ざっていたのは、無事に御堂グループ次期総帥の出番が終わったせいというより、大したトラブルにならずに済んだことの方が大きいのだろう。スタジオ中の空気が弛んだのを感じて自分も席を立った。 「御堂さま! 貴重なお時間をありがとうございました。……そのぅ」 足早に近づいてきたディレクターはためらいがちに言葉を濁す。 その手に台本を持っていなければもみ手でもはじめそうな愛想笑いを一瞥で流し、秘書に合図を送った。青ざめたディレクターに一呼吸置いたのは、彼が悪いわけではないと自分に言い聞かせる必要があったからだ。 局内どころか日本きっての知性派アナと呼ばれる彼女が、あんな暴走をするキャラだと誰が思うか。 「こちらこそ、直接顧客へ語りかける機会を与えてくれたことに礼を言う」 いつもならこの後に番組スタッフへの労いを続けるのだが、今日はここで言葉を切った。にもかかわらずディレクターはほっとした顔になる。通信業界が軒並み広告収入を削られ厳しさを肌で感じているところへ、大スポンサーの機嫌を損ねたとしたら首に関わるのだろう。 それほど、あり得ないアクシデントだった。 「悪いが急ぐので、失礼。鎌塚、俺の携帯をくれ」 コマーシャルが開けるまでの僅かな時間、ディレクターも次のコーナーに向けて動くのだろう、言い訳する時間はないのか引き留める言葉はない。控室まで先導しようと駆けてきたスタッフは、やんわりと断った。 「社長、お電話をどうぞ」 誰に繋げるつもりか察しているらしい秘書は渡し終えると、有無を言わせない態度でスタジオに一礼し重い鉄扉を開ける。 控室まで待つのも時間がもったいない、廊下を歩きながら話せるか? 人通りを確認して辺りを見渡すのと、閉じかけた鉄扉が再び内側から開けられ――かつては聡明で知性があると思っていた女性が出てきたのは同じタイミングだった。 普通の企業なら、すでに灯りと人が消えている時間でもぽつぽつと人影のある廊下で、誰もが興味津々の視線を一瞬投げて通り過ぎていく。醜聞を懸念した秘書が口を挟もうとするのを手で制して、苛立ちも隠さず向き直った。 「まだ何か?」 「個人的に話をするのも今日が最後だろうから、挨拶くらいさせてよ」 「今の俺は個人ではなく御堂を代表しているだけだが」 受け取らなかった包みはどう始末したのか、その手にはない。それを確認してから、携帯電話をゆっくり閉じる。 「挨拶なら先ほどディレクターから受けたが、そうだな司会にも挨拶するのが筋だったか。これは失礼」 「そういうことじゃないのは知っていて……相変わらず本音を見せないのね」 付き合いがあったころをチクリと刺して、完璧なメイクをほどこした唇が歪む。 本音を見せたら。 今すぐ、やきもきしながら俺の帰りを待っているヤツに電話をしなければいけないから邪魔するなと、本音をぶつけたらどこまで唇が歪むのか。それとも呆れてぽかんと開くのか。 別れ際すらお互いに淡々と、まるで議事の進行をしているような雰囲気で済ませた仲とはいえ、一度は親しかった女性のそんな顔はどちらも見たくはないと思いながら努めて無表情な顔を向けた。 「どうやら本命ができたって噂は本当みたいね。だから受け取ってもらえなかったのかしら」 「次はワイドショー担当でも狙っているのか」 そうでなければ受け取っていたと確信している言葉をばっさり切り捨てる。 「嫌な人。でもそういう御堂一哉を好きだったわ」 「……過去形で助かる」 「あーあ、もっと早く小細工なしでぶつかってみれば良かった。そうしたら、その澄まし顔以外も見れたのかしら。悔しいわ、私の中の御堂一哉は永遠に澄まし顔なのよ」 切り捨てられたのを察してか、一転してさばさばとした笑顔になると俺の返事を待たずに「じぁあ、スタンバイしないといけないから」と扉に手をかけた。 俺も澄ました顔で踏みとどまってくれてありがたいよ。 そう告げるより早く、閉まる寸前の扉の隙間から「お幸せに」と小さな声が聞こえた。 その気持ちを五分前に思い出していてくれたら、と思わないこともなかったが、過去より大事なものが待っていると携帯電話を手慣れた仕草で押す。 自分の携帯電話で車を回すよう指示していた秘書は、その動作を見ただけで声の届かない位置まで下がる。 「俺だ」 待ちわびたように繋がったすずの声に、この瞬間を待ちわびていたのは他の誰でもない自分自身だと思い知らされた。 「一哉くん、おつかれさま」 「あぁ疲れた。早くおまえのところに帰りたくて仕方ないぜ、ったく……」 何よりの本音を言ってからわずかに迷い、それで無かったことになるわけではないと、静かに「見ていたか」とだけ訊く。 「うん、だって見るって言ったじゃん」 「……不愉快な思いをさせて悪かったな」 「一哉くんのせいじゃないもの」 不安を吹き飛ばしてからからと笑うすずに合わせて笑ったつもりが、口をついて出たのは掠れたため息で強ばっていた肩から力が抜けた。 なごんだ雰囲気は向こうにも伝わったらしい。 「だって、いま付き合ってるのはあたしだもん」 なんのためらいもなく、一言でしなやかな力強さを見せつけられた。 まさか心から愛せる女に出会えるとは思っていない過去だが、今さら無かったことには出来ない。本気で手に入れた唯一の存在に対する、それまでの自分のジレンマ。それと公の御堂一哉まで全て包まれて、愛しさが膨れ上がっていく。 「馬鹿だな」 俺をこんな気持ちにさせるのは、今も、そして……。 「それを言うなら今も、これからも、だろう?」 「うん……ありがと」 はにかむ感謝の言葉へ「ありがとう」は俺のセリフだと言うかわりに、控えていた秘書にようやく帰宅の合図を送った。 |
あとがき
とにかくイラッとする元カノにしてみようと。
ほとんど割り切った関係ばかりだったとはいえ、御堂様なにげに派手だったからなぁ
むぎは苦労…………しないだろうな、うん
なにより御堂様がベタ惚れだから