チョコレートは希望味
ココア片手にテレビの真ん前に陣取り、時間を確認してスイッチを押した。 ほんの僅かなタイムラグの後、画面いっぱいに知った顔が映し出される。「日本の未来を担う青年実業家に訊く」と派手なテロップが被って、華やかな音楽と共にカメラがスタジオ全体を舐めるように映す。 男女一人ずつのアナウンサー、その二人は一哉くんがこの番組を見ている隣であたしも見かけたことがある。 違うのは隣にいた一哉くんが、今はその二人の側にいること。 ちょうど始まったところで良かった……のかな? 複雑な気持ちを抱えたまま、淹れたてのココアに息を吹き掛けた。揺れる波紋が心の内のようで、消してしまおうと慌ててすする。 「今日は御堂一哉さんにお越し頂きました。学生時代から御堂グループ傘下六社の経営を手がけ、卓越したリーダーシップで率いてきた御堂さんに、経営ビジョンと今後の日本経済についてお伺いしたいと思います!」 「あっつ……もうっ!」 場を盛り上げようとする女子アナウンサーの張った声が、舌がピリッと痛んだのを見透かしているように思え耳障りで、ぎりぎりまでボリュームを下げる。 ――ほんとの理由は違うでしょ。 リモコンを置く音よりも心の声が大きくて、打ち消すようわざと音を立てて二口目のココアをすすった。 ほんとはこのアナウンサーが気にいらないせいだと、自分でも良く分かってる。ほんとは見るのもやめようと思ってた。 ほんとは……一哉くんと付き合いがあった人なんて、見たくない。 一哉くんと付き合うようになってから、集めているわけじゃないのにそういう噂がちらほら耳に入ってくることもある。一哉くんはあたしと違って男女の関係がはじめてじゃないのも、昔はかなり派手だったというのも知っていて付き合っているんだから、表面じゃ割り切って考えないようにしてるけど。 考えてしまうのは、仕事とはいえ昔の彼女と会っているという、こんな時だ。 ◇ 「悪い、十四日は帰りが遅くなりそうだ。生放送のインタビューが入った……食事に行くのを楽しみにしていたんだが」 「そっか、仕事なら仕方ないよ。外で食べるのはいつでもできるし。それより何時からどのチャンネル? せっかくだから見ようかな」 「悪いな。番組は九時からだ。俺が良くチェックしているニュース番組あるだろ、その中の十五分くらいだぜ。わざわざ見ることないから自分の仕事を終わらせとけよ?」 「えー! 一哉くんがテレビに出るのは珍しくないけど、見たいものは見たいの」 「ほぅ……経営哲学について話てくれという依頼だ、おまえが見ても理解できないだろうぜ?」 「あっ、鼻で笑った! 絶対見てやるから!」 ◇ 数日前、一哉くんから出演の話を聞いたとき、むきになって見ると言い張らなきゃ良かった。 後から、その番組の司会が過去に噂があった人だと思い出したとき、わざと家事を遅らせて見ないことにしようかと一瞬考えた。 考えたけれど、それよりも一哉くんがどんな顔をしてその人と喋るのか気になる方が大きくて、もやもやした気持ちをぶつけるように掃除をしていたら、むしろいつもより早く家事が終わって今に至る。 一哉くんを信じてるけど、少しでも昔の付き合いを仄めかすような素振りがないと、自分の目で見て安心したいのかもしれない。 その当人は……。 テレビの中では、ゆったりとした一人掛けのソファーに座った一哉くんが、問いかけられた話題に寛いだ様子で応えているところだった。 「……では、御堂グループの本質は別にある、そういうことでしょうか」 「えぇ。資本主義の中で利益を求めるのは企業として当然ですが、御堂はそれだけの理念でいいと考えてはいません」 いつもはもっと偉そうな喋り方なのに、えぇ、だって。 一哉くんの反対側に並んだ年配の男性アナに半身を向けて、真面目な顔をしている様子に少しほっとする。今の一哉くんは完璧な仕事モードだ。 何より、一哉くんの姿勢だと女子アナがほとんど視界に入っていないはずで、更にほっとした。 それから数分、英語まじりの専門用語が画面の中を飛び交い、一哉くんが予言していた通り、話している内容の半分も頭に染み込んでこないあたしは残り少ないココアをちびちびすする。 男性アナウンサーが鋭い角度で斬り込む話題に一哉くんが余裕の態度で答える――年齢じゃ太刀打ち出来ない圧倒的な力量の差を見守るだけ。それは、ランクの違うスポーツ選手の試合を見ているのと似ている。 彼なら期待に応えてくれる、そんな安心感をあたしが必要としているのを分かっているみたいな。 「……ですから御堂グループは、ステークホルダーが求める技術やサービスという根本的な質に、付加価値をつけて提供する義務があると考えています」 「付加価値、にも様々ありますが。安心感やブランド指向を満足させるのは、もはや当然ですよね。御堂グループ独自の付加価値がないと消費者は納得しない時代になっていると思いますが」 「もちろんです。環境対策や福祉への技術協力という形でのCSRなどですね。あとは希望ですか」 「希望?」 それまでの具体的な話から一転して、唐突に出た抽象的な単語にアナウンサー二人が揃って問い返す。 あたしも一哉くんにしては曖昧だと首を傾げた。 日本の社会の中でははっきりと意思を出さない曖昧な言質も必要だけど、一般に向けてはわかり易く誤解されるような表現は避けるべきだって言っていたのはいつかの一哉くん本人なのに。トップに立つ者がそうでないと、どんな方向からクレームがつくか分からないからって……。 何か考えがあるの? 食い下がりそうになった男性アナが、ちらりと何かを確認して一哉くんに向き直った。 「詳しくお話を伺いたいところですが、お時間が差し迫ってまいりました」 ADさんが締めるように指示を出したのかな。 一哉くんから聞いたことのある知識を思い出しながら時計を見ると、コーナーの終了まであと一分を切っている。 残念そうな顔のアナウンサーには悪いけど、あたしは本人が帰ってきたら訊ねることができるし……。ちょっとした優越感に浸った次の瞬間、それまで控えめに進行をしていた女性アナウンサーの行動にゴトリと鈍い音がした。 「はい、そこで! 本日はバレンタインデーということで、こちらは番組からでございます!」 さっと過ぎったADの影が消えると、女性の手には綺麗にラッピングされた箱があった。隣のアナウンサーが少し目を見開いたことで、番組からの、というのは嘘だとわかる。絶対に中身はチョコレートだ。 それよりなにより、その女性の完璧に澄ました顔の下にある、ここで断ることできないでしょう? 受け取るしかないでしょう? という気持ちが透けてみえて、カッと頬が熱くなる。 この人の行動の意味と卑怯さは、恋する女性特有のものだ。あたしも同じ人に恋をしているんだから分かる。 もう別れた相手なのに未練あるの!? そこまでしてチョコ渡したいの!? 叫んでも相手に届くはずがないと唇を噛む。今はあたしと付き合ってようが、取るに足らないと言われているような悔しさで俯く。さっきの鈍い音の正体は手から滑り落ちたマグだと今になって知った。 そして、自分以外の女性から巧妙に偽装した本命チョコを受け取る場面を目にしなきゃいけないのかと、泣きたくなる。 ここで断ったら、番組を見ている人に一哉くんは洒落も通じないと思われるか、受け取りたくない理由があるのかと思わせてしまう。かといって特定の恋人がいると言ってしまえば、あたしが騒がれる。それだけは絶対にさせないと、あえてあたしを信頼できる筋のパーティー以外、目立つ場に出さない一哉くんの意思に反してしまう。 結局、元カノの策略勝ち、か。 受け取るしかない一哉くんを見たくなくて、リモコンに手を伸ばしかけたら、画面の中でふっと笑う気配に身動きできなくなった。 その自信ありげで動じていないいつもの笑みは、あたしが逡巡していた一瞬で何か流れが変わったと教えてくれる。 「日本にバレンタインのイベントそしてチョコレートを贈る習慣が根付いてまだ五十年ほどです。しかし今はチョコレートの年間消費量の二割がこの時期に出る。元は異国の習慣を新しい解釈で浸透させていく、そこには不安もあったでしょうがビジネスチャンスへの希望の方が大きかったはずです。御堂グループも既存のものから新しい展開へ、御堂なら何か新しいものを生み出すのではないかという、消費者の希望であるべきだと考えています」 一哉くんが言い切ったと同時に、いよいよもってコーナーの終了を告げる音楽が流れ出した。 「本日はお忙しいところありがとうございました。それでは本日はここで失礼……」 締める男性の声が途切れるとCMになった。 どさくさで、チョコレートは希望の話の小道具になったままで終わった。呆気にとられたのはあたしよりも、女子アナの方だろう。 呆然としていたのが治まると、ほっとしたのに加えて、あたしの想像を超える対応をした一哉くんには敵わないという気持ちで笑いが込み上げてきた。 あたし以外の人から本命チョコを受け取ったりしなかった。 小細工で追い詰められる人じゃなかった。 それは、恋人がいると宣言するより遥かに一哉くんらしいあたしを守る方法で、笑いながら溢れてきた涙を拭う。 床を掃除して落したマグを洗って片付けると、冷蔵庫を開けて帰ってきたら渡す予定のチョコを取り出した。 良かったね、大事にされて。 箱を撫でながら渡す前から大事にされているチョコに心の中で語りかけると、携帯電話が鳴った。出る前からかけてきた相手は分かってる。 「俺だ」 「一哉くん、おつかれさま」 「あぁ疲れた。早くおまえのところに帰りたくて仕方ないぜ、ったく……」 わずかに迷う気配の後で、静かに「見ていたか」と訊かれる。 「うん、だって見るって言ったじゃん」 「……不愉快な思いをさせて悪かったな」 「一哉くんのせいじゃないもの」 あたしの答えに、耳をかすめるような安堵のため息が続いた。 あの人も、一哉くんを好きな気持ちは嘘偽りなかったんだろうし、仕事を使うのは卑怯だとわかっていてもどうしようもなかったのかもしれない。そう思えるくらい余裕を取り戻したのは、一哉くんのお陰なのに。 「だって、いま付き合ってるのはあたしだもん」 何よりの希望の原因を軽口めかして告げた。 勝者だなんて勝ち誇るつもりはないけど、譲るつもりはないんだから。 すると電話口からふっと笑いが耳をくすぐった。 「馬鹿だな。それを言うなら今も、これからも、だろう?」 「うん……ありがと」 もっと強い希望をくれた恋人は、急いで帰るから準備しておけと言って電話を切ってしまう。 残り少ないバレンタインデーを社長としてでも家政婦としてでもなく、ただ恋人として過ごすために、あたしは割烹着を脱いで出迎える準備をはじめた。 |
あとがき
元カノを絡めた話にしようと思って
でも、むぎを嫌な性格にしたくなくて
あーでもないこーでもないとしていたら、VBから一週間も経っちゃいました
ステークホルダーやCSRはれっきとした経済用語だけど、
番組司会者が公共の電波使ってアタックチャーンス!てのは
猫百匹の妄想ですから、誤解なきよう、ね?