恋する社長の逃避行


 華やかなパーティー会場の隅で、あたしはウェイターから渡されたジュースを舐めつつ居心地の悪さと戦っていた。
 クリスマスとはいえ一哉くんは年中忙しい人で、日付関係なく仕事が入るから仕方ない。
 一哉くんのせいじゃないけど、慣れない場にいる緊張感で喉が渇いてしまう。
 もう一口舐めると、生暖かいオレンジ味が口の中に苦く広がって顔をしかめそうになった。
 手の中ですっかり温くなったグラスを通りかかったウェイターに渡し、まだ終わらないのかと恨めしい気持ちは胸の奥にしまって顔に笑みを張り付け、壇上でスピーチをしている一哉くんを見つめる。
 会場の端と端だけど、一際ライトで照らされているから表情まで良く見えた。
 こうして見るとやっぱりカッコいい。
 どれだけ着飾った人の中でもシンプルなタキシードの一哉くんが一番カッコいい。
 声に出していないからいいよね、と盛大にのろけて退屈を紛らわせる。
 一哉くんの仕事と関わりのある人が主催だというクリスマスパーティーは、世間が不況だというのが信じられないほど全て絢爛豪華で賑わっていた。
 あるとこにはあるんだなぁー……なんて思うのはあたしが庶民中の庶民だからかな。
 一哉くんがプレゼントしてくれたドレスと手配してくれたヘアメイクさんの技術で見た目だけは取り繕えていたけど、中身は未だに一般的な庶民感覚しかない。
 一哉くんと付き合ってもうかなり経つけど、こういう場で一人浮いている感覚も薄れる気配がない。
 パーティー久しぶりだからかな……。
 露骨に指折り数えるのはこの場に集まっている人達に馴染まないだろうと、心の中で月日を数え……十まで数えて後は止めた。
 ほぼ一年近くご無沙汰とだけ分かれば充分だ。
 一哉くんが祥慶を卒業して以来、以前はちょくちょく同伴することもあったけど、あたしが他の出席者から心ないことを言われているとバレてから一哉くんは過保護になった。
 セレブな空気に慣れないだけでこういう場そのものが嫌な訳じゃない、あたし何を言われようが気にしないのに。
「……はぁ」
 あ、ヤバい。
 前で談笑していたグループがちらっと振り向いたので、ため息が漏れていたと気がつく。
 頑なに視線を壇上に向けていると、勝手に理由を思いついてくれたらしい。
 その中の一人の女性は、ため息は見惚れていたからでしょう? と言いたげな視線をあたしに送り、同じグループの女性に「御堂様はいつ拝見しても素敵ですわね」そう声をかけて談笑の輪に戻っていった。
 壇上では一哉くんが主催者へ祝辞を述べている途中で、自然と惹き付けられる口調がマイクで増幅され会場に響き渡っている。
 あたしはそれより目の前の女性たちの噂話が気になって、趣味が悪いと知りつつ、つい耳をそばだてた。
「堂々として、ご立派ですわよね」
「最近また凛々しくなられたかしら。立場に甘えずご自分を律する方だと私の父も感心してましてよ」
 最近ますます甘えてるのか、片付けられない性格に磨きがかかってますけど。
「そういえば先日お父様と御堂様が広尾に新しくできたレストランで会食なさったのよね?」
「えぇ、私も一緒に参りたかったのだけどお仕事の話だからって、お父様ったら。新進気鋭のシェフだとかで、お料理も気になっていたのに酷いわ」
 帰った後、やっぱり和食の方が口に合うって言ってたけど。
「いつかご一緒できるとよろしいわね」
「だからお父様にはぜひ御堂グループと提携して欲しいの。そうしたらお会いする機会も増えるかもしれませんもの」
「まぁ、いじらしいわ」
 一哉くん仕事は仕事できっちり分けてるからなぁ。
 これ以上、盗み聞きを続けたら「一哉くんのこと何もわかってない」と言ってしまいそうで、そっと会場を抜け出した。
 何を漏らしても心配のない、人気のない廊下の奥まで進んで壁に背をつき足首をぐるぐる回す。
 久しぶりのハイヒールにつま先が悲鳴をあげはじめているのと、何もすることがない待つ時間をもて余してるから、こっそり休むくらい平気だよね……にしても一哉くんは何で今日のパーティーに限ってあたしを誘ったんだろ。
 手持ちぶさたもあって、肝心の理由を聞いていないとぼんやり考えだした。
 あの女の人みたいに仕事の提携ができるかもとか、役に立つわけじゃないのに。
 あたしは何を言われようが気にしないけど、付き合っているのがあたしのような普通の庶民なんだと思われるのは一哉くんなのに。
 その時、パーティーバッグの中から耳馴染みのあるメロディが鳴り出した。
 すぐに一哉くんだと気付いて慌てて取り出す。
 会場を抜け出したのがわかって掛けてきたのかと焦って出たのに、告げられたのは意外なセリフだった。
「すず、車を裏に回すからすぐ来い」
「来いって一哉くんは?」
「俺の仕事はさっきのスピーチで終わった。裏口の場所はわかるか?」
「来たときに通ったとこでしょ。うん、わかる」
 はじめて来たホテルだけど、つい一時間前に通った道を逆に進むだけだもの。
 でも一哉くんも仕事が終わって、すぐ来いって意味は?
 それはわからないままだけど、あたしは急いで裏口に向かった。



 裏口で迎えてくれるのはてっきりいつもの黒塗りと運転手さんかと思っていたあたしの想像は、意外な形で裏切られた。
「どうした? ほら早く乗れよ」
「う、うん」
 一哉くん自身がハンドルを握る助手席に慌てて乗り込む。
 あたしがシートベルトをしたのを確認して、車は滑るように走り出した。
「ねぇ一哉くん、大丈夫なの?」
 訊ねた訳は一哉くんの運転技術に不安があるからじゃない。
 一哉くんがこういうパーティーでスピーチをするときは、終わってからも何だかんだと引き留められて結局夜中までかかるのを、待つ身が長いから知っているせい。
 なのに……。
「今日はクリスマスだぜ? スピーチで義理は果たしたんだから、今日くらい社長業より彼女を優先したって鎌塚も理解するさ」
「えっ!? じゃあ秘書さんにも内緒で抜け出したの?」
「あぁ」
 一哉くんは不敵に笑って携帯電話を放ってきた。
「邪魔されたくないから電源落としておいてくれ」
「でも」
「クリスマスくらい恋人と過ごしたいという願いに不服があるのか?」
 ……誰が、立場に甘えず自分を律する人だって?
 一哉くんはこうと決めたら必ず実行する人だ。
「悪かったな、待たせて。お前を連れてくればすぐ出られるだろ?」
 企みを明かされた瞬間に手の中で一哉くんの携帯電話が震えだした。
「すず」
 スピーチしていた時とは違う、きっとあたししか知らない優しい声音で呼ばれて心が決まる。
 えいっと弾みをつけて電源を落とし、そして二人同時に弾けたように笑いだした。
「さぁ、どこへ行く? なんなりと付き合うぜ」
「どこでも!」
 一哉くんと一緒なら行き先はどこだっていい。
 今頃、青くなっているだろう一哉くんの秘書に「今日は許して」と心の中で詫びて、あたしと一哉くんは一日だけの逃避行をはじめた。

あとがき

たまにはお茶目社長。
御堂さまが車の免許を取るぜ、ふっ
という設定があったからこそ思いついてみたー。