「すず?」
軽く肩を揺すると、二、三度まばたきした後ゆっくり瞼が開いた。
「あ……えへへー、おかえりぃ」
「こんな所で寝て、風邪ひくぞ」
「うーん……起きて待ってるはずだったんだけど」
目をこすりながら、ソファーの上でもぞもぞと起き上がり、あくびをこらえている。
「先に寝てていいって電話しただろ?」
「でも、ちゃんとおかえりって言いたかったし」
「仕方がないやつ……ほら」
ふっと苦笑を抑えて腰を落し、すずの膝の下に腕を差し入れた。
キョトンとした顔が一瞬で笑顔にかわると、首に腕をまわして体を預けてくる。
「重くない?」
「お前一人くらい余裕だぜ」
廊下へとつながるドアを肩で押し開けると、センサー式のフットライトがパッとついた。
「きれいだね……それに、ふわふわして気持ち、いい」
服を通してくぐもった声が胸元から聞こえてくる。
顔を覗き込むと、いまにもくっつきそうなほど瞼がさがっていた。
一歩すすむごとに眠りの世界へと戻っていく。
寝室のドアも同じ方法で開け、そっとベッドへ横たえたる。
足の下の腕をゆっくりと引き抜き、首にまわされたままのすずの腕をはずそうと手をかけた。
「……もうちょっと」
もう眠っているものと思っていたのに、逆に力を入れられる。
普段は弱音の一つも吐かないすずが、こういう風に甘えてくるのは珍しい。
意地でも離さないというように、組み合わされた指を軽くにぎり返すと、安心した様子でふっと力が抜けた。
「どうした、何かあったのか?」
結び目に指をかけてネクタイを引き出すと、自分も隣に身を滑らせる。
しばらく沈黙が続く。
また眠ったのかと思い始めたとき、ふふっと小さな笑い声がした。
「お父さんも、こうして運んでくれた」
短いセリフに漂う、底知れない悲しさを覆い隠すように、くすくすと笑いながら小さな声が続いていく。
「ちっちゃい時ね、お父さんが帰るまで待ってるって、いつもお母さん困らせてたの」
「……あぁ」
「でも、いつも絶対に寝ちゃったんだって」
「お前らしいな」
「えへへー、でしょ?」
身を捩じらせて抱きついてくる、すずの体に腕をまわす。
「ほんとはね」
「ん?」
「お父さんに運んでもらいたくて、わざと言い張ってたの」
……すべて過去形の家族の話。
「運ばれてる途中でね、目が覚めるんだけど、眠ったふりして」
“話す事で楽になるなら、いくらでも付き合う”という気持ちをこめて、抱きしめる腕に力をいれる。
「お父さんも気付いてたと思う」
「なぜ?」
「ベッドにね、おろすとき、ただいまって言ってくれたから」
「なるほど」
世の中の一般的な父親とはそういうものなのだろうか?
「うん。……なんとなく思い……出しちゃった」
だんだんと声が小さく、途切れがちになっていく。
俺の行動で思い出させてしまったのか。
今までに感じた事のない、どこにも当てはまらない感情が湧いてきて苦しくなる。
やがて、深く穏やかな呼吸の音が聞こえてきた。
ダブルベッドの片側が世界の全てとでもいうように、しがみつきながら寝ている恋人の顔をまじまじと見つめる。
失ってしまった、もう戻らない家族の変わりにはなれないが……。
「ただいま」
言う機会を逃していた言葉をつぶやくと、額に触れるか触れないかのキスをした。
帰宅したらメールのチェックと、株価の動向を探る予定だったが……目を閉じると自分も眠りへと落ちていく。
そう遠くない将来、必ず新しい家族の形を作ってやると思いながら。
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