仲直りの仕方
受け取ったカバンの重さで、今日も仕事がつまっているのがわかった。 ここのところ難しいプロジェクトが大詰めみたいで、一哉くんの生活は会議と出張と残業で埋められている。 久しぶりに一緒に晩御飯を食べられるけど、すぐに仕事にとりかかるんだろうな……。 しずむ気持ちを奮い立たせるようにわざと明るい声を出した。 「おっかえりー! ごはん出来てるよ。あのね、今日のメニュ」 「悪い。会議の途中で軽くつまんだから今は腹がすいていない」 「え?」 努力があっさり覆されてしまった。 いくら忙しくても出来る限り一緒に晩御飯を食べよう、それが無理なときは絶対に連絡するって約束だったのに。 連絡がなかったから今日は張り切って作ったのに……。 「先に残った仕事を片付けてしまうから、お前は」 「わかった……一人で食べるからいい!」 投げつけるようにカバンを返すと、ダイニングに引き返して力いっぱいドアを閉めた。 向かいの席に伏せられたままのお茶碗を見ないようにしながら、口に運んで噛んで飲むをくり返すだけの食事はすごくつまらなかった。 期待していた分、はじめから一人だってわかっているのと違って、胸に重石をつけられたような暗い気持ちになってしまう。 我ながら会心の出来だったはずなのに、味なんて全然感じない料理をあっという間に食べ終わると、食器を運びながら残った一人分をどうしようか考えた。 「……お料理に罪はないもんね」 ラップをかけて冷蔵庫に入れると、そっと廊下をうかがい閉じられたドアの前まで進んでみた。 今日はこのドアから一哉くんが出てくることはもう無いんだろうな……。 ノックしかけた手を下げると、無言のままバスルームへと向かった。 お風呂に入ってしまうと何もする事がなくなってしまって、眠くなるまで雑誌でも読もうとリビングに足を踏み入れたあたしの目に、意外な光景が飛び込んできた。 「……一哉くん?」 ソファーで書類を読んでいる姿に驚いておもわず声をかけると、なぜか不機嫌な顔で振り向かれた。 「コーヒー」 低い声も不機嫌さをにじませている。 なんで一哉くんが怒る訳!? 約束を破られて食事もすっぽかされて、怒っていいのはあたしじゃないの? 「早くしろ」 無視して部屋に引きこもってやろうとノブをつかんだけど、勝手に足がとまってしまう。 そういうやり方は好きじゃないし、こういう雰囲気が長引けば長引くほど気まずくなるのは経験上イヤってくらい知っている。 深く息を吐き出すと足先をキッチンへと向けた。 「あ……れ?」 シンクには空になった食器が積まれていて、ゴミ箱にははがされたラップが突っ込まれている。 ラップは燃えるゴミじゃないのに……いやいや、それよりご飯いらないんじゃなかったの? どういう事かわからないまま機械的に体を動かしてコーヒーを煎れる準備をした。 お湯が沸くまでのつもりでパジャマの袖を捲り上げると、積まれたお皿とスポンジを取り上げる。 全部食べてくれてる……お腹すいてないって言ってたのに、なんで? 不機嫌な顔してたのは無理して食べたからなのかな? でも、そこまでして食べて欲しいなんて言ってない……。 「いつまでそうしているつもりだ?」 背後からの声にハッとしてまばたきをすると、流しっぱなしの水の音に隠れてヤカンがお湯が沸いたことを知らせていた。 慌てて水とガスを止めると勢いをつけて振り返る。 「ねぇ、なんで?」 相変わらず不機嫌そうな顔でツカツカと近づいてくると、いきなり頬をつねられた。 「ったい!」 「人の話を最後まで聞かないからだ、馬鹿」 「バカってなによぅ」 「いいか? 確かに腹はへってないとは言ったが、食べないとは言ってない。今は、というのが聞こえなかったのか?」 「いたたたたたた」 「盛大に勘違いしやがって。一時間待っていれば残った仕事も片付いたし、一緒に飯に出来たんだよ」 「らって」 「だってじゃない。その単純な脳みそを少しは何とかしろ」 ようやく放された頬をさすりながら見上げると、柔らかさの欠片もない視線とぶつかった。 「ごめん……なさい」 「わかったらさっさとコーヒー」 「はぁい」 二つだぞ、という声を残してリビングに戻っていく背中を見ながら、もしかして一哉くんも一緒にご飯を食べるのを期待していたんじゃないかなんて思った。 二つって事はあたしも一緒に飲めって意味なんだろうな。 ブラックとカフェオレのカップを持ってリビングに向かうと、たった数分しかたっていないのにテーブルの上は散乱した書類で埋められている。 「ここに置いとくね」 「あぁ」 手にした残りの書類から顔もあげずに返事をする様子で、まだあたしの勘違いを怒っているのが伝わってきた。 ソファーの隣のサイドテーブルにマグを置くと、読みかけの雑誌をとってどこに座ろうかと部屋を見渡す。 離れた椅子に座るのも気が引けて、おそるおそる一哉くんの隣のスペースに腰を下ろそうとしたとき、無言のまま伸びてきた腕にさらわれて気がついたら彼の膝の間にいた。 「なっ、何!?」 立ち上がろうともがいたけれど腰に回された腕の力は思いのほか強くて、無駄な足掻きだと悟ると雑誌をめくり始めた。 耳のすぐ後ろでカサっと紙のこすれる音がしたのに続いて、あたしには意味がわからない数字をつぶやく声が聞こえてくる。 首筋にその息がかかるけど、気にしないようにして雑誌に意識を戻す。 しばらくすると右後ろで腕が動く気配がしてカタンと音がした。 ごくんと喉が動いてコーヒーを飲みくだす音が耳に入ってくる。 だから、意識しちゃダメだって! そう自分に言い聞かせながら雑誌の文字を追うけれど、頭には入ってこなかった。 またカタンと音がしてカップが戻される気配の直後に、ふうっとうなじに息がかかった。 背筋に電気が走ったようなしびれが起こり、手の中で雑誌がバサバサと耳障りな音を立てる。 「……あの、一哉くん?」 「なんだ」 「ひあっ!」 耳のすぐ傍で答えられて思わず声がでてしまう。 うなじの毛穴が開いたようなむず痒さに耐えられず、手で抑えてから少しだけ顔をめぐらせた。 「仕事するなら机でした方がいいんじゃない?」 「このままで問題ない」 「そうじゃなくて、あの……」 「ん?」 至近距離で見つめられて何を言おうとしていたか忘れてしまった。 黒に少しだけ青を混ぜたような……よく晴れた夜の空みたいな色の瞳で見つめられると、あたしはいつも何も言えなくなってしまう。 カーーーっと顔が熱くなるのがわかった。 「なに赤くなってんだよ」 「だって……近すぎる!」 さっきからずっとこの体勢で一哉くんは仕事をしていて、あたしは“意識しないよう意識する”という不毛な努力を続ける羽目になっている。 「いいからお前はそれを読んでろ」 顔色一つ変えずにそれだけ言うとまた書類に視線を戻す。 だから仕事するなら何もこんなに密着しなくてもいいじゃない、そうは思うものの自分から立ち上がりはしないで仕方なく前に向きなおると、これ以上動くなと言わんばかりに頭に手をかけられた。 とっくに読む気がしなくなった料理雑誌を膝に戻すとひたすらめくり続ける。 せっかく一哉くんが好きそうなレシピをみつけたのに、もうどのページのどんな料理だったかも忘れてしまったじゃない。 見えない事で余計に敏感になった神経が、背中に当たる体温と体をはさむ彼の足にばかり注意をむけるから……。 ゆっくりと手が髪のながれに沿っておりてきて体が固まった。 心臓が耳の中にあるんじゃないかってくらい自分の鼓動が響いて、顔が火を噴くくらい熱くなる。 さっきの口ぶりだと無意識でしてるんだろうけど、あたしが勝手に意識しちゃってるだけなんだろうけど……それにまた勘違いしてるだけだったら? 勘違いするなって怒られたばかりなのに。 お風呂上りに乾かしたままおろしていた髪を絡めとられて、その指が耳たぶをかすった瞬間ガマンできなくなって立ち上がった。 「やっぱりわざとやってるでしょ!?」 「さっきから何なんだ。落ち着きがないな」 書類を脇に置くと、何を言っているのかサッパリわからないという顔で見つめ返される。 あたし一人が大騒ぎしていると言われているように感じて、急に恥ずかしくなった。 「……ううん、なんでもない」 床に落ちた雑誌を拾うと、視線を避けるように顔を背ける。 「カップはそこに置いたままでいいから。後で片付ける。じゃあ……きゃ」 これ以上、自分がバカな事を言い出さないうちに退散しようとしたのに、腕をつかまれバランスを崩して倒れこんだ先は彼の膝の上だった。 「言いたい事があるならちゃんと言え」 ちゃんとって言われても……一哉くんがナニかほのめかしてるんじゃないか、そして自分はそれを心のどこかで期待してたみたいけど勘違いのようだから意識しないよう離れてます! なんて言えるわけないじゃない。 今だってこんなに近くに顔があって、この距離感はベッドの中と一緒だなんて感じてるのに。 「だから何でもないってばー」 「何でもないだと?」 形のいい唇が動いて相変わらず冷静な声が響く。 まさか、考えを読まれてる? こんな事を考えてるのがバレたら恥ずかしくて……。 ジタバタと足を動かしたけれど力は緩まるどころかもっと強くなって、腕の中にすっぽりと包まれる形になった。 「言わないなら……言わせてやろうか?」 首元に手が伸びてきた。 「ちょ、何するのっ?」 「この状態で、要求が通る最も効果的な方法を実行しているだけだ。お前が言い出すまで外していくからな」 そう言いながらプツッと一番上のボタンが外された。 涼しい顔をして二つ目にも手をかけられる。 「やっ……まま待って! わかった、言う言いますっ」 手が止まった。 やっぱり、この人わざとやってる。 そりゃ一哉くんはあれくらいどうって事ないんだろうけど、あたしはいまだに慣れなくてくっついてるだけでも照れてしまうって知ってるくせに。 勘違いして一人でご飯食べちゃったから、あたしが一番動揺する方法で仕返ししてるんだ。 こんな風に静かに怒られるより、正座でお説教される方が数百倍もマシだよ。 「話す気がなさそうだな」 止まっていた手が再び動き出した。 「話す! だからっ、やめてってば!」 大きく息を吸うと一気にしゃべりだした。 「……と、思ったの! おわりっ」 「お前……筋金入りの馬鹿だな。この俺がそんな仕返しをするような人間だと思ってるのか?」 「だって、あんなに怒ってた」 「勘違いしたことに対してじゃない。お前がさっさと寝るつもりなのが気に入らなかっただけだ」 肩に頭が乗せられて、余計に体がくっついた。 「今日はお前とゆっくりできるかと期待していたんだがな」 「でも今だって仕事してたじゃ」 「先に飯にしたからずれこんだだけだ。もう終わった」 「じゃ何で、あんなにくっついてたの?」 「好きな女に触れていたいと思って何が悪い。ここしばらく、ろくに顔もあわせてないんだ。俺にとってお前といる時間が重要だという事くらいわかれ」 ……早とちりしなきゃ良かった、後悔さきに立たずってこういう事をいうんだろうな。 一哉くんは一緒にいる時間が短くても平気なんだと勝手に思い込んでた。 だから、くっついてるのもわざとだなんて勘違いしちゃって……一哉くんなりに少しでも一緒に過ごせる方法をとっただけなのに。 「ごめんね。あたし勘違いしてばっかりで」 「そう思うのも無理はないからこれ以上謝るな」 「どういうこと?」 「今は仕事を優先させなくちゃならない。それでお前に我慢させているのもわかってる。だからお前が謝るな」 「……うん」 どうしよう、嬉しくて泣きそうになる。 バレないように胸に顔をうずめると、一哉くんの匂いと心臓の音に包まれた。 何回“好き”って言われるよりも、今の言葉の方が一哉くんの気持ちが伝わってきた。 口にしないだけでこんなにあたしの事考えてくれてるのに、表面しか見ないでやつあたりみたいに怒ってた自分が恥ずかしくなる。 「あたし、もっと一哉くんのことわかる様になるね」 これ以上あまえてたら本当に仕事の妨げになっちゃう。複雑な一哉くんを理解するのは難しいだろうけど……。 肩の上でクスッと笑う声がしたかと思うと、急に背中が軽くなった。 腕の中にいたはずなのに、何で……天井が見えてるの? 「それなら一番いい方法を教えてやろうか?」 外しかけられたままのボタンに、また手が伸びてきた。 「ちょ……そんなつもりで言ったんじゃないっ」 「そういうつもりにしとけ」 「なにそれっ」 体を起こそうとするのに、ソファーに縫い付けられたみたいに動けなかった。 胸を押し返そうとする腕を簡単にどけられて、次々とパジャマのボタンが外されていく。 さっきまでの甘くて優しい雰囲気はどこにいっちゃったの? 一哉くんの思考回路を理解できるのは、まだまだ時間がかかりそう。 開いたところから唇を押し付けられて、なにか考えてられるのもそこまでだった。 |
あとがき
ケンカする話を書くつもりが、さっぱりまとまりがない話になってしまって……
とりあえず自分で突っ込んでみます
……なに、この、バカップル