一人でパジャマパーティー


 一哉くんが出張でアメリカに飛んで、もう一週間。
 あたしは実家に戻っていた。
 毎日メールで連絡しあってはいるけど、彼からの内容はいつもそっけなくて読むたびにますます寂しくなる。


『計画通り進んでいる』
『数日中に帰る。部屋の掃除たのむ』


 それで素直に掃除をしにやってくる、自分も自分だけど。
 あれじゃあ、まるで業務報告だよ。
 思い出しただけでため息が出てしまう。
 メールの送信時間はどれもまちまちで、一行二行の内容からも忙しいのがわかるのに、たったの一分くらい電話してくれてもいいんじゃない? という気持ちが、胸の奥でくすぶっているからかもしれない。
 ……あっちはあたしの一日がどんな風に進むか、そしてどれだけ代わり映えしないかわかっているんだから、いくら時差があったって一言“元気か?”とか“会いたい”とか。
 “好きだ”……とかさぁ。
「絶対に! そんな事! 言う人じゃないって! わかってるけどっ!」
 一声ごとに力をこめてバスタブを磨き上げる。
 泡を流すとピカピカの浴室をぐるりと見渡して、心の中のリストに“済”のハンコを押した。
 深呼吸して洗剤のさわやかな香りを吸い込むと、その中にかすかに一哉くんが使っているシャンプーの匂いがある。
「……っ」
 思わず口から出そうになった言葉を、ギュッと唇をかんでのみ下した。
「さぁ〜て、次はどこを掃除しようかなー」
 変わりに大声で独り言をいうと袖をまくった。





「つぎ、は……プッ」
 書斎のドアを開けた瞬間、想像以上の惨状に呆れるよりも笑いがこみ上げてきた。
 “今はいい”って出張する前の晩まで片付けをさせてくれなかったから、机の上の書類の山と雪崩の様に広がる本がそのままになっていた。
 あとはあの椅子に一哉くんがいれば……。
「これ以上、考えちゃダメ」
 目をつぶって深呼吸すると自分に言い聞かせる。
 書類に書き込まれた文字、片付け忘れたままのカップ、椅子の背に掛けられたままのネクタイ。
 いろんなところにある彼の影を意識しないようにして、ただもくもくと手を動かして片付けていく。
 その勢いのまま、前の家と比べて多少はコンパクトだけど、それでも豪華な事には変わりないマンションを徹底的に掃除していった。





「はぁ〜、スッキリスッキリ」
 洗い終わったカーテンをレールに掛けていく頃には、思わず言葉が飛び出るくらい充実感と心地よい疲労に包まれていた。
 窓を開けると八月の強い日差しの中、水気が残るカーテンがぱたぱたとゆれて清潔な匂いを漂わせている。
「このぶんだと二、三十分で乾くかな」
 すっかり癖になってしまった独り言。
 一哉くんが聞いていたら“馬ーー鹿”って……、いくら考えないようにしていても、気がつけば頭の中に顔と声が浮かんできて心が苦しくなる。
 これからこうして離れる機会は増えるから、ガマンしようときめてたのに。
「あいたいよぉ……」
 ずっと堪えていた言葉が漏れた瞬間、じわっと目の奥が熱くなった。
 ここで負けてしまったら、きっと今すぐ電話して一哉くんを困らせてしまう。
 いつ帰ってくるの? 早く帰ってきて、って言ってしまう。
 腕を押し付けるように顔を覆い、呪文のように繰り返す。
「これは汗……泣いちゃダメ。これは汗! 掃除してて汗をかいただけ」
 そうだ……!
 シャワーでも浴びてサッパリすれば気分転換になるかもしれない。
 その間にカーテンも乾くだろうし、自由に使っていいって言われてるし、我ながらナイス思いつき! いつ帰ってくるかわからない、素っ気無い恋人を泣いて待つなんてあたしらしくない。
 どうせなら徹底的に楽しんでやる。





 そう決めると入浴剤をたらしてジャグジーのスイッチを入れた。





 みるみる間に泡だっていく湯船に体を沈めると、鼻歌をうたいながらつぎの計画を練りはじめる。
 家に帰ったところで誰もいない一人寂しい夕食には変わりないんだったら、ここで少しでも一哉くんを身近に感じていた方がいい。
 冷凍庫には作り置きしていた料理があるし、暇なときに一緒に見ようねって買ったままのDVDもある。
 来る途中に買ったお菓子もカバンにはいってることだし……。
 秘密のパーティーみたいでワクワクしてきた。
 勢いをつけて湯船から立ち上がり、気持ちがしぼまないうちに急いで体を拭いていく。
 タオルを洗濯機に放り込んでスイッチを入れると、ふと思いついて汗でしめった服も追加した。
「パーティーなんだもん、小道具にも凝らなきゃね」
 一哉くんのパジャマを引っ張り出すと体に当ててみる。
「誰に見られるわけでもないんだし、まぁ……いっか」
 ズボンはそのまま棚に戻して、上着だけを羽織ると髪を乾かしはじめた。





 はやる気持ちを抑えて簡単な食事を済ませると、雰囲気つくりのためにカーテンまで閉めてテレビの前に陣取った。
「お菓子よーし、ジュースよーし、DVDセットよーし!」
 選んだときに“こういった話の何がおもしろいのかさっぱり分からない”と呆れ顔をされた恋愛映画を再生する。
 “どれも波乱万丈の末にハッピーエンドだろ”
 皮肉屋で現実主義者の一哉くんはそういっていたけど、興行成績全米第1位だったんだもん。
 本当はあたしだって映画館で見たかった。
 忙しい一哉くんにお願いするだけ時間の無駄だってわかってたから、発売されるのを待ってたのに結局“あとで”って……。
 慌てて意識を画面に戻すと、先に見に行った夏実と遊洛院さんが“感動した”“切なくて胸が締め付けられるようでしたわ”といっていたその内容にあっという間に引き込まれた。
 すれ違う恋人同士が素直になれないまま、次々と困難に巻き込まれる。
 場面が変わるたびに一時停止をしてティッシュをとりにいっていたけど、三回繰り返したあとは箱を抱えてソファーに戻りゴミ箱を引きずり寄せた。
 時間を追うごとにティッシュの山が大きくなっていく。
 せっかく用意したお菓子とジュースにも手をつけずに夢中で見入った。





「よかったぁ〜」
 固い絆で結ばれた二人が、愛を確認して手を取り合っている。
 ハッピーエンドに満足すると、どさっとソファーに倒れこんだ。
 急に目の疲れを感じて瞼を閉じると、熱くてはれぼったい感じがする。
 指先で軽く抑えるとそれだけでじんわりと涙が出てきた。
 ずっと画面に見入ってたし盛大に泣いたから仕方がないとはいえ、明日は夏実にあう予定があるからなんとかしなきゃ。
「目薬……ううん、冷やすのが先か」
 勢いをつけて立ち上がると、コップに残ったままのジュースを飲み干して洗面所に向かった。
「うぅー、顔があっつい」
 鏡で確認すると見事なまでに充血していて、鼻の頭まで赤くなっている。
 こんなところ見られたら、また単純だとか馬鹿馬鹿って言われるんだろうな。
 一緒に見なくて正解だった……でも少しは映画の彼を見習って欲しいかも。
 最初はぶっきらぼうだったけど、最後は熱烈な愛の言葉を口にして……。
「一哉くんが!? ぜーーーーったい無理!」
 腕組みしながら鼻で笑われるのがオチだ。
 そんな事を考えながらほてった顔にざばざばと水をかけていく。
 クリスマスイブに告白された時だって“俺と付き合え”って妙に偉そうだったし。
 あたしが掃除をはじめようとした時に限って“二分でコーヒー”って呼びつけたり、仕事に没頭してるからあたしがもう寝るねっていうと急にキスしてきたり。


 ……なんだか腹が立ってきた。


 知らないところでフォローしてくれてたり、優しいところはいっぱいあるけど、もっとあたしがわかりやすい愛情表現にしてくれればいいのに!
「そういう人を好きになっちゃったから、仕方ないんだけどさ」
 水滴をこぼさないよう顔を伏せたままタオルをつかむと、顔におしつけて大きく息を吐き出した。
「あーあ。一哉くんってば、女心ってものをちっともわかってないんだから」
「誰が、何を、わかっていないだと?」
 急に耳に飛び込んできた声にびくっと体が跳ねた。
 タオルをつかんだままの腕をおそるおそる下ろす。


 鏡の中に会いたくて堪らない人が立っていた。


「あたし……とうとう幻覚まで」
「何を言ってるんだ」
「だっ、て……アメリカにいるはずの一哉くんが見える」
 腕組をしたままドア枠に寄りかかるように立っていた彼が、にやっと笑うと体を起こして近づいてくる。
「馬ーーー鹿」
 鼻の頭をピンとはじかれた。
「……いたい」
「ふっ……目が覚めたか? 実物だ」


 手からタオルが滑り落ちる音が、ひどく遠くから聞こえたような気がした。


「でも、だって、どうして」
「驚いたか?」
「うん……驚いた」
 触れたら消えてしまう幻を相手にしているかのように、そっと彼の手を握ってみる。
 それくらい、まだ目の前にいるのが信じられなかった。
 手のひらからいつもの感触が伝わってくる。少しひんやりとしていて長い指。
 本物だ。本当に帰ってきたんだ。
「おかえり!」
「あぁ、ただいま」
 いつもの挨拶のあとに、いつものようにキスをする。
 それがすごく嬉しくて、考えるより先に体が動いて抱きついていた。
「こんなに早く帰ってくると思わなかったから凄く嬉しい!」
「その割には俺に対する不満を」
「そ、それは……」
 ぎくりとして体を離そうとするより先に、一哉くんの腕がしっかりと腰に回されて胸の中に戻された。
「取引先を急かしてまで契約を進めて帰国すれば……第一声が文句とはな」
「だからっ、それは!」
 どこから聞かれていたのかより、自分がどんな事を口にしていたか必死に思い出そうとした。
「え〜〜〜〜っと」
「大方、暇をもてあまして一人寂しく映画鑑賞というところか?」
「暇…って! それに寂しいのは誰のせいだと」
 はっとして口をつぐんだ。
 いつもそうだ。
 一哉くんはあたしの本音を簡単に引き出す。
 平気なふりをして送り出して、メールの返事も楽しかった事とか面白かった事ばかり書いて、一哉くんの仕事の負担にならないようにしていたのに。
 出張のたびに寂しいなんて我侭をいっていたら、きっと呆れられてしまう……。
「だから予定より早く帰って来ただろう」
 優しい声に顔をあげると、いつもより疲れた表情で見つめ返された。
 頬に手を伸ばすと少しザラッとした感触がする。
 頭の中に“取引先を急かして……”というさっきのセリフがよみがえってきた。
「もしかして、あたしに会いたくて仕事ムリした、の?」
 いつもの余裕たっぷりな顔になると、質問には答えてくれないままさらに強く抱きしめられた。
「……ったく。おまえこそ少しは男心を勉強しろ」
「え?」
「禁欲生活を強いられた後に、そういう姿を見せられたらどうなるか」
「きゃあ!」
 裾から手が入ってきて、ようやく自分がパジャマの上だけしか着ていない事を思い出した。
 背骨をたどるように這う手に思わず首をのけぞると、待ちかまえたように唇を囚われる。
 明日、夏実と買い物に行く予定、キャンセルしなきゃ……頭の片隅でそう思いながら熱いキスに夢中になっていった。

あとがき

何度、読み返してもどこか変と感じる…。
直そうといじるうちに何が何だかわからなくなるお約束。
今はこれが精一杯です。