変わる世界と変わらない気持ちと


 二人で住む場所を探し始めたときに、不動産担当の部署に指示をしたのは、セキュリティやプライバシーの確保よりも、まず第一に“景観”だった。
 一人で過ごす時間が増えるであろう恋人の為に。
 さすがに優秀な御堂グループのスタッフは、数日後、一目で気に入る物件を候補としてあげてきた。
 リビング一面のガラス窓からは、芽吹き始めた緑と突き抜けるような青空が一望できる。
 ホルダーに無造作に突き刺したペンのように乱立するビル郡も、その光景の前にはかすんで見えた。
 一度の内覧で即決し、卒業後すぐに引っ越してきた。


 うるさい奴らがいない、二人だけの家に。


 久しぶりの休日、室内は静か過ぎるほどだった。
 いつもなら、ころころ変わる表情でとりとめのない話を振ってくるすずが、妙に無口なせいだ。


 横顔に朝日を受けながら、朝食を口に運ぶ手が時折ふと止まる。
 光を反射して琥珀色に輝く目が、何かを言い出したげにじっと注がれる。
 また何か俺が想像もつかない事を考えているのだろうが……。
 手にした器をテーブルに戻し、その視線を正面から受け止めた。
「どうした、言いたい事があるならハッキリ言えよ」
「……ううん、なんでもない」
 戸惑い、彷徨う視線が“なんでもない”事を雄弁に語っている。
「おまえがそういう顔をしている時は、何か突拍子もないことを考えていることくらい、俺がわからないとでも思っているのか?」
「別に大したことじゃないから気にしないで」
 急に勢いを増した箸が、口と皿の間を忙しく往復しはじめた。
 一息ついたところを見計らって名を呼ぶ。
「すず」
「うっ……」
 数秒の間ののち、ようやく再び口が開いた。
「聞いてもバカって言わない?」
「確約はできないぜ」
「ほんとに些細なことなんだけど」
 カタンと箸をおくと、逸らされていた視線が戻ってきた。


「一哉くんってさ、いつどこで服買ってるの?」


「そんな事を考えていて妙に大人しかったのか? ……馬鹿か、おまえは」
「バカって言ったぁ……だってお買い物に行ってる様子なんてないのに、いつのまにか増えてるんだもん!」
「衣類が勝手に増殖するわけがないだろう」
「それくらいわかります、だから余計に気になっちゃったの」
「いくつかのアパレルに依頼してある。シーズンごとにサンプルが届くから気に入ったものを注文しておくと後日、社を通して届く。それだけのことだ」
「なんだか豪華な通販だね」
「通販か、まぁそうだな」
 納得した顔で“ふぅん”と頷くと、食卓に普段の雰囲気が戻ってきた。
 すずの為に用意した景色に顔をむけ、弾んだ声で話しかけられる。
「今日はすっごく天気がいいねー」
「そうだな」
 その視線の先は、街が色彩溢れる一枚の絵画のように輝いていた。
「マットとカバーを一気に洗っちゃおうかな……」
「俺が休みの日にしたい事が洗濯か?」
「あ、そっか……一哉くんが丸一日お休みって今いちピンと来ないから、つい、いつものつもりで考えちゃった」
 当たり前になってしまう程、それだけ日中を共に過ごすことが少ない。
 文句の一つもなくごく自然に受け入れている事へ、本来であれば感謝こそすれ不満に思う権利などないのに、存在の薄さを指摘されているような気がしてならなかった。
「一哉くんは何するの? 読書?」
 たしかに目を通したい本や資料が山積みではあったが、今の一言で今日はすずの希望に付き合う事を決意した。
「おまえは何がしたいんだ、洗濯および家事以外で。おまえの希望に付き合うぜ」
「んー」
 口元に指を当て思案する顔になると、また室内に静寂が訪れる。
 数分後、その静寂を明るい声が打ち破った。


「ねぇねぇ、一緒に買い物いこうよ! 一哉くんの服!!」


 色気のある答えを期待していたわけではないが、そのあまりにもわかりやすい返事に言葉が詰まった。
 話の流れを反れることがない思考回路に苦笑が浮かぶ。
「本当に……くっ……わかりやすいな」
「何よ、そんなに笑う事ないでしょ。一緒に買い物なんてめったにしないし、服を選んであげるなんて彼女の特権って感じでいいじゃない」
「おまえがそうしたいなら、俺に異論はないぜ」
「ほんと? 嬉しいっ!」
 徐々に高度を上げる陽の光を受け、眩しいほど輝く笑顔につられ思わず目を細めた。





「準備できたか? じゃあ行くぜ」
 キーホルダーを掴んだ手を押し留められた。
「今日は車じゃなくて」
「うん?」
 よほどの事がない限りドアトゥードアで過ごしてきたせいか、免許を取ってから時間があれば運転する癖が自然とついていた。
「どうするつもりだ、考えがあるんだろう?」
「この前オープンしたショッピングモールに行きたいの、そこだったら地下鉄で行った方が早いから」
 ショッピングモール……地下鉄……馴染みのない単語がすずの口から告げられる。
 ──今日はすずのやりたい様に。
「わかった」
 車のキーを置くと、代わりにすずの手を掴んだ。
「ふふっ」
 喜びを隠せない笑い声と笑顔が向けられる。
 たまには、こんな休日もいいだろう。





「ここは……なんか違う……うーーーん」
 多彩な店舗が軒を連ねるメンズフロアを、すずの物色に付き合いながら並んで歩く。
 それらの店舗自体にとりたてて興味はなかったが、再開発のモデルとしてなら見るべきポイントは複数あった。
 最近発売された雑誌の多くに、大々的に組まれた特集の広告効果がうまく現れている。
 ターゲットに訴えかけるデザインやレイアウトが効果的に働き、来客数はまずまずといったところか。
 立地条件を考えればテナント料だけでも最低月百として、純利益が黒になるには……まあ、一年後にはこの中の数店が撤退を余儀なくされるだろう。
「……ず……く…………ねぇ一哉くんってば!」
「なんだ」
「いま仕事してる時の目だった」
 どこか怒っている顔で見上げられる。
「だめ、今日はただのデートなの」
「ただの、か」
「うんっ」
 今までデートといったら観劇の後に食事、その後は相手次第というプランがほとんどだった。
 すずは普通はというニュアンスで“ただの”と言ったが、この状態がすでに俺にとって普通ではない。
 自分が何を求められ、どう動けばいいのか、正直なところ理解できない。
 困惑する気持ちを紛らわすためにフロアを見渡すと、一件のショップが目に入った。
 モノトーンの生地でシンプルなデザインの服が吊られている。
「あそこ? 実はあたしも、あのお店いいなぁって思ったの」
 嬉しそうにつないだ腕を引っ張る様子をみると、どうやらそれで正解らしい。


 こいつといると新しい世界が広がって面白い。


 はやく! とまた腕を引っ張られる。
 それが少しも不愉快ではなく、嬉しさすら感じる。
 俺をこうして従えさせる事ができるのは、これからもすずだけだろう。
 そんな考えを知ってか知らずか、無邪気な恋人は早くも品定めにかかっていた。





「まだ決まらないのか?」
「うーーーん」
 あれこれ試着をさせられ、店に入ってからすでに一時間以上たっていた。
 何点もの服を相手に真剣な顔で悩んでいるすずの様子を見て、気を利かせた店員が持ってきたコーヒーもすでに飲み干し、問いかける声にも呆れた響きが混じる。
「これが一番似合ってたんだけど、似たような服持ってるでしょ」
 持ち主本人よりもよほど把握している恋人が、手にしたシャツを下ろす。
「……どっちも捨てがたいし」
 別の服を手に取り、しげしげと見比べている。
 あまりにも真剣で、そして嬉しそうな横顔を見て、開きかけた口を戻す。
「あ、すいませーん、これの色違いってありますか?」
 また新たな選択肢が加わるらしい。
 すずと出会う前なら、今もすずが相手でなかったら、無駄としか思えない時間が過ぎていく。
 奥に下がった店員と、入れ違いにやってきた二杯目のコーヒーを飲みながら、椅子に深く座りなおした。
「うーーーん」
 声に出して悩むすずを見て、店員が営業スマイルを越えた微笑を漏らす。
 確かに微笑ましい光景だ。
 自分の恋人が、自分のために悩んでいる。
 今あいつの頭の中は俺のことしか考えていない。
 まったく単純なやつだぜ……しかし、それで喜んでいる俺の方が今はよほど単純か。
 仕事もそれに付随する重責も何もかも忘れて、“ただの”デートに満足している。
 この俺が。
 売っている服に合わせて落ち着いた内装にまとめている店内で、今まで知らなかった光景が輝いていた。





「今日は何時ごろになりそう?」
「会議しだいだが八時は過ぎるだろうな。詳しい事がわかり次第、連絡するからおまえは先に食べてていいぜ」
「うん、わかったっ」
 思いのほか充実した休日が終わり、また新しい一日が始まる。
 シャツのボタンを留め終え、クローゼットにかけられたネクタイの束に適当に手を差し入れる。
「あ、待った!」
「なんだ」
「これ」
 背中からリボンをかけられた箱が差し出された。
 型押ししてあるのは昨日行った店の名だ。
「おまえ……いつの間に」
「一哉くんがお会計してる間に。ほんとはさ、シャツもあたしがプレゼントしようって思ってたの。なのに、さっさとカード出しちゃうんだもん」
 渡された箱のリボンを解くと中から出てきたのはシンプルなネクタイだった。
「だから店員さんに頼んで、こっそり包んでもらったの」
 なるほど。
 通りでカードの決済にあんなにも時間がかかっていたのか。
「似合いそうだと思って……ん、やっぱり」
「すず、予定が変わった」
「え?」
「夕食前に帰宅する。その後は、そうだな……今日は俺の希望に付き合ってもらう」
 いつものように慣れた手つきで結んでいくすずの指に、かかっていたリボンを結んでいく。
「わ、わかった……けど一哉くん何して……あのーネクタイ結び辛いんだけど」
「おまえが了承した証だ、俺が帰るまで外すなよ?」
「えぇーーー」
「じゃあ行ってくる」
 掃除がしづらいと文句を言う唇を塞いで、毎朝の習慣をひとつこなしドアへ向かう。


「もうっ、ほんっとに横暴なんだから……」
 それでも笑顔と共に振られる手には、ひらひらと赤いリボンが舞っていた。

あとがき

他のラ・プリの買い物風景はなんとなく自然に想像できるんだけど
御堂様・・・多忙な社長業をこなしながら、一体いつ買い物行ってるの?
と疑問に思った時に浮かんだ話

タイトルの”変わらない気持ちと”は相変わらずラブラブ(バ)カップル話なので
ふと思いついた語句をつかいました