交差する場所


「そう……うん、わかった……ううん、気にしないで」
 努めて明るい声を絞り出しながらも、携帯電話を持つ手はどんどん冷めていく。
「あたしは家に戻ってるから…………うん、大丈夫、ちゃんとタクシー使うから」
 じゃあ、と会話を終えた瞬間に、強い風が吹いてコートの裾を巻き上げた。
 冬のとがった空気が体を通り過ぎてく。
「……寒っ」
 寒いのは風のせい。
 別に約束をドタキャンされたからじゃない。
「仕方ないよ……一哉くんだってそうしたくて、じゃないんだから」
 マフラーに顔をうずめて声を吸い込ませると、目を閉じて大きく深呼吸する。
「……帰ろ」
 声に出して未練を断ち切ると、イルミネーションで飾られたレストランに背を向けた。





 ……久しぶりのデートだったんだけどな。
 さっきからちっとも変わらない景色を眺めながら、携帯電話を開いては閉じもてあそんだ。
 そんな事をしても一哉くんから“片がついたから予定通り……”って連絡が来るわけないってわかってるのに。
 電話の向こうの声はいつも通り冷静だったけど、本当に申し訳なく思ってる気持ちが溢れてた。
 一哉くんじゃなきゃどうしようもない仕事が飛び込んだんだから、だから……付き合ってから丁度一年の大事な日なのにとか、クリスマスイブなのになんて言って困らせること出来なかった。
 進まないタクシーのすぐ脇で、男の人がぱっと表情を変えながら軽く手をあげてる。
 その視線の先には笑顔で駆け寄る女性がいた。
 鳴らない電話をポケットに突っ込むと、ぐぅっと鳴るおなかをコートの上から押さえながらシートに寄りかかる。
 このコートもその下のドレスも今日のために用意したものだけど。
 あんな風に見てもらう機会はなくなっちゃった。
「……あーあ」
「何か?」
「あ、いえ何でもないです……そうだ! 運転手さん、すいません」
「はい」
「行き先変更してもらっていいですか?」
 逆方向になると渋い顔をするバックミラーに頭を下げ、またぼんやりと窓の外を見つめた。





 とっさに思いついて来ちゃったけど、どうしよう。
 もうタクシーは行っちゃったし、今から拾いに戻っても……イブの夜にそう簡単に捉まえられるとは思えないし。
 冷たい風が吹く道端で立ち続けるなんて……。
 中はあったかいよね。
 ちょっと見て、それからどうするか決めよう。
 皮肉な事に、時間ならたっぷりある。





「やっぱり、キレー」
 思わずこぼれた独り言にガラスが曇る。
 地上五十二階から見下ろす街並みは、暗闇の中に車のテールランプやクリスマスのイルミネーションが瞬いて、幻想的な光景を浮かべていた。
 去年のクリスマスイブに付き合い始めてから、初めて一哉くんと二人だけで来た思い出の場所は、記憶の中と変わらず輝いてる。
 変わったのは今ここに一人で来ている事、そして……あの時は二人だけで景色を独占していたのに周囲には幸せそうなカップルが溢れているって事。
コツン……と冷たいガラス窓に額をつけると、心の中を映し出すかのように景色が曇り始めた。
 そっと拭うと水滴がしずくになって床まで伝い落ちていく。
 それはキレイに磨かれている証拠。
 一哉くんが関わっている施設だもん、当たり前のことだけど常に細心の手入れがされてるんだろう。


“赤坂アークタワー……複合型娯楽施設”


 誇らしげに説明してくれた声さえはっきりと覚えてる。
 一番のお客としてオープン前に連れてきてくれたことが、とても嬉しかった自分の気持ちも色あせずにいる。
 だからふと思いついてここに足を向けたんだけど。
「やっぱり、来なきゃよかったかな」
 でも、いつ帰ってくるかわからない人を待ちながら、たった一人で家にいるなんて出来なかった。
 去年のクリスマスはとんでもない事件に巻き込まれて、それどころじゃない筈だったけど一哉くんがいた。


 いっぱい料理をつくって、二人で食べて、そして告白された。


 その前の年は失踪してたお姉ちゃんの事で頭がいっぱいでクリスマス気分じゃなかった。
 さらにその前までのクリスマスは、お母さんが何日も前から準備してて、当日はお姉ちゃんとケーキを焼いて、お父さんがプレゼントを持って帰ってくるのをワクワクしながら待ってて、で。


「…………っ」
 景色が滲みはじめる。
 泣いたって仕方ないってわかってるのに、孤独に押しつぶされそう。
 あたしって普通のクリスマスを過ごせないの?
 唇をかみ締めて嗚咽をこらえる事はできても、閉じた目から伝う雫を止めることは出来なかった。
 ガラス窓とは違って、今のあたしはキレイじゃない。
 拭えば晴れる窓とは正反対にどんどん曇っていく。


 ちょうど一年前のイブ、一哉くんは“俺だけをみてろ”って言った。
 その言葉は甘い呪文みたいで、それ以来あたしの目には一哉くんしか入らなくなった。
 それから本当にいろんなことがあった。
 でも気持ちが揺らいだことなんて一度もない。
 一哉くんの気持ちを疑ったことも。
 一年間ずっと一緒にいて、どれだけの責任を背負っているか少しずつ理解してきた。
 仕事を優先させるのはそうしなきゃいけない理由があるからで、ないがしろにされてる訳じゃないってわかってる。


 でも……鳴らない携帯電話が岩の塊みたいに重く感じる。


 やっぱり一緒にいたかった。
 内緒で用意していたドレスで驚く顔が見たかったし、何週間も前に予約したレストランで食事をして、二人一緒に家へ帰りたかった。
 帰ったら日が変わった瞬間にプレゼントを渡して、それから……。
「あーあ、まだまだだなぁ」
 まだまだ未練たっぷりだ。
 ごしごしと目元を拭いながら呟くと、隣にいたカップルがヒソヒソと顔を合わせながら離れていった。
 そりゃ、そうだよね。
 イブの夜にこんなにキレイな景色を見ながら、たった一人で泣きながらブツブツ言ってれば。
 どう思われてるのか簡単に想像がつく。
 違いますよーって説明したい。
 あたしの彼氏は凄く忙しい人で、それでも精一杯ふたりでいる時間を作ってるんだけど、今日はたまたまどうしても彼じゃなきゃ解決できない仕事が入っちゃって……。
 帰ってくる頃には疲れてるはずなのに、それを少しも顔に出さないであたしを気遣う筈。
 セリフに“馬鹿”って入ることがあっても、それは一哉くんなりの愛情表現で……。


 もしかしたらに期待しても、今さらどうしようもないよね。
 明日もお休みなんだし、一哉くんが帰ってきたら一緒に新しい予定を考えよう。
 電話一本であっさり消えちゃった今日の予定を思い出さないよう、ポケットから携帯電話を取り出すと静かに電源をきった。





 展望台を後にして、クリスマスに包まれた館内をぶらぶら見ていった。
 自分の付き合ってる人がどんな事に関わっているのか、少しでも解りたいって気持ち半分と、家に戻って一人でいる時間を短くするための暇つぶし半分。
 グループで盛り上がってる人達、圧倒的に多いカップルの脇をすり抜けて、一箇所づつ覗いていく。
 一年前に来たときには想像もつかない程の賑わいで、ビル全体が日常から切り離された空間みたい。
 複合型娯楽施設というだけあって本当に何でもあるんだ。
 今度、夏実や遊洛院さんと遊びに来ようかな?
 遊洛院さんはぶーぶー文句いいながら一番張り切るんだろうな。
 それを夏実が呆れた顔して煽ってさ。
 まわりで聞いてたら口喧嘩としか思えない会話しながら、いっぱい遊んで買い物して……うん、すごく楽しそう。
 さっそく電話して……って、今日は二人とも予定あるって言ってたから邪魔しちゃ悪いか。
 それにいま電話したら、どうして一人なのか説明しなくちゃいけない。
 別に急ぐわけじゃないしね。
「他のとこ見てみよ」
 ちょうどフロアの端までたどり着いた足を振り向きかけた瞬間、閉館を告げるアナウンスと音楽が流れてきた。
 周囲を見わたすと、あれだけ混んでいたフロアは人影もまばらで、残っている人達も足早にエレベーターへ向かっている。
 道が混んでたからここに着いたのも遅かったし、もっと見てまわりたかったけど仕方ないかぁ。
 しばらく待って、どうにか空いたエレベーターに乗り込むと、イルミネーションの魔法が消えかかっている地上へと降りていく。
 かすかに体が浮く感覚のほかは、動いている事すら感じさせない箱の中から見る景色は、少しづつ灯りが減っていた。
 それだけの間ここにいたんだ。
 タクシーすぐに拾えるといいけど。
 冷たい風が吹くビルの外へ出ると、ふいに忘れていた空腹が襲ってきて、思わずコートの上からお腹を押さえた。
 そんな事をしても、急ぎ足で通り過ぎてく人達が気にするとは思わないけど。
 辺りを見渡して道の向こうにコンビニを見つけ、ホッと溜息をついて明るい店内に吸い寄せられるようにドアをくぐった。
 空調とおでんから溢れる湯気で、程よくあたたかい店内をぐるっとまわる。
 いろんな種類の食べ物が溢れているのに、これといって食べたい物が見つけられず、あったかいココアだけを買うと両手で挟みながら外に出た。
 店の前でちびちびココアを飲みながらタクシーを捜しても、お客さんを乗せた車ばかり通り過ぎてく。
 飲み終わって冷え切った缶を捨て、道の反対でそびえたつタワーを見上げると、灯りが落とされたビルを赤く点滅するシグナルがこっちを見下ろしていた。
 展望台はあの辺り……かな?
「すず」
 また一哉くんと一緒に来れたらいいな。
「おい、すず」


 ……あれ?


 気のせいだと思った。
 一緒にいたいって考えてたから、呼ばれたような気がしただけで。
「何度も呼ばせるな」
 振り向いて、やっぱり空耳だった……なんて、ね。


 恐る恐る向けた顔の先には、この数時間ずっと会いたくて会いたくて堪らなかった人が立っていた。


「なん、で」
「なんでじゃないだろ、この馬鹿。帰宅すれば姿がないし、携帯もつながらないし」
 携帯……?
「あ、ごめん電源きってた」
 つかつかと近づいてきたと思ったら、おでこを弾かれる。
「……った」
「何のために持たせてると思ってるんだ。とっくに帰っている筈のおまえがいないとわかったら、俺が心配すると想像も出来なかったのか」
「それは……ゴメン。遅くなると思ってたから、少し寄り道しても大丈夫かな、って」
「少し?」
 手首を傾けて時間を確認すると、あがった眉が“どこが少しなんだ”と言っている。
「だから、ゴメン。あそこで時間つぶしてたら、そんなに経っているとは思わなくて」
「…………」
 ふと二人同じビルを見上げる。
 もうほとんどの灯りが落とされて、闇の中にさらに影を落としているビル。
 付き合ってからはじめて二人だけで来た場所。
「あれ? そういえば何で一哉くんはここにいるの……仕事は?」
「あぁ、終わらせた。何本か電話を掛けるだけで済んだんだが、相手がなかなか捕まらなくて遅くなった」
 だってクリスマスイブだもん。
 相手の人だって家族とか恋人と過ごしてたんだよ。
 ……でも。
「ん、そっか。……お疲れ様」
「おまえ」
「ん?」
「まあいい、ついて来い」
「え? な……ちょっと急に引っ張らないでよ」
「放したら、どこに飛んでくかわからないからな」
 つないだ手が温かさで包まれて、じわじわと実感が湧いてくる。
 予定は狂っちゃったけど、あと数時間でイブは終わっちゃうけど、一哉くんが隣にいる。
 ねぇ、あたしと連絡がとれないのに、それでもここに来てくれたのは……同じ理由だって思ってもいいのかな。
 一哉くんにとってもここが大事な場所なんだって、そう自惚れてもいい?
 急かすように歩き続ける顔を見上げると、返事のようにふっと微笑が返ってきた。





「もう閉館してるよ?」
「裏はまだ開いてるから問題ない……こっちだ」
 さっき自分が出てきたドアを通り過ぎて、小さな鉄の扉を潜り抜ける。
 どこに進むか迷う様子のない足取りについていくと、仕事帰りらしい人達が怪訝そうな顔ですれ違っていく。
「ねぇ一哉くん、通報とかされない?」
「馬ー鹿、責任者には連絡してある。それに御堂グループが所有するビルに御堂一哉がいて何がおかしい」
「そうだけど、でもっ」
「これに乗る。いいから黙ってついて来いよ」
 何が起こるか想像もつかないあたしの背がそっと押されて、飾り気のないエレベーターに連れ込まれる。
 ガコンと大きな音がして急上昇する勢いで高い場所へ向かっているのはわかったけれど、窓のない箱の中からは一哉くんがどこへ行こうとしているのか、相変わらず謎のままだった。
 問いかけるつもりで見上げても、ずっとつないだままの手を更に握られて言葉を封じられる。
 何も考えがないままこんな事する人じゃないから、ただついていけばいいんだろうけど。
 体に感じる重力と比例して、だんだんワクワクしてくる。
 華やかな音楽も、きらびやかなイルミネーションもないエレベーターの中で、壁に並んで寄りかかりながら謎の目的地へ黙ってついていった。





 鋼鉄製の階段に二つの足音だけが響いてる。
 非常灯のわずかな光の中、館内の賑わいを吸い込んで貯めていたかのように暖かい空間を、つないだ手に導かれて進んでいく。
 ようやく足が止まって、手がそっと肩に回された。
「足元に気をつけろよ」
「うん」
 ぎぃっと鈍い音をたてて開いていくドアの向こうから、ちかちかと煌く景色が眼に飛び込んできた。
「うわぁ……キレイ」
 それ以上どうやって表現すればいいのかわからない景色。
「ね、ここどこ?」
「このビルの配電盤などがある制御室だ。展望台からさらに上になるな」
「じゃあ一番高い場所」
「あぁ……それに関係者以外は入れない場所だぜ?」
 さほど広くない部屋。
 いろんなスイッチが並ぶ壁。
 クリスマスの雰囲気とは遠いかもしれないけど、一面ガラス張りの窓から見える光景はそれを補って余りあるほどだった。
 覗き込むと吸い込まれそうな暗闇に浮かぶ、いくつもの光に心を奪われて感嘆の溜息しか出ない。
 ふわっと後ろから抱きしめられて、一哉くんのコロンと静かな息遣いしかない空間の中で、静かに二人だけのイブを過ごせるなんて……。
 この下にある展望台で、一人過ごしていた時間とは正反対で、まるで夢の中みたい。
「すず」
 どれだけの時間をそうしていたのか、感覚が麻痺しはじめた頃、耳のすぐ傍でそっと名前を呼ばれた。
「なに」
「おまえ、不満を飲み込むな」
「え?」
「今日みたいに仕事を優先しなくちゃいけないときもある、これからもな。だからといって諦め顔で笑われても嬉しくないんだよ」
「…………そんなこ」
「馬鹿なんだから物わかりのいい振りするな」
「う……馬鹿で悪かったわね」
「溜め込まないで、どうして欲しいか言えよ」
 腰にまわされた腕に少しだけ力が入った。
 その手に自分の手を重ねると、大事なものにふれるようにそっと耳もとにキスを落とされる。
「……一哉くん」
「うん?」
「一哉くんがどれだけ大きな責任を背負ってるか、完璧にとはいかないけどわかってるよ」
「あぁ」
「……でも、やっぱり今日はずっと一緒にいたかった」
 続きを促すように体を包まれる。
「一緒に住んでるのに変だけど、今日は……イブだから」
 あたしにとっては凄く大事な日。
「そういうイベントに拘るのおかしいって思う?」
「思ってたら、真っ先にここに探しに来る訳ないだろう」
「ふふっ、うん……嬉しかったよ」
 やっぱり一哉くんもここが大事な場所だって思っててくれたんだ。
 それだけで十分だよ。
 こんなに素敵なクリスマスプレゼントも貰ったし。
「あっ」
「何だよ、急に大きな声だして」
「一哉くんにプレゼント用意してたのに……持ってくれば良かった」
「そんな事か」
「そんなって」
 まだ言葉の途中の顎を静かに持ち上げられる。
「おまえの存在が、何よりの贈り物だ」
「あ……」
「愛してるぜ」
 言葉よりもいっぱい気持ちを詰め込まれたキス。
 ……幸せで目が眩みそう。
 あたしもだよ、一哉くんが凄く大事で……誰よりも愛してる。
 見つめ合って静かに微笑みあう。
 去年よりも、もっともっとこの場所が大事になったね。
「そろそろ行くか」
「うんっ、一哉くんも晩御飯まだでしょ? 帰ったら急いで作るから」
「イブくらい外で、と言い出したのはおまえだろ」
「え……だって、もうレストラン閉まってるよ」
 また謎めいた笑顔で手を引かれる。


 まだ何かあるの?





 昇ってきたときには気がつかなかったドアが開けられる。
「ここ……って展望台?」
「いまは臨時のレストランだがな」
「どういうこ……あっ」
 真っ暗でだれもいない展望台の片隅が、キャンドルの灯りで浮かび上がっていた。
 いつのまにか用意されたテーブルに置かれたグラスに、揺れる灯りが反射してそこだけ幻想的な雰囲気が漂っている。
「まさか」
「ほら、ぼけっとしてるなよ」
「あ、うん」
 魔法みたいに現れたテーブルに自然と足がひきつけられる。
 呆然としているあたしを見て一哉くんが笑ってる……のはわかってる。
 あんまりにも驚いて固まっている体から、ゆっくりコートを剥がされた。
「来いよ」
 音もなく引かれた椅子の向こうで手を伸ばされる。
 ……そういえば、この人は電話一本で有名料亭のおせちすら用意できる人だった。
 二人だけの為に料理を運ばせることも、出来るんだろうけ、ど。
 操り人形みたいに椅子に座らされても、これが現実だとまだ実感が湧かない。
 キラキラと輝くグラスを持ち上げたのを目にして、ようやく固まっていた顔が緩んでく。
「メリークリスマス」
「メリークリスマス……ありがとう、一哉くん」
 予定より何時間も遅れて、深夜の、二人だけのディナーがはじまった。

あとがき

一哉の話なのに、後半しか出番ないわ
仕事でデートすっぽかして、むぎを泣かせるわ
で、馬鹿連呼されそうな話

そういう話の流れが浮かんでしまったので
クリスマスだってのに甘くありません

ラストは
展望台にフルコースをデリバリーなんてあり得ない設定ですが
御堂一哉様なら出来そうだなー・・・と
本人には悟らせないけど、むぎの為なら何だってする人だと思ってます
メリークリスマス!一哉×むぎ