ワーカホリックたちのクリスマス


「明日のご予定に変更はございません。こちらが過去の経営実態や今年度の株価推移など、明日の会議に必要と思われる資料をまとめたものです。そしてこちらは来週のご予定になります。一度、目を通しておいてください」
「あぁ」
 毎日繰り返される恒常化したやり取りなのに、渡した書類の束を一瞥したとたん、直属の上司にして雇用主、日本どころか世界を代表する青年実業家が押し殺したため息をついた。
 それが珍しく感情露わで、一礼して席に戻ろうとしていた体が驚きで固まる。
 処理能力を買われて雇われている私が書類にミスはないと自負しているけれど、重苦しい空気が漂いだしていることは明白な事実。
「……くそっ」
 なにか不備でもあったかと反芻していると、小さいけれど確かに罵りの言葉が聞こえてきた。
 個人的な感情を表に出さないことで一目おかれている社長が?
 年齢では括れない、卓越した経営手腕とカリスマ性で御堂グループの未来を担う社長が?


 いま、舌打ち、した?


 はじめて目にする態度に呆然としていると、下がらない私に気がついて少し困ったような……あえて言うなら自分より年下の男性らしい顔がふっと過ぎった。
「いつも的確にまとめてくれて助かる。今のは鎌塚に対してではないから、気にするな」
「……はい、ありがとうございます」
 なら、なにがそんなに気に入らないのだろう。
 それなりに長いこと彼の下で秘書をしているけれど、こんなに苛立った様子ははじめてだ。
 短い否定と労いの言葉でも払拭できない疑問が渦を巻く。
 出過ぎた真似をして不興を買うようなことはしたくないけれど、なにか問題があれば事前に出来る限り取り除くのが私の責務。
 恐れ入りますが──そう口を開こうとした瞬間、天を仰ぐよう椅子に背をつけた社長が独り言めいた雰囲気で話し出した。
「例年なら、感謝祭からクリスマスにかけては欧米相手も楽だった。まあ、俺が学生だったこともあるのだろうが」
「そうですね……今年は、あちこち騒がしいですから」
 サブプライム問題で露見した世界の経済危機は、年の瀬が押し迫った今も広がりを見せ収束の兆しすらない。
 御堂グループも事前予測をたて対処はしていたけれど、連日、社長のスケジュールは分刻みで変化している。
 ラクと口にしたのは、欧州圏では感謝祭から新年まで仕事より家族友人を優先するから、去年までは面会や会議の予定が少なく済んでいたことに対してだろう。
 確かに今週も来週も、去年とは違ってこの数ヶ月と似たようなスケジュールが詰まっていた。
 特に昨日からアメリカ入りしているからか、この機会を逃さずミドーとコンタクトを取りたいという各方面は引きも切らない。
 予定の管理ばかりが秘書としてすべきことではないことくらい基本中の基本、出来るだけ負担の少なくなるよう体調も視野に入れて、それほど過密にはしていないはずだけど過分だったかしら。
「重要なお相手のみお時間を取りましたが、いささか過剰でしたら申し訳ありません」
「いや、妥当だろう。むしろこれだけ調節できるのは鎌塚ぐらいなものだ。助かる」
「おそれいります。しかし判を押したように、世界規模の経済危機に対する社長のお考えを伺いたいと申し込んできたマスコミは全てお断りしましたので、それほどでは」
「未曾有の経済危機、か。こんなことで頭を悩ませられるとはな」
「ですが、我がグループは社長のお力あれば安泰で」
「頭が痛いのはそっちじゃない」
「……では」
 なにが、と再び疑問が過ぎったと同時に、あっ……と声が漏れそうになった。
 当然といえば当然過ぎて、けれど、御堂一哉という立場には似つかわしくないから、その可能性をはじめから排除していたのだ。
 自分だって今年は仕事以外なにがあるのだと、疑問にすら思わなかった。
「まさか二日とも埋まるとは想像していなかったな……仕事に不満をぶつけるやつじゃないが……」
 再び予定表に目を通しながら呟く社長の横顔は、あえてもなにも、どこから見ても年相応の恋する男性、そのものだった。
 来週のうちの一日ではなく、十二月二十四日から二十五日にかけて、そう──恋人同士の大事なクリスマスを彼女とどう過ごすか楽しみにしていた男の。
 事前に分かっていたとしても、おそらく社長は自ら口にはしなかっただろう。
 誰よりも責任と義務を理解しているからこそ、この情勢の中、彼女と過ごすために休暇を取りたいなんて。
 けれど、きっと心のどこかで期待していたのだ。
 愛しい彼女と共に過ごせるかもしれない、と。
 数えられるほどしか顔を合わせたことのない彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
 ほんのわずかしか付き合いがなくとも、はじめて会ったときの強烈な印象は色あせずに残っていて、くるくると変わる表情が頭の中で踊りだす。
 彼女なら、喜怒哀楽を素直に表に出しそうだもの。
「特にご指示がなかったので……申し訳ありません。鈴原さまには私からご説明と謝罪を……」
「いや。あいつはそれで納得するやつじゃない。むしろ、何で自分で説明しないと説教されるだろうな」
 御堂一哉に説教などという稀有な事例をあたりまえのように口にして、社長はくつくつと楽しそうに笑みを浮かべはじめる。
 まるで目の前に彼女がいるかのように微笑んで、普段の厳しさを脱ぎ捨てた社長に目を瞠りつつも、心の奥では瞬時に納得できた。
 彼女なら、社長にこんな顔をさせられるだろう。
 どんな肩書きもない、ただ一人の男の顔を。
「……少しお時間を頂いてよろしいですか?」
「うん? あぁ、もうこんな時間か」
 秘書にとって就業時間といえばボス次第なのを分かっていて、それでも部下を気遣う社長に深く頭を垂れてから、目まぐるしく動き出したプランにこっそりと笑みを浮かべた。
 いくつかの電話をかけるだけで、取り急ぎ必要な段取りは終わった。
 あとは、私の腕の見せ所。
 どうするかなんて後で考えればいいし、どうとでもできる自信はある。
 軽いノックに書類から顔をあげた社長に、秘書らしい表情でもっともらしく頷く。
「どうした? もう帰宅しているとばかり……」
「来週の予定に変更があったことを失念しておりまして」
 らしくもないと言いたげにいぶかしげる目の前に、チケット番号を書いたメモを差し出す。
「来週二十四日から翌二十五日にかけてですが、予定は全てキャンセルもしくは移動になりました」
「ほう?」
 それだけで理解したのだろう、口元に不敵な笑みを浮かべて次を催促される。
「二十三日の便しか取れませんでしたので、日本到着は明けて二十四日未明になりますが」
 くっと喉を詰まらせたような笑い声が、さざ波になって社長室を満たしていく。
「臨時ボーナスを期待していいぜ」
 やがてそう告げた顔は、もう社長の……いつもの顔になっていた。


◆◆


 調子外れのジングルベルをハミングしながら、最後の袋を手に取った。
「……っと、危ない危ない」
 開いた口からずるずると零れるモールを追いかけてたぐり寄せると、衝撃で散ってしまったのか小さな短冊になった光がキラキラと舞い上がる。
 あとで掃除機をかければいいか……まず、飾りつけを終わらせちゃおう。
 モールを肩から腕にかけ一歩下がると、美術教師時代を思い出しながら、全体の印象を見極めようと目を細めた。
 天使や色とりどりの球、中身には夢が詰まっていそうなミニサイズのプレゼントボックス、思いつく限りのオーナメントで飾ったツリーを前に指でフレームを作る。
 ドアを開けて真っ先に目にする角度を頭に入れ、一番見栄えのする位置を決めて巻きはじめた。
 銀色に輝くふさふさしたモールは、一哉くんが着ていたディアデームの制服の一部みたいだ。
 もう一本、色違いの金色モールを巻きつけると、ツリーの中に夏と冬の制服ができあがった。
「懐かしいなぁ」
 もう着ているとこは見れないけど、あたしの中で一哉くんと言えばあの、……ちょっとド派手な制服の印象が強いんだもん。
 本人はあの制服を内心イヤがってたから、そんなことを考えたなんて口にはできないけど。
 思い出してくすっと笑う。
 ドアの前まで後ずさると、出来栄えを確認して誰に見られているわけでもないのにうんっと頷く。
 なかなかのツリーじゃない。
「ふふっ、ビックリするかな」
 最後の飾り付けを残したツリーの前で、帰ってきた一哉くんの反応を想像して頬を緩ませる。
 出張へ送り出してから用意したし、離れている間の電話やメールでは報告していないから、きっと見たら驚いてくれるはず。
 一哉くんが慌しく海外出張に向かったのは、もう何日も前のことだった。
 忙しい合間を縫って連絡をくれるけれど、出発前に告げられていた通りいつ帰国できるのかは予測できないと繰り返されるばかりで、余計な本音を暴露してしまわないよう全力で一部屋一部屋大掃除にかかり、ついにどこも磨きあげる箇所がなくなった昨日、ふいに思いついて買い物に走った。
 クリスマスも間近だからかほとんど割引になっている中、この不況で売れ行きがよろしくないのか何度も値札が書き換えられた特大のツリーを見た瞬間、レジでお金を叩きつけるように払って配達のお願いまでしていた。
 一向に回復する兆しがみえない景気に一哉くんを独占されて、知らず知らずに不満がたまっていたのかもしれない。
 もっと小さいサイズでもよかったかもなんて後悔はしなかった。
 不況で売れ残りのツリーだけでも救えてよかったじゃない。
 内緒で驚かせようなんて子供っぽいと自覚はしていても、ツリーとその飾りつけを楽しむ時間がないクリスマスなんてクリスマスじゃないと、切々と訴える心に素直に従うことにした。
 素直じゃない本音は無視して。
 ほんとは……。
「一緒に飾りつけができれば、もっと楽しいんだろうな」
 そんな時間は少なくとも今年は無理だって分かっているのに、思い出してしまった本音がぽつりと漏れた。
 だから本当の最後はとっておいてる。
 テーブルの上で居心地悪そうに転がっている星を横目に、放置したままの飾りのパッケージを拾い集めようと屈んだら、パラパラと何かが降り落ちた。
 静電気で服にくっついてしまっていたのか、モールから外れた短冊が床で星空をつくっている。
 その間もキラキラチカチカと降る光の分身は留まる気配が無い。
 見れば手にも髪にもたくさんくっついていた。
 セールワゴンの隅に残っていたモールじゃなくて、高くてもしっかりしたのを買えばよかったかな。
 お金は使うべきときに使うものだっていう、いつぞやの一哉くんの言葉が蘇って、まさにその通りだといまさらながら実感する。
 庶民感覚で節約してなにが悪いのよって言い返していたあたしを、自分自身で笑ってやりたい。
「このまま歩いたら家中に……。冗談でしょ!? せっかくキレイにしたのに!」
 掃除機を持ってくるまでにどれほどの被害がでてしまうのか、それともどうせ一人なのだからいっそ服を脱いでしまおうか……、冷えた廊下を想像しただけで体がぶるっと震える。
 けど、覚悟を決めてえいっと裾に手をかけた途端、低い振動がポケットから伝わってきた。
「一哉くん?」
 ディスプレイを確認して慌てて出ると、意外なほど明瞭な声が耳をくすぐった。
 最近の機種って相手が海外でも普通に繋がるし、性能いいよね。
「起きてたか。ちょうどいい」
「うん、ちょっとね、してた事があって。夢中になってたら時間を忘れちゃって」
 言ってから時計をみれば、もう日が変わって二十四日に……クリスマスイブになっている。
「でもどうしたの? あっ、もしかして!」
 帰国の目処がたったのかな、だと嬉しい。
 クリスマスは一緒に過ごせなくても、会える希望があれば元気が出るもの。
「おまえ宛のクリスマスプレゼントがそこに届くから、連絡しておこうと思った。もうすぐ着くから受け取りに出てくれ」
「……ほんと? 嬉しいな。……あ、ちょっと待って今チャイムが」
「あぁ、それだな。一旦切るぜ」
 なんだ、とガッカリした声が出ないようにするので精一杯で、こんな時間に配達なんておかしいという違和感を感じる余裕はなかった。
 もう音の聴こえない携帯電話の替わりにハンコを掴んで、玄関に走る。
 確認してから……と思ったのと同時に急かされるよう再びチャイムが鳴って、深く考えずに条件反射でドアを開けた。
「無用心だな。いつも確認をしろと言ってあるだろ」
「うん、ゴメン……って、えぇっ!?」
 力の抜けた手の平からハンコがすり抜けていくのを感じても、あまりの驚きに動けなかった。
「な、なんで一哉くんがいるの? まだアメリカじゃ……それに今プレゼント届くからって、えっっと? プレゼント……配達の人は?」
 思いがけない存在に、頭に浮かんだ言葉が順番に口からあふれ出す。
「御堂一哉を二日間独占する権利、それがプレゼントだが不満か?」
 二日間……二十四日と二十五日、イブとクリスマス、無理だ仕方ないと自分に言い聞かせていた一哉くんと過ごせるクリスマス。
「ないっ!」
 靴を履くのももどかしく靴下で飛びついたあたしを、笑いながら抱きしめてくれる腕に、胸に、その全てに不満なんかない。
 ちゃんと顔を見たくて上向いた顔へ、優しいキスが降ってくる。
 子供をあやすように額にキスをされ、なだめるように目尻に唇を寄せられ、存在を確かめるように頬をくすぐられて……。
 感情を抑えきれないというかのように、唇を奪われる。
「ん……っ」
 跳ねた吐息に回された腕の力が強くなった。
 角度を変える合間に啄ばむよう吸われて、自然と開いた隙間から差し込まれた舌に会えない間の寂しさを溶かされる。
 鼻の頭に軽いキスをされて、ぼんやりとした視界の中で一哉くんが微笑んでいると思った頃には、肩で息をしていた。
「驚いたか?」
「驚いた、なんて、もの……じゃ」
「だろうな。そういう反応が見たくて、あえて黙って帰国した甲斐があったぜ」
「な、に……それ、悪趣味! あたしが驚くのを見て楽しむなんて」
「違う」
 短く鋭く否定されると同時に、再び唇を塞がれる。
 どういう意味なのか問いたい気持ちも言葉も。
「俺に会えて、喜んでくれるおまえを見たかっただけだ。クリスマスプレゼントにそれくらいねだってもいいだろう?」
 日本で一二を争うお金持ちなのに、そんなささやかなプレゼントでいいなんて言われたら、こくんと勝手に顎が上下して納得するしかない。
 一哉くんもあたしに会えなくて寂しいと、そう思ってくれてた……、目には見えないプレゼントと会えるわけないと諦めていた一哉くん本人。
 素敵な配達人にハンコ代わりのキスを返して、ひたひたと押し寄せる実感がもたらす夢心地に浸る。
 夢……あっ!
「あのね、お願いがあるんだけど、一緒にして欲しいことがあるの」
「うん?」
 不思議そうに首を傾げながらも、優しい笑みを絶やさない一哉くんの腕を取って早くと急かした。
 最後にとっておいたトップスターを二人で飾ろう。
 希望に導いてくれた奇跡の星を、二人で過ごせるクリスマスのはじまりにしよう。
「どうしたんだよ、そんなに引っ張るな……おい、こら」
「えへへ、早く早く」
 玄関に走り出た靴下のまま、早く見て欲しくて腕を引っ張り続けると、顔を見つめながらリビングに通じるドアノブに手をかけた。
「いいって言うまで目を閉じてて」
「なにがはじまるのか、楽しませてもらおうか」
 あたしばかり驚かされるのも悔しいから、せめてほんのちょっとでもと考えたとたんに、消えたはずの疑問が蘇った。
「そういえば……、仕事は大丈夫なの? まさかあたしを驚かせるために無理してきたんじゃないよね」
 いくら一哉くんが超人的な処理能力を持っていたとしても、アメリカからもらった電話の口ぶりだと年が明けるまでに帰国できるかどうかすら怪しかったのに。
 一哉くんだけじゃない、一緒にいる秘書の鎌塚さんにまで無理させたんじゃ……。
「目を閉じろと言ったり、かと思えば質問したり忙しいやつだな。仕事ならまったく問題ないぜ」
 ほっとするなり、一哉くんの髪にも肩にも金銀のモールの切れ端が移ってしまっているのに気がつく。
「優秀な秘書がいるからな」
 だなんて返事をして不敵な笑みを浮かべる一哉くんは、リビングから漏れる光を受けてキラキラと輝いていた。

あとがき

まさかの秘書目線でメリクリ。
なんだか脇役ーズが好き好き期間みたいです。
むしろ鎌塚さん主役の話を書きたい。

昨今の経済危機(2008年クリスマス現在)で
御堂さまもお忙しいのでは?恋人とクリスマスどころじゃないんじゃ?
でもそしたら話がはじまらないじゃないの!書けないじゃないの!
どうしてくれんだ不況のバカヤローーー
という猫百匹の疑問と義憤に満ち満ちたきっかけでございました。