夜と朝の間に


 枕もとの時計を確認して、なぜ目が覚めてしまったのかと呻きたくなった。
 起きるにはまだ早い、どころの時間じゃない。
 夜中と早朝の境目を指している時計を見たら、逆に頭が冴えてしまって、またベッドの中に戻ろうという気分になれなくなってしまった。
 どうせだから眠気覚ましのコーヒーでも飲んで、読みかけの雑誌でもめくろうか。
 いつか見ようと録画したまま放っておいたテレビ番組でもいい。
 とにかく時間がつぶせて、うるさくない方法をあれこれ思いながら、まずは服を着なくちゃと辺りを探す。
 寝る前の出来事をありありと表現するよう、脱ぎ散らかされた二人分のパジャマが目に飛び込んで、カッと頬が熱くなった。
 音をできるだけたてないようベッドの端に腰掛け、手近にあった上着を拾い上げて悩んだのもつかの間で、そっと袖を通してボタンを留めはじめる。
 ボタンに爪が当たったカツリという音が、やけに大きく部屋に響いて、驚きに指が震えてボタンを離してしまった。


 ……この音で一哉くんまで起してしまったら。


 しばらく息を殺して気配を伺っても起きる素振りはなく、安心して再びボタンに手を掛けた。
 一番下のボタンを留めようと俯けば、ふわりと彼の匂いが鼻先を掠める。
 パジャマに移ったものなのか、自分がまとっていたものなのか、考えているうちに益々頬が熱くなっていく。
 疲れ果ててウトウトしかけたあたしに、笑い混じりで風邪をひくと言った一哉くんへ無言のまま視線を返したら、自分だって、それすら億劫だと呟いて布団に潜り込んで、さ。
 互いにかろうじて下着だけ身につけて、眠りに落ちていった軌跡を思い出して、甘い余韻に胸がうずく。
 恋人のパジャマを着るなんて、これ以上ない親密さが照れくさい。
 朝、一哉くんが起きる前に服を着ないと恥ずかしいな……なんて考えながら寝付いたせいで、こんな中途半端な時間に目が覚めてしまったのかもしれない。


 薄暗がりの中でちらと視線を向ければ、穏やかな寝息をたてている横顔が、半分枕に埋められていた。


 単純に、不思議だと思う。
 こうしてみると、あたしとあまり年の差がないと実感できるのに。
 ひとたび目を覚ませば、視線の先には御堂という名を通した世界と未来があって、どちらも背負うには大きすぎるモノなのに一哉くんが冷静さを失うことはない。
 生まれ持っての性格が、生まれついた役割にマッチしてるんだろう。
 無理難題としか思えない内容の書類だって、一瞥しただけで的確に処理してしまう。
 どんな立場の相手にも、臆することなく対峙できる。
 私情を挟まないその視線を、冷たいと感じる人もいるかもしれない。
 その目が変化するのは、夜になってから。
 社長という肩書きも、御堂という名も、すべてを取り払った一人の男の人になってから、いろんな色を浮かべてあたしを見つめてくれる。
 その瞬間が好きだった。
 あたしが気後れする世界から、あたしの世界に寄り添ってきてくれるみたいで、ただただ嬉しくなる。
 だから、単純に、嫉妬してしまう。
 冷静さをかなぐり捨てて、全身で愛していると言ってくれるこの人の目を、今まで何人の女の人が見たんだろう。
 あたしと出会う前のことを一哉くんが説明する義務なんてないのに、知ったら知ったで余計に嫉妬してしまうと分かるのに、好きになればなるほど苦しい。
 一哉くんの家で、あのメンバーで住みはじめた初めは、女性関係をいくら見ても聞いても平気だった。
 それが今は、あのアナウンサー……あの女優……とスライドショーみたいに頭を過ぎる。
 そのほとんどが、何度か目にしたことのある有名人だから、なおさら性質が悪い。
 なんとなくの感覚と実際の人という質感では、圧倒的にリアルさが違う。
 過去にあれこれ言っても仕方がないと理屈では納得できても、知ってしまった独占欲はちりちりと胸を焦がして、あたしに現実を思い知らせるんだから。
 一哉くんを好きだと気がついた直後は、ただどうしようもなく幸せなだけだったのにな。
 過去を変えられないのは誰より自分が一番よく分かってたから、なんてことないと自分に言い聞かせてたのに、いつからこんなに嫉妬深くなってしまったんだろう。
 愛される喜びを知ったからこそ、どうしようもできない過去が気になって不安が押し寄せるなんて、誰に言っても贅沢な悩みだと一笑されて終わりだろう。
 特に、相手が御堂一哉じゃ。
 あたしと立場を交換して欲しいと願う女の人は、冗談抜きに列ができるくらいいる筈。
 だからこそ一哉くんには、そんな気持ちを悟られたくない。


 眠っている間だけなら、独占欲をちょっと解放してもいい、よね?


 あの色をもう一度見たいと期待したわけではなく、額に落ちている前髪をなんとなく邪魔だと思って、触れるか触れないか瀬戸際の仕草で払った。
 こうして髪に触れられるのは、今はあたしだけだもん。
 少し、幼くみえる……かな?
 寝付いた頃から簡単に逆算して……、ほんの数時間前には、冷静さの欠片もない情熱を浮かべていた瞳も瞼の下に隠されている。
 まつげ長いなぁ。
 悔しいくらい整っている顔立ちだよね。
 髪、ちょっと伸びたかも。
 触ると意外なほど柔らかいんだ。
 はらはらと落ちてくる髪を何度もかき上げることに夢中になってしまう。
 それが睡眠の邪魔だと忘れるくらいに。


「……ん」


 小さい身じろぎの後、瞼が震えた。
 そのまま、再び眠りに落ちてくれればと祈りながら、静かに手を離したけれど遅かった。
「なんだ?」
 寝起きでもハッキリと通る短い声が、あたしに説明を促す。
「ごめん、起すつもりはなかったんだけど」
「なにか、あったのか?」
 無理やり起された状態で、とっさに浮かぶのは何らかの緊急事態ってことが染み付いている質問に、ゆっくり首を振ってから、瞳が閉じられたままだと気がついて小声で否定した。
「違うよ」
「でも頭を撫でられていた、ような」
「それは……なんでもないの。起してごめん」
「いや。気持ちよかった。いいもんだな」
「えっ!?」
 驚きでおもわず大きくなってしまった声を飲み込もうとしても、また遅い。
 二、三度瞬きをして意識がはっきりしたのか、まっすぐ見上げてきた目はかすかに笑いをたたえていた。
「そんなに驚くことかよ」
「だって、まるで初めてみたいなセリフだったから」
「あぁ、はじめてだぜ?」
「えぇっ!?」
 さっきより大きい驚きに、一哉くんはとうとうくつくつと笑い出した。
「記憶にある限りじゃ初めてだな」
 恐ろしいほどの記憶力を持つ一哉くんが初めてだというのだから、本当に未知の経験だったのだろう。
 でも……なんで?
 普通、子供の頃に誰でも、お母さんに頭を撫でてもらいながら眠った経験あるだろうし……。
 そこまで考えて、この人に普通は当てはまらないと思い直す。
 早くから家族と離れて、帝王学のため留学していたくらいだもの、あたしの思う普通の子供時代がないのも当然か。
 でも、子供時代はなくたって……。
「でも、その……ほら、眠っている間に、とか」
 それこそ、さっきのあたしみたいに、夜中に目を覚ました恋人が頭を撫でるってことくらい、ありそうなものだけど。
 ちりっと胸に痛みが走って、その先は想像しないよう考えに蓋をする。
 嫉妬丸出しの思いなんて、口にしちゃダメ。
 なのに、口に出せないあたしの疑問を感じ取ったのか、静かな笑みを浮かべた口元がゆっくりと動いた。
「誰か、他人と同じベッドで眠るのは、おまえが初めてだからそれも無いな」
 人と眠るのが、はじめて?
 たくさん恋人いたのに?
 その恋人たちと夜を過ごしたことも、一回二回じゃない筈なのに?
 疑問がぐるぐると頭の中を回りだす。
 どういうことなんだろう?
 言葉にできないくらい幸せな権利を与えられたのは、あたしがはじめて……って、そう期待してもいいのかな?
 寝顔も、寝起きの顔も、挨拶のキスも、全部あたししか知らないって、そう思っていいのかな。


 ドキドキしながら、そっと頭を撫でる。


 触れる髪の毛は、相変わらず見かけより柔らかで、さらさらと落ちて瞳を隠してしまう。
 手の動きに合わせるかのよう、ゆるやかに瞼が閉じていく。
 このまま眠りに入るなら、止めなくちゃと思うのに止められない。
「嫌だったら言って」
 一哉くんが嫌だと言ってくれたら、きっと、この我が侭な手も止まるから。
「……続けてくれ」
 けれど、相反する気持ちを見抜いたみたいに優しくねだられて、不思議と穏やかな気持ちが湧き起こった。
 朝になれば、世界と向き合わなくちゃいけない人が、今だけ甘えているみたい。
 こんなお願いされるの、あたしだけなんだよね……今は。
 これからもそうであればいいと願いながら、ただ手を動かした。

あとがき

身の安全のためか、本気じゃなかったからか、理由はなんでもいいんだけど
一哉は人前で眠ったことがないとか……そーだったらいっいのになー
という猫百匹の希望的妄想が詰まった話でした

だってほら!
寝顔を見せるのって、すごく気を許してないと難しくない?
あたしは寝顔どころかスッピンがまずもう無理